+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第31木曜日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと知恵ある乙女マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。>
そのとき、15・1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。3そこで、イエスは次のたとえを話された。4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
8「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。9そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ15・1-10)
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サレジオ会 パク·ソンウ グレゴリオ神父様の黙想文「探して喜ばれる神様」です。
神はどんな方で、何を喜ばれるのでしょうか?
イスラエルの宗教指導者であるファリサイ派の人々や律法学者たちは、神はアブラハムが持っていた信仰ではなく、律法の規定を完璧に守ることによって義を得ると信じていました。したがって、彼らの神は律法の遵守に基づいて裁きを行い、律法を忠実に守る人々を喜ばれる正義の裁き手です。
しかし、イエス様にとって、神は、御子を通して罪人を見出す歓待の愛の神であり、彼らの悔い改めを喜ばれる神です。
今日の福音(ルカ15・1-10)で、イエス様は言葉を聞きに来た罪人たちをもてなし、彼らと食事を共にします。その様子を見たファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と文句を言います。イエス様が自分たちとは異なり、罪人を教え、一緒に食事をすることに大きな衝撃を受けたのです。
その彼らの反応に対して、イエス様は二つのたとえ話を通して、神がどのような方であり、何を喜ばれるのかという真理を説かれます。
100匹の羊の中で失った一匹を見つけて喜ぶ羊飼いと、10枚の銀貨の中で失った一枚を見つけて喜ぶ女のたとえ話です。
羊飼いにとって羊は家族のように大切な存在です。貧しい主婦にとって1枚の銀貨は1日分の賃金に相当し、家族の生活に直結する本当に貴重なお金です。だからこそ、あらゆる努力をして見つけるでしょう。最終的に見つけた時の喜びは本当に大きいものです。その喜びを一人で抱え込むことができず、隣人を呼んで共に分かち合うのです。
もし羊飼いが失った羊一匹や、女が失った銀貨一枚を大切に思っていなければ、苦労して探さなかったでしょう。
イエス様は最初のたとえ話について「天では悔い改める必要のない義人99人よりも、悔い改める罪人一人のためにより喜ぶ」と仰り、二つ目のたとえ話について「悔い改める罪人一人のために神の天使たちが喜ぶ」とそれぞれ結論を結ばれます。
この二つのたとえ話は、神が迷い羊のような罪人を探しておられ、彼らが言葉を聞き、悔い改めるときに天使たちと共に喜ばれるという真理です。
どれほど感謝すべきであり、喜ばしいことでしょうか?
神が御子を世に送って罪人を見つけて救うのです。これほど偉大な神の愛を受けていながら、それを理解しないなら、神にも人間にも本当に大きな悲しみになるでしょう。
これにより、イエス様は、自分が罪人をもてなし、喜びの知らせを宣言し、彼らを兄弟や友人のように共に食事の交わりを分かち合うことは、神が望むだけでなく、神が喜ばれることを明確に示されました。
断罪され、苦しみに押しつぶされていた徴税人や罪人たちは、その真理をある程度理解しました。だからこそ、言葉を聞くために来た彼らのことで、イエス様も彼らと共に喜んでおられます。
私たちは何を喜んでいるのでしょうか?罪人の悔い改めのために祈り、福音を伝え、その結果として悔い改めた人々のことで喜んでいるでしょうか。
囲いの中にいる羊だけでなく、囲いの外にいる迷った羊のような境遇で、貧しく苦しんでいる隣人を見つけ、愛をもって共に歩む新たな関心と情熱を持った良い羊飼い、そして彼と共にいる善きキリスト者がたくさん必要な時です。
「主キリストイエスを知ることの偉大な価値のために、他のすべてを有害なものと見なしていた。」(フィリピ3・8参照)パウロ使徒の言葉と模範を、私たちも忠実に見習うべきです。
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今までの忠実にできなかったキリスト者の生活を悔い改め、赦しの秘跡を受け、あらたに良いキリスト者の生き方ができ、主を喜ばせることができますように!聖霊、来てください。