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毎日新聞 2023/11/19 東京朝刊 有料記事 950文字
築地本願寺・和田堀廟所にある樋口一葉の墓の前で手を合わせる長江曜子・聖徳大教授。いまも一葉ファンは多く、新しい花が供えられていた=滝野隆浩撮影
<滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>
次はこの方ですかねと、「お墓博士」の長江曜子・聖徳大教授は、財布から取り出した5000円札の肖像を指した。先生と続けている著名人の墓巡り。今回は、来夏に紙幣が新しくなって役目を終える、樋口一葉の墓に行くことにした。
いわずとしれた明治期の女流作家。下級官吏の家に生まれ小学校の成績は抜群だったが、進級は断念。父や兄の没後は女戸主として内職で一家を支えた。それでも文学への思いは断ち切れず、小説を書き始める。職業作家として認められた途端に病魔に襲われ、亡くなる前の1年余の間に「たけくらべ」や「にごりえ」など日本文学史に残る作品を次々と発表。「奇跡の14カ月」と評された。肺結核により、24歳の若さで死去した。
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墓は東京・京王線「明大前」駅から10分の、築地本願寺別院「和田堀廟所(びょうしょ)」(東京都杉並区)にある。中央の広い道を先生と進む。左側に「樋口一葉女史墓所入口」の白い標識が見えた。最初の角を右へ。その一角に、大きく「先祖代々之墓」、台石に「樋口氏」と刻まれた墓があった。ここだった。地味である。紙幣になった偉人の中で、たぶんいちばん地味な墓だろう。同じ墓所にある古賀政男や笠置シヅ子の墓と比べても明らかに小ぶりである。
一葉の薄幸の人生を思う。
進級を諦めたのは、母が「女子に長く学問させるのはよくない」と反対したから。父を亡くして17歳からは一家を支えるため針仕事。借金に明け暮れ、転居を繰り返した。遊郭・吉原近くで雑貨店をやっても生活は楽にならない。ただ、そこで身を売る女性たちと接したことが作品にいきた。
長江先生は女流文学の研究者でもある。明治期の女性の職業作家がいかに苦労したか。先生の講義を聞きながら、私は有名な「われは女成りけるものを」という言葉を思い出していた。
NHKドラマのタイトルにもなったこの言葉。「私は女ではなかったか」と言ったあとに、「思うことがあっても成し遂げられない……」という意味の言葉が続く。窮乏し生活のために小説を書かざるをえなかった人生への恨み節なのか。いやむしろ反語表現で、誰も書けない作品を書いていくぞ、という孤高の決意表明にみえてくる。すごいな、一葉。
11月23日は一葉の命日である。(専門編集委員)