+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第32土曜日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと救い主の尊い住まい聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために速やかに裁いてくださる。>
そのとき、18・1イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。2「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。3ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。4裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。5しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」6それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。7まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。8言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ18・1-8)
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イ・ヨングン神父様の黙想文「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」です。
イエス様はエルサレムに向かう最後の道のりで「祈り」に関するたとえ話をされています。
それほど「祈り」が重要だからです。
今日の福音の「やもめの訴えを聞き入れる不正な裁判官のたとえ」は、「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18・1)という意味で、イエス様が弟子たちに語られたたとえです。
しかし、「絶えず祈りなさい」という言葉は一体どのような祈りを指しているのでしょうか?
一般的に祈りの黄金律と呼ばれるこの祈りを、私たちは「絶え間ない祈り」(Laus perennis)、「持続的な祈り」、「中断のない祈り」などと呼んでいます。
この祈りは教会の伝承の中で、主に西方教会では「レクシオ・ディビナ」(lectio divina)の形で、東方教会では「イエスの祈祷」(εύχη Ιησοû)の形で伝承されてきました。
さて、「絶えず祈りなさい」という言葉は一体何を意味するのでしょうか?
それはまず、「絶えず主なる神に向きなさい」ということだと言えます。
すなわち、祈りは神に向かって行われるものだからです。
もし祈りが主に向かっていないのであれば、それはただの愚痴や叫び、自己憐憫や独り言に過ぎないでしょう。
そうです。
祈りは誰か他の人のためではなく、私たちの主に向かっており、私たちの主との関係の中に留まることを意味します。
つまり、それは主を信じ、主に希望を持ち、主を愛することなのです。
そのため、預言者サムエルは「祈らないことは罪である」(サムエル上12・23参照)と言っています。
もし神との関係を持たず、神に希望を持たないのであれば、それは神ではなく他の偶像に向かうことになるからです。
そうです。
聖アウグスティヌスが言ったように、人間は「神に向かって方向付けられた存在」だと言えるでしょう。
しかし、さらに重要な事実は、私たちより前に、私たちの主なる神が私たちに向かっているということです。
だからこそイエス様は「気を落とさずに」(ルカ18・1)祈らなければならないと言われます。
そうです。
私たちを見守っているそのお方がいらっしゃるからこそ、祈ることをあきらめてはいけないのです。
希望をあきらめてはいけないのです。
まるでやもめが判決を下さない裁判官の前でも失望せずに、懇願することをあきらめないようにです。
実際に、気を落とさずにあきらめないことができるのは、神への信仰から来るのです。
だからこそイエス様は、今日の福音の最後の節で私たちの信仰を求められます。
「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ12・8)
ですから、この「絶え間ない祈り」は「人の子が来る時」まで続けられる祈りでなければなりません。
それゆえこれを『ルカの黙示録』とも呼ぶことがあります。
私たちは祈ることを決してやめてはいけません。
すなわち、神に向かっていることをやめてはいけませんし、神との関係の中に留まることをやめてはいけません。
「祈る一人は、祈らない一民族よりも偉大である」と言われるように、私たちはこの世で神の生ける証人でなければなりません。
アーメン。
主よ!
(私が)祈りの応答を受け取れないとしても、祈ることをあきらめないようにしてください。
(私に)疑念や焦りが押し寄せてきたときには、もっと切実な気持ちで持続的に祈ることができるようにしてください。
(私にとって)暗い夜であっても、その夜さえも動かすあなたを信じ、希望に対する信仰をもって持続的に祈ることができますように。
アーメン。
「気を落とさずに絶えず祈らなければならない。」
(ルカ18・1)