+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は聖マルチノ(ツール)司教記念日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと信仰深い聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、聖マルチノ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。>
そのとき、17・1イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。2そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。3あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。4一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
5使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、6主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ17・1-6)
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毎日のミサの「今日の黙想」です。
イエス様が弟子たちに「赦し」についてお話しされます。福音書の至る所でイエス様が「赦し」について数え切れないほど語るのは、イエス様の弟子たちが共同体を形成して生きる中で、互いを受け入れ「赦す」ことが困難であることを示しています。人と人が出会い、一緒に生きなければならない共同体の生活では、「赦し」が常に最も大きな「テーマ」かもしれません。
しかし、今日の福音の中で、イエス様が弟子たちに「赦し」を教える際、使徒たちは「私たちに信仰を増してください」と言います。それはまるで弟子たちが主の言葉に対して的外れな返事をしているように見えます。しかし、なぜ弟子たちは「赦し」についての言葉に「信仰を増やしてください」という異なる要求をするのでしょう?
もちろん、福音の編集過程でテーマが異なる段落に移ることも原因ですが、今日の福音を通して、私たちが人を「赦す」ことが難しい理由を考えさせられる言葉でもあります。ほとんどの人が「赦す」ことが難しい根本的な理由は、人に対する「からし種」ほどの信仰がないからです。
いくら悪人のように見える人でも、その中には必ず「善の種」があり、変わり成長する「潜在的可能性」があります。「赦し」は、その人の表面的な態度や姿を「見て」行うものではなく、人の中に隠れた天の国のからし種が育つことを「信じて」行うものです。
「赦し」はこのように信仰から始まります。人に対する根源的な信頼と信仰が「赦し」の始まりです。何度も裏切られ傷ついても、人をそのまま受け入れ、信じて待てば、人々の内面にある善なるからし種を発芽させ、育てて天の国を開くことができます。自然の種が芽を出し育つには、良い土壌と適度な日光、雨、風が必要です。
それなら、人々の内面的な天の国のからし種が芽生え成長するには、どれだけの私たちの信仰と愛、忍耐と配慮が必要でしょうか?
「赦し」が難しいなら、何よりもまず主に「信仰を増してください」と祈らなければなりません。
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良いキリスト者として生きる際、何があっても主を信じ、困難なときには疑わず「主よ、わたしに信仰を増してください」と祈ることができますように!聖霊、来てください.