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毎日新聞 2023/11/8 東京朝刊 有料記事 3941文字
ロシア側に向けドローンを発射する準備をするウクライナ兵=ウクライナ東部ハリコフ州で10月30日、ロイター
ウクライナ軍のロシアに対する反転攻勢が十分戦果を上げられないまま、戦線が膠着(こうちゃく)する冬が近づきつつある。大国の正規軍が隣国に大規模侵攻し、年単位の長期戦になるという21世紀にほぼ想定されなかった大戦争は、世界史の中でどう位置付ければよいのか。欧米とロシア、それぞれの視点で考える。
ロシア弱体化への契機 広瀬陽子・慶応大教授
プーチン大統領は露帝国を列強の一員にしたピョートル大帝(1672~1725年)やエカテリーナ2世(1729~96年)らを崇拝し、自身と重ねている。帝政期の領土をおおむね継承した旧ソ連領を自国の勢力圏として維持したい思いがある。だが、今の戦争は、逆に旧ソ連圏でのロシアの影響力を減ずる方向で作用している。ロシアが弱体化し始めた象徴的事態として歴史に刻まれるだろう。
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プーチン氏も開戦時は、更なる領土拡張を想定していなかったはずだ。「占領の意図はない」と明言し、ウクライナに親露政権をつくれば済むはずだった。だが、予想外の抵抗で長期戦となった。帝政期からウクライナは「マロ(小)ロシア」と呼ばれてきた。ロシア人の心情として、マロに負けて引き下がるわけにはいかない。
そこで泥縄式に浮上した戦争目的が、ノボ(新)ロシア獲得である。ノボロシアとは、かつてエカテリーナ2世が征服したウクライナ東部を指す。昨年9月に露が併合を宣言したウクライナ南・東部4州は、ノボロシア全体よりはかなり狭い。だが、せめてその核となる部分は確保したいわけだ。
またロシアでは、自国が追い詰められるほど第二次大戦など戦争の記憶が力を持つ。「我々はずっと欧米に辱められ、それが今も続いているのだ」と。開戦時はウクライナをネオナチだとしたが、今や欧米全体をナチ扱いしている。
今年2月の、スターリングラード(現ボルゴグラード)攻防戦80年の式典でのプーチン氏の演説は象徴的だった。ドイツのウクライナへの戦車供与を「我々は再び十字架のついた戦車に脅かされている」と批判した。今もドイツの戦車はナチス期以前と同様、十字マークが描かれている。これを利用して、国民的記憶に訴えたのだ。
ロシア南側の旧ソ連圏コーカサスや中央アジアでのロシアの影響力も弱まった。9月にコーカサスのアゼルバイジャンが係争地ナゴルノカラバフで以前は親露的だったアルメニア側に勝った。露平和維持軍は傍観。アルメニアは昨年から欧米への接近傾向を強め、ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)脱退もほのめかしてきたが、さらに怒りを募らせた。ロシア離れの加速は間違いない。
中央アジアでは中国の影響力が強まっている。タジキスタンやキルギスは、中国の債務のわなにかかった。タジキスタンは親中で、中国の軍事施設が二つある。キルギスは反中だが、露に助ける力はない。中国は、5月に旧ソ連圏の中央アジア5カ国との首脳会議を開くなど外交攻勢を強めている。
ただし、ロシアとこの地域の帝政期以来の文化、社会、経済的なつながりは、簡単には切れない。今も出稼ぎ労働者は中国より圧倒的にロシアへ行く。中露は互いに、この地域での相手の動きを見て見ぬ振りをしているようだ。
ともあれ、歴史的にロシアより格下だったはずの中国は、何年も前から立場を逆転させている。1950年代後半以降、長く続いた中ソ対立もあり、ロシアの中国に対する不信感は拭いきれない。しかし、対米で共闘せざるを得ない。「離婚なき便宜的結婚」とでも言うべき関係が今後も続くだろう。
旧ソ連の遺産で今、花開いているのは、近年発言力を強めるグローバルサウスとの関係だ。旧ソ連は、第三世界の優秀な学生多数をモスクワに招き留学させた。彼らが今、各国の指導者層となり、両国関係の潤滑油になっている。
特にアフリカとの絆は強い。7月のロシア・アフリカサミットは4年前の前回より随分トーンダウンしたものの49カ国が参加した。
資源採掘や治安維持などでロシアに頼りたい国は多い。こうした国には「エネルギーや食料の価格高騰は、欧米がロシアを制裁するから」といったプロパガンダも効きやすい。ただし、絶対的に反欧米の国は中露とイラン、北朝鮮くらい。ほとんどがロシアの単なる手下とは言えない点は強調したい。
いずれにせよ、国家が弱体化したとはいえプーチン政権は盤石なままだ。今の戦争も圧勝できずとも継続はできる。世界は当面、露という不安定要因を抱え続けるほかない。【聞き手・鈴木英生】
国際協調体制の転換点 細谷雄一・慶応大教授
