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毎日新聞 2023/10/2 06:00(最終更新 10/2 06:00) 有料記事 1881文字
初めての韓国、光化門の後ろには朝鮮総督府の建物がそびえていた。走っているタクシーは現代自動車のポニーだ=1979年、鈴木琢磨撮影
ずっと韓国を旅してきました。初めての渡韓は大学で朝鮮語をかじっていた1979年のこと。まだ朴正熙(パク・チョンヒ)政権の時代、午前0時以降は外出禁止で、ちょっとドキドキしたものです。YOUは何しに韓国へ? そう問われると、自分でも正直、よくわかりません。かつては、文字通り、百聞は一見にしかず、とかわしていましたが、いまは、こう答えるようにしています。わが心の換気扇だから。カッコよすぎかもしれませんが。
遅い夏休み、この9月もまたソウルでした。再開発ラッシュで都心は奇抜な高層ビルが建ち並び、こじゃれたカフェやパン屋ばかりが増え、しかも長蛇の列、路地裏酒場派の私などにはさみしい風景です。いや、そのぽつんと取り残されたくすんだエリアが日本でいう「昭和レトロ」なんでしょう、ホットスポットとして若者であふれ返っているから面白い。ドラスチックな変化、カオスのごとき新旧の共存が韓国の、とりわけソウルの魅力です。でも、大丈夫、変わらぬディープ・コリアもちゃんと味わえます。
足を運んだ公共放送KBSの「全国のど自慢」。ステージと客席が一体となり、ついウキウキしてくる。野外収録なら、もっと盛りあがる=ソウルで9月2日、鈴木琢磨撮影
歌です。韓国の旅を続けながら、歌こそ、韓国だ、と感じてきました。今回も旅装を解いてすぐ向かったのは、中区にある奨忠(チャンチュン)体育館、お目当ては公共放送KBSの長寿番組「全国のど自慢」の公開収録です。タクシー運転手のおばちゃんが「どうしてのど自慢なんかに?」といぶかしむので「そこに大韓民国があるから」と冗談めかしたら大笑い。「その通り! 私も連れて行ってよ」。仕事を放棄しそうな勢いでした。お国柄がにじむ地方での収録もいくつか回りましたが、歌上手、芸達者の多さにうなります。
さて、久しぶりにソウルの中心で開かれるのど自慢。名物司会者だった宋海(ソン・ヘ)さん(昨年、95歳で死去)の後任、女性タレント、キム・シニョンさんのコミカルな進行で会場は盛りあがっています。トロット(演歌)からK―POPまで、みんな堂々たる歌いっぷり、歌にまつわるとっておきエピソードが語られ、ほろっとしたり。気づけば、舞台と客席はひとつ、ひいきのゲスト歌手が登場するや、ファンは立ち上がり、歌って、踊って、旗を振る。そんな共感のマダン(広場)に加わりたい! 私も隣のおっちゃんからいただいたトロット歌手の応援ボードを揺らしました。
繁華街・明洞。新型コロナウイルス禍以前のように外国人観光客らでにぎわっている=ソウルで9月9日、鈴木琢磨撮影
そう、とことん楽しむ。人生、楽しまなくちゃ。似て非なる隣人に教えられるのはそれ。だから、私にとってソウルはストレスフルな東京の日常から解き放たれる心の換気扇なのです。日本人観光客をながめていても思います。たとえグルメとショッピングの駆け足ツアーでも、きっとどこかで「心の換気扇」が回り、笑顔になってしまうだろうな、と。そのリアルな体験がリピーターを生み出していく。かの地のバーで自説を開陳していたら、学生アルバイト君がぴしゃり。「僕は秋田の秘湯、乳頭温泉がくつろげましたけど」。いやはや、これには一本とられたなあ。
「ネモジュンTV」のネモさん。マッコリ酒場「西村酒幕」の壁には日本から訪ねてきた視聴者からの感謝の言葉が張られていた=ソウルで9月6日、鈴木琢磨撮影
旅の終わり、どうしても会いたい人がいました。在韓日本人による人気ユーチューブチャンネル「ネモジュンTV」のネモさん(57)です。新型コロナウイルス禍のさなか、弟分のジュンさん(43)と現地をつぶさに歩き、リポートしてくれました。2人は明洞(ミョンドン)にあったスーパーマーケットの元同僚で、どちらも日韓カップル。観光客が消え、失業してしまうのですが、配信はやめない。ソウルきっての繁華街がみるみるうちに<賃貸>の看板だらけになっていく。信じがたい映像を私は胸を痛め見つめていましたが、なぜかオープニングの「ネモでーす」「ジュンでーす」の弾んだ声、ほんわかトークに励まされる気がしたのです。
初めて韓国を旅したときのソウル・明洞。いまはなき「美都波(ミドパ)百貨店」が懐かしい=1979年、鈴木琢磨撮影
夕暮れ、ネモさんの姿は景福宮(キョンボックン)に近いマッコリ酒場「西村酒幕(ソチョンチュマク)」にありました。「縁あって、ここで働くようになったんです。チヂミを焼いたりね。ジュンさんは病気治療中ですが、ユーチューブはまだまだやっていくつもり。たくさんの人と知りあえたのが僕らの大きな財産です」。壁に目をやれば、メッセージで埋まっている。「北海道から九州まで、わざわざ視聴者さんが訪ねてこられて」。私も<ありがとう>の言葉を書き贈り、3年もの「韓国ロス」を癒やしてもらった恩人と思い出をつまみに一杯、また一杯。ほろ酔いになったところで、ネモさん、ニクいことをやってくれるじゃない。酒場にわがいとしのトロット・メドレーを流しだしたのです。ああ、また心の換気扇が回りだします。【オピニオン編集部・鈴木琢磨】
<※10月3日のコラムはくらし科学環境部の大場あい記者が執筆します>