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基準が変わった? 低いほどいい? 高血圧をめぐる誤解
谷口恭・谷口医院院長
2024年12月2日
最近になりようやく減ってきましたが、今年の春ごろから「高血圧の基準が140から160に変わったのですか?」という質問が当院にも多数寄せられています。これは完全に誤解(というかデマ)で、日本の血圧の基準は何も変わっていません。では、「上の血圧(収縮期血圧)が140mmHg未満なら放っておいていいのか」というと必ずしもそういうわけではなく、さらにややこしいことに「160mmHg以上の場合は下げなければならないのか」というと、これまたそうとも言い切れません。医師の見解も割れています。そこで今回は非常に混乱の多い高血圧について私見も交えながら整理してみたいと思います。
誤解はなぜ生じたのか
まずは、「高血圧の基準が140から160に変わった」