今、世界は歴史の転換点にさしかかっている。法の支配や人権、民主主義を尊重する国際協調に基づいた秩序が崩れかかっている。国際連合など国際機関や国際法が影響力を後退させ、代わってロシアや中国に象徴されるように、大国の利己的で帝国主義的な行動が国際政治を決定するような時代に逆戻りしつつある。
歴史をさかのぼると、第一次世界大戦でロシア帝国やドイツ帝国、オスマン帝国などが崩壊し、帝国主義から国民国家の時代へと転換した。第二次世界大戦ではナチスドイツに代表されるファシズムに対して、民主主義が勝利した。欧米にとって普遍的で自明だったリベラルな考えが、新たに創設された国際連合の秩序の中核に位置づけられた。
このとき、民主主義国ではない中国やソ連も勝利した側にいた。国力が十分ではなく、米英が作った秩序の中で甘んじていたが、国力が回復した今、自らに好ましい秩序を確立しようとしている。
ロシアのプーチン大統領は2012年、2度目の大統領に就任した直後、旧ソ連の勢力圏だった国境線を復活させる野心を示していた。ソ連の崩壊を20世紀最大の地政学的な悲劇と位置づけた。つまりロシア帝国を復活させるということで、ウクライナ侵略はその一環だ。
中国は、かつて朝貢体制に入っていた沖縄・琉球王国や東南アジアを、自らの勢力圏に組み入れようと帝国的野心を示している。結局、我々は、リベラルな国際秩序を普遍的な原理だと錯覚していたに過ぎないのかもしれない。
なぜ、こうした状況になったのか。冷戦崩壊後、欧米はロシアを脅威と見ず、全ヨーロッパ的で調和的な秩序をつくろうとした。相手国にもっと配慮しなければならないというリベラルな考え方があり、ロシアに対して過剰とも思える配慮を続けた。また、軍事力の行使に対する嫌悪から、紛争は平和的手段で解決しなければならないという姿勢だった。
例えば08年の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、当時のブッシュ米大統領は、ウクライナとジョージア(旧グルジア)のNATO加盟交渉開始を提案した。ところが、ドイツとフランスが、提案はロシアを威嚇することになるとして反対した。結局、ロシアにそんたくする形で、両国の加盟交渉を凍結した。
14年のロシアによるウクライナのクリミア半島の強制併合でも、欧米は毅然(きぜん)とした態度を取れなかった。プーチン大統領は、軍事行動に出ても欧米は強い措置を取れないことを見透かしていた。こうした積み重ねで、昨年2月にロシアがウクライナへ軍事侵攻した際も、プーチン氏はNATOは介入せず、必ず勝てると考えたのだと思う。
こうした帝国復活の背景には、国際社会での米国の影響力の低下がある。イラクやアフガニスタンでの戦争などを通じて米国の傲慢さや偽善があらわになり、国際社会での信頼を失った。
また、オバマ、トランプ、バイデンと三つの政権が続けて、世界から軍事的プレゼンスを縮小させることを外交目標にしている。武器を提供するだけで、自らの力を行使しようとしない。その結果、国際社会では「力の真空」が生まれ、逆に中露の影響力が拡大した。
米欧の足元でも法の支配に基づく国際秩序を壊そうとする動きが立っている。米国では自国ファーストを掲げ、国際協調を軽視するトランプ政権が誕生した。フランスやドイツでは極右政党が大きく伸長している。人権や民主主義といったリベラルな価値が後退している。
こうした視点でみると、ロシアのウクライナ侵略は、両国の戦いを超えた意味を持つ。世界の将来像を決める二つの秩序が衝突しているとみるべきだ。自らが中心となっていた、かつての帝国的な秩序を復活させようというロシアのビジョンが実現するのか、しないのかということだ。我々は、国際政治の現実を直視し、国のあり方を考えなければならない。【聞き手・矢野純一】
両国で死者計19万人
ロシアは2022年2月24日にウクライナに侵攻。一時は首都キーウ(キエフ)中心部から20~30キロまで迫っていた。現在の戦線はウクライナ南部から東部で、ウクライナ軍は今年6月から反転攻勢に出ているが、当初の想定ほど戦果を上げていないとされる。戦闘でウクライナの死者は約7万人、ロシアは約12万人と言われる。一方、対露経済制裁などの対応を巡り世界は二分している。
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■人物略歴
広瀬陽子(ひろせ・ようこ)氏
1972年生まれ。東京大大学院博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。国家安全保障局顧問など歴任。「コーカサス」でアジア・太平洋賞特別賞。他の著書に「ハイブリッド戦争」「ロシアと中国」など。
■人物略歴
細谷雄一(ほそや・ゆういち)氏
1971年生まれ。慶応大大学院修了。博士(法学)。専門は国際政治学、外交史。安倍政権で国家安全保障局顧問などを歴任。著書に「戦後国際秩序とイギリス外交」、来月「ウクライナ戦争とヨーロッパ」を出版予定。