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毎日新聞 2023/9/29 東京朝刊 有料記事 996文字
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明治新政府は1871(明治4)年12月から約1年10カ月間、岩倉具視を全権とする使節団を米欧に派遣する。米ニューヨークではセントラルパークの完成が迫っていた。
この都市では19世紀初頭、たびたび感染症が流行した。32年にはコレラで市民25万人のうち3500人以上、49年にも5000人以上が亡くなっている。
そんな中、計画されたのが公園の建設だった。多忙な人々に憩いの場を提供し、緑化によって清浄な空気の吸える場所を確保する狙いがあった。当時、コレラは空気感染が疑われていた。
「感染症に強い都市を造るためにも緑化すべきだ」との考えは欧州で生まれていた。産業革命によって農村から都市への人口流入が加速し、空気や水をひどく汚した。衛生管理は喫緊の課題だった。
コレラやチフスのまん延に苦しんだロンドンでは45年、ビクトリア公園が開かれる。後の仏皇帝ナポレオン3世は46年、英国に亡命した際、緑化の必要性に気付かされ、帰国するやパリにあるブーローニュとバンセンヌの森を整備、市民に開放している。
こうした動きを受け、セントラルパークの建設が計画された。設計者の一人、オルムステッドは公園を「都市の肺(アーバンラングス)」と考え、空気浄化のために必要と主張していた。
マンハッタン島中心部に建設された公園は58年にオープンした後も整備が続き、73年に完成した。3・4平方キロの敷地に植えられた樹木は約2万6000本だ。芝生が敷き詰められ、野球やサッカーの競技場も備えられた。
ニューヨーク市当局は岩倉使節団に公園の事業報告書を贈呈している。「都市の肺」の重要性を伝えた形だ。その後、欧州を巡った使節団が帰国したのは73年9月。今月で150年になった。
3年前に始まった新型コロナウイルス大流行は、人類に感染症の脅威を再認識させた。「密」の回避が叫ばれ、空間の確保や換気の必要性が説かれた。時代は変わっても「都市の肺」の重要性に変わりはない。
その大流行の怖さも冷めやらぬ中、東京・明治神宮外苑で再開発計画が進む。大きな樹木を伐採・移植して、高層ビルが建設される。欧米での公園の成り立ちを考える時、その倒錯した現象は喜劇的でさえある。
著名な音楽家や作家、学者らが数多く反対している。事業者も歓迎されない開発を望むはずはない。後世に恥じないためにも拙速は禁物である。(論説委員)