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毎日新聞 2023/10/3 06:00(最終更新 10/3 06:00) 有料記事 1762文字
ノーベル賞のメダル=ストックホルムの市庁舎で2012年12月10日(代表撮影)
科学報道に携わっていると、この季節はそわそわして落ち着かない。ノーベル賞の発表があるからだ。きょう3日の夕方は物理学賞が発表される。
アルフレッド・ノーベルは「毎年、その前年に人類に最大の恩恵をもたらした人」に賞金を贈ると遺言に記し、それを基にノーベル賞が創設された。日本の研究者が選ばれるかどうかはもちろんだが、どんな研究が「人類に対する恩恵」と評価されるのか、理屈抜きに気になる。やじ馬根性もあって、ついネットで受賞者予想を探してしまう。
毎年どきどきしながら発表を聞くが、特に驚き、興奮したのは2021年物理学賞の米プリンストン大上席気象研究員、真鍋淑郎さん(92)の時だ。
ノーベル物理学賞の受賞が決まり、記者会見で笑顔を見せる真鍋淑郎さん=米ニュージャージー州のプリンストン大学で2021年10月5日、隅俊之撮影
真鍋さんは、複雑な地球の気候をコンピューターで計算して再現する「気候モデル」研究を開拓した。今や気候変動の予測に欠かせないシミュレーション研究の先駆けといえる。以前、来日中に取材したこともあり、発表当日は原稿をまとめながらテンションは上がりっぱなしだった。
どんなにすごい業績でもノーベル賞の対象にならないような分野が、実際にはある。天文学や地球科学といった「対象外」の分野に対する「クラフォード賞」という権威ある賞を、真鍋さんは18年に受賞していた。
真鍋さんとも親交がある気候科学者の江守正多さん=茨城県つくば市で2022年9月28日、長谷川直亮撮影
「気候変動が関係する分野がノーベル賞を取るとは思っておらず、発表を聞いて『えー?!』となった。我々の『業界』全体がほめられたようで誇らしかった」。そう語るのは、自身もかつて気候モデル研究に取り組み、真鍋さんと交流がある江守正多・東京大未来ビジョン研究センター教授(気候科学)だ。
真鍋さんにインタビューしたのは、環境分野を担当していた13年のこと。私に先を見通す目がなく、ノーベル賞候補とは思っていなかったが、高名な研究者なのでかなり緊張した。渡米した1950年代の話、開発した気候モデルの話……。聞きたいことがたくさんあった。「そんなことも知らないのか」と気分を害されないか心配したが、真鍋さんは分かりやすい言葉で丁寧に答えてくれた。
印象的だったのは、ご自身の研究内容を本当に楽しそうに、いきいきと語っていたことだ。素人の私も、分からないながらに「気候モデルってそんなに面白いのか」と引き込まれた記憶がある。
「気候モデルは気候変動を理解するための、この上ない道具なんです。便利ですよ。気候はいろんな要素が錯綜(さくそう)しているうえに、人間が実験して変えてみるわけにもいかない。でもモデルを使えば、(コンピューターの中で)二酸化炭素(CO2)濃度を変えたり、地形を変えたりといったことができる。面白いでしょ」
こんなことも言っていた。「僕の論文、長すぎるんですよ。それこそね、ベートーベンが交響曲第9番を作曲するようなつもりで書くから」。最も長い論文が何ページだったかは聞きそびれてしまったが、「(その長さが)必要かどうかというより、書きたいから書いた。この間、他の研究者に『あなたの論文は本気で読めば面白い。いっぱいいろんなことが書いてある』と言われた」と笑った。
でも、研究を楽しんでいただけではない。地球温暖化は深刻で、温室効果ガス排出量を急速に減らしても、すぐに気温上昇は止まらない。「気候モデルと観測を一体として進めることが、温暖化にどう適応するかというプランを立てるのに必要不可欠だ」と強調していた。
気候力学を専門とする渡部雅浩さん=千葉県柏市で2017年8月28日、根岸基弘撮影
渡部雅浩・東京大大気海洋研究所教授(気候力学)も江守さん同様、受賞には「びっくりした」と言うが、そこにあるメッセージを推し量る。「今の世界は気候変動のような、ものすごく複雑な問題を抱えている。ノーベル賞も、今までは対象になりにくいと考えられていた分野でも、その問題解決の糸口になるような研究を評価するようになりつつあるのではないか」
世界は気候危機の真っただ中で、その危機への対応につながる業績が「人類への最大の恩恵」になってしまったということか。そうであれば、気候科学分野への授賞は、科学者からの「恩恵」を最大限活用し、実社会で対策を急がなければいけないと、私たちに大きな宿題を突きつけたとも言える。今夜もノーベル賞がたたえる業績と授賞理由を、しっかり読み解きたい。【くらし科学環境部・大場あい】
<※10月4日のコラムはニューデリー支局の川上珠実記者が執筆します>