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優秀な人の悪い噂話を、なぜ人は熱心に聞きたがるのか……。有名人の不倫が発覚するたび、どうしてバッシングの嵐が巻き起こるのか……。原因は「シャーデンフロイデ」という感情にあるかもしれません。人類の進化の過程で脳に組み込まれた複雑なプログラムとは。神戸学院大学心理学部講師の加藤伸弥さんに聞きました。
犯人は脳内で起きている二つの働き
誰かが失敗すると、普通は同情したり心配したりするものですが、そうでない場合もあります。「他人の不幸は蜜の味」ということわざを聞いたことはありませんか。心理学には「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」といって、他人の不幸を喜ぶ感情を指す言葉があります。もとはドイツ語の造語。シャーデンは損害、フロイデは喜びを意味します。
――絶好調のライバルがつまずいたとき、心中ひそかにガッツポーズしてしまった経験は誰しもあるのでは……。いけないこと、恥ずかしいことと思っていましたが、心理学用語になるくらい普遍的な感情なのですね。
他人の不幸を喜ぶ心理現象は、昔からさまざまな文献で紹介されています。紀元前ギリシャの哲学者、アリストテレスも同じような心理について書いています。
心理学において広く知られるようになったきっかけは、米国の心理学者、リチャード・スミスによる1996年の論文※1です。以来、さまざまな研究で取り上げられてきましたが、2009年、学術雑誌「Science」に掲載された論文※2で画期的な事実が明かされました。
研究チームは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使い、妬みが生じうる状況(他者が自分より優れているか劣っているか想像している状況)での脳の働きを調べています。その結果、相手の成功を知ると、脳の「前帯状皮質(ACC)」という部位が活性化することが明らかになったのです。
前帯状皮質は、身体的な痛みを感じているとき活発になる脳内ネットワーク「疼痛(とうつう)系」の一部です。病気やけがをしたとき活性化する部位が、他者の成功を目撃した状況でも活性化するわけですね。つまり、「他者の幸せが痛みとして経験される場合がある」ということの証拠が示された、といえます。
――頭痛や歯の痛みなら鎮痛剤を飲めば治まりますが、心の痛みを癒やすのは難しそうです。
だからこそシャーデンフロイデが起こるのでは、と研究チームは考えました。同研究では、妬ましい相手、すなわち、自分に苦痛を与える他者が不幸な目に遭うと、今度は脳の「腹側線条体」という部位が活発化することがわかっています。
腹側線条体は脳内ネットワーク「報酬系」の一部。快感などにかかわる部位で、おいしいものを食べたり、魅力的な人とデートしたりすると血流量が増加するといわれています。
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妬んでいた相手が失敗することで、劣等感や欠乏感による心の痛みが和らぎ、ひとときの癒やしが訪れる――研究からは、シャーデンフロイデのメカニズムがあらためて見えてきました。
人類は「妬み」をバネに生き延びてきた
――なるほど。妬みやシャーデンフロイデが生じるのはいたしかたない、ということですね。
私たちは、期せずして自分と他者とを比較し、感情が正にも負にも揺さぶられる脳の仕組みをもっているのです。なお、妬みは約1万年前に定住農耕社会が到来して以来、人類の生存や繁殖に大切な役割を果たしてきた、という説もあるんですよ。
――定住農耕社会以前の人類は妬みを感じていなかったのですか?
狩猟採集時代は、基本的に平等社会だった可能性が高いとされています。肉は保存に向いていませんから、権威者が獲物をひとり占めしたところで余れば腐ってしまう。だったら、仲間内で平等に分配したほうがいい。
社会的な階層が生まれたのは、保存に向く穀物が栽培できるようになってから。収穫物を大量に貯蔵できる人が現れ、やがて彼らが政治的な権力を握るようになりました。富と権力をもてば生活にゆとりが生まれ、異性を獲得して子孫を殖やせる確率が高まります。
――飢えや寒さなどの危機もある時代ですから、負け組になると生き延びられるかどうかもわかりませんね。
過酷な生存競争を生き抜くため、人々は妬みを抱くようになりました。自分より優位なライバルの存在は不快だけれど、頑張って勝てば嫌な気持ちも解消される。他人を妬むからこそ成長しよう、努力しようというやる気が生まれるわけです。
――妬みにはプラスの面もあるのですね。その一方、ドロドロした気持ちが生まれたりもする、と。
誰かを羨み、追いつき追い越そうと願う気持ちが「良性の妬み」であるとすれば、相手の失敗や破滅を願うのは、「悪性の妬み」ということになります。シャーデンフロイデにつながるのは後者のほうですね。
裏切り者は許さない! 社会の秩序を守る効果が現代は狂気にも
シャーデンフロイデは競争を生き抜くためだけでなく、社会秩序を保つうえでも役立っています。ルールを犯して自分だけ得をしようとする者は、集団全体にとって迷惑な存在ですよね。みんなで協力しあって生きているのに、ズルをしてただ乗りする人(フリーライダー)が増えると、互いの信頼関係が崩れ、社会が内部崩壊してしまいます。
――国会中継で居眠りしている議員がいると、「この税金泥棒!」と腹立たしくなりますよね。
だから進化の過程で、フリーライダーを見つけ出して罰しようとするメカニズムが、生物としてのヒトの心の根深い領域に組み込まれたのです。心理学ではこの働きを「裏切り者検出モジュール」と言います。
ただ、裏切り者に「正義の鉄槌(てっつい)」を下すとき、自分が前に立つとやり返されるリスクがある。できればほかの誰かに制裁してもらい、自分が傷つかないかたちで裏切り者を集団から排除したい。その願望がかなったとき、シャーデンフロイデが生じるのです。
――たしかに、芸能人の不倫問題などがインターネットのニュースサイトで報道されると、みんな匿名で記事にコメントしたり、「いいね」ボタンを押したりしています。
