+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第33土曜日です。
慈しみ深い主・イエス・キリストと罪人のよりどころ聖母マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<神は生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。>
そのとき、20・27復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。30次男、31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。32最後にその女も死にました。33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」39そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。40彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。(ルカ20・27-40)
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サレジオ会のパク・ソヌ神父様の「今日の黙想」です。
皆様、死んだら終わりでしょうか?それとも死後に復活があるのでしょうか?
どのような確信を持って生きるかによって、人生は根本的に異なる次元の生を歩むことになります。
今日の福音(ルカ 20,27-40)を通して、イエス様は死者の復活があるという真理をより具体的に教えてくださいます。復活を信じないサドカイ派の人々が、復活がないという前提で一つの例を挙げます。モーセの法に従い、七人兄弟が後嗣を残さず同じ女を妻として迎え、彼ら全員が亡くなった場合、彼らが復活したらその女は誰の妻になるのでしょうかという質問です。
これは、人が死後に復活すると、肉体的な人間関係がこの世でのように続くと想像しつつ、復活を否定するものです。
しかし、イエス様はその人々に、不死不滅の精神的な次元の復活がある真理を説かれます。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。」
また、イエス様はサドカイ派が信じるモーセ五書から「主はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼び寄せる場面を引用し、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」と言われます。これはアブラハム、イサク、ヤコブが神の中で永遠に生きているという意味です。このように、イエス様は「死んだ者が再び生きる」という事実をはっきりと語ることで、サドカイ派の口を閉じさせ、ファリサイ派の人々からの認めを得ます。
イエス様は神と共におられ、世に来られた神の御子であるため、誰よりも天の国の事情をよくご存知であったからこそ、このようにお話しすることができたのでしょう。イエス様以外に、死者の復活に関する喜ばしい知らせをこう確信を持って宣言できる者は誰でしょうか?
モーセ五書の文字のみを信じるサドカイ派は、ファリサイ派の人々とは異なり、死後の復活に対する信念も希望も持たず、世と自分自身だけを考えていました。復活を信じず、現世のすべてを賭けて、何の準備もなく、世間と財物と自分の肉体に希望を置いて生きる彼らの死後の運命はどうなるのでしょうか?
今日でも多くの人々がサドカイ派のように現世の成功だけを夢見て、神のない自分たちの王国を築いています。パウロの言葉によれば、死者の復活がないなら、神とイエス様を信じて生き、死んだ人々の信仰は無駄なものとなるでしょう。
しかし、神の子として復活の信仰を持って生きる神の子供たちであるキリスト者は、天の国のために自らを喜んで捧げ、必要であれば命さえも惜しまずに自らの信仰を証しします。これは、彼が既に神の中で復活の命を享受していることの最も確かな印であると言えるでしょう。
この世の頭であるキリストの神秘体である教会の肢体であるキリスト者は、イエス様の死と復活の証人として、復活の人生を生きる使命に召されていることを常に忘れずに生きましょう。
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今日の福音を通してイエス様が御自分の今後の死と復活が証明してくださったように、私たちも復活を信じながら、生きているこの地上での喜びの生活ができますように!聖霊、来てください。