+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第31火曜日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと忠実な乙女マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。>
そのとき、14・15食事を共にしていた客の一人は、イエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。16そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、17宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。18すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。19ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。20また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。21僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』22やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、23主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。24言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」(ルカ14・15-24)
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毎日のミサの「今日の黙想」です。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」」と見せかけの羨望を抱きつつ、その招待に応じるためには他のものを諦めなければならない場合があるため、私たち全員の弱点はためらって言い訳をすることではないでしょうか。
「畑を買ったので、見に行かねばなりません。」と招待を断る最初の人は、ビジネスをはじめとする世俗のことに没頭しているからではないでしょうか。「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。」と断る別の人は、コンピューターやスマートフォンなどの新しいものに心を奪われているからではないでしょうか。また別の人は「妻を迎えたばかりなので、行くことができません。」と言いながら断ります。人が生まれて家庭を持つことは、最も基本的で大切なことであるにもかかわらず、これが神の招きに障害となるのであれば、思い切って拒否すべきだということを理解しなければならないのではないでしょうか。
このように、神の国の宴会よりも他の何かを優先させることに、私たちの羨望は、単なる希望に近い贅沢に過ぎません。だからこそ主人は「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」と命じます。パレスチナで義人を自称し、メシアを待っていた人々は、いざメシアであるイエス様が現れたときに、イエス様を信じて従うことを拒否しましたが、徴税人や罪人、疎外された人々は、イエス様を主として迎え、神の国の喜びの知らせを受け入れました。
しかし、まだ席に空きがあるので、主人は「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」と再び命じます。「通りや小道にいる人々」とは、私たちのような異邦人に福音を伝えるということを意味していると理解されます。
神の国で食事をする人々は本当に幸せだと思いますか?その幸せのために、振り返らずに、すぐに招待に応じることができますか?
それとも、持っている畑や牛があなたの足を引っ張って後ずさりさせていませんか?
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毎日神の御言葉を覚え過ごすことが天国での生活です。福音を伝えながら実践できる毎日が神の国の宴会でありますように!聖霊、来てください。