まさに、社会秩序を維持するためのシャーデンフロイデが働いている状態ですね。秩序はもちろん、守らなくてはなりません。ただ、バッシングが過熱すれば、必要以上に相手を追い詰めてしまいます。SNS(ネット交流サービス)の誹謗(ひぼう)中傷による自殺も起きていますね。
人の心にはグレーな部分も潜んでいる。そこに人間らしさがあるのですが、正義を振りかざし、白黒をはっきりつけようとしすぎると、「失敗を許さない社会」になる。そうなれば、自分もたたかれるのではないかと誰もがおびえて暮らすことになります。他人を裁いていいのか。シャーデンフロイデが暴走していないか。立ち止まって考えなくてはならないのですが、時にわたしたちは思考停止に陥ってしまう。正義は脳をとろかすこともあります。
社会秩序を守ろう、守らせようとする行為自体は人間の歩むべき道を照らしてくれる光かもしれません。しかし、忘れてはならないのは「光が強ければ強いほど、影も濃くなる」という当たり前の摂理です。
人間の脳の基本的な仕組みは先史時代につくられました。エネルギー源となる糖質を「おいしい」と感じるのも、その頃の人類が飢餓の脅威にさらされていたから。でも、飽食の現代、スイーツの食べ過ぎは肥満や生活習慣病を招きかねませんよね。
シャーデンフロイデも同じ。少人数の部落で生活していた時代と違い、今は世界中がインターネットでつながっています。誰かが犯した過ちを、顔も知らない無数の人々が糾弾する――シャーデンフロイデが人間を死に追いやる凶器となりうるのが現代なのかもしれません。
長い歳月をかけ身につけた心理システム 感じないようにするのは難しい
――なんだか息苦しいし、健全とはいえない時代ですよね……。あらためて、現代のわたしたちはシャーデンフロイデとどう向き合えばいいのでしょう。
シャーデンフロイデは、気の遠くなるような長い歳月をかけてプログラムされた心理システムですから、感じないようにするのは難しいと思います。でも、「シャーデンフロイデを感じる自分」を客観的に見つめることならできますよね。
例えば、この図を見て、赤い円は左右どちらが大きく感じますか。
――右側が大きく見えますけれども。
実は同じなんです。「エビングハウス錯視」※3といって、周りの円が大きいと赤い円が小さく見えるし、周りが小さいと大きく感じる。ヒトの知覚に関する現象を説明した図形ですが、これを見ると、尋常ならざるメッセージが込められているように思うんです。人間の社会も同じだ、と。
他人が失敗すると、自分が優位に立った気がしてうれしくなる。しかし、自分の大きさは変わってないんですよ。結局、自分という存在から逃げられない、ということはゆるぎない事実なんです。
――自分は自分なんですね。他人と比べてつらくなったときはもちろん、集団の声にのみ込まれそうなときも思い起こしたいです。
シャーデンフロイデに効く薬なんてありませんし、手術で妬みや喜びを感じる脳の部位を切除したら、人間らしさがなくなってしまう。でも、自分の気持ちを認めたうえで、行動を選択することはできますよね。
ドイツの哲学者、ニーチェは著書「ツァラトゥストラ」にとてもいい言葉を残しています。「君たちは憎しみと妬みに無縁であるほどには偉大でない。それなら、それらを恥じないほどには偉大であれ」※4。つまり、「妬みを知らない人はいないけれども、せめてそれを自覚するための知性はもっていなさい」ということですね。人間にとって最後のとりでとなるのはやはり知性なんだと思います。
己の内部の情念から目を背けずに生きてこそ
――人間として生きる上で、ネガティブな感情とは向き合わざるをえないということでしょうか。
感情が生じること自体は変えられません。でも、感情のことを理解できれば、絶望だけだった世界とは違った世界に出会える気がします。悪意に支配されすぎない人生を送れるかどうかは、これらの感情についてどこまで知ることができるかにかかっている側面があります。ですので、まずはその第一歩として、己に生じた邪悪な情念から目を背けずに生きていくことが重要です。人間には、自らの醜さをも受け入れられる知性があると思えてなりません。
神戸学院大学心理学部講師の加藤伸弥さん
かとう しんや 神戸学院大学心理学部講師、武蔵野大学人間科学研究所客員研究員。博士(人間学)。感情心理学、進化心理学が専門。2019年、武蔵野大学人間科学部人間科学科卒業。21年、武蔵野大学大学院人間社会研究科人間学専攻修士修了。24年、同大学院人間社会研究科人間学専攻博士後期修了。
※1
Smith, R. H., Turner, T. J., Garonzik, R., Leach, C. W.,Urch-Druskat, V., & Weston, C. M. (1996). Envy and Schadenfreude. Personality and Social Psychology Bul-letin,22,158―168.
https://doi.org/10.1177/0146167296222005
※2
Takahashi H, Kato M, Matsuura M, et al.(2009)When your gain is my pain and your pain is my gain: Neural correlates of envy and schadenfreude. Science, 323, 937-939.
※3
ドイツの心理学者で記憶の研究で知られるヘルマン・エビングハウスが発見。
※4
フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラ」手塚富雄 ,中央公論新社,p72
特記のない写真はゲッティ
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西川敦子
フリーライター
にしかわ・あつこ 1967年生まれ。鎌倉市出身。上智大学外国語学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2001年から執筆活動。雑誌、ウエブ媒体などで、働き方や人事・組織の問題、経営学などをテーマに取材を続ける。著書に「ワーキングうつ」「みんなでひとり暮らし 大人のためのシェアハウス案内」(ダイヤモンド社)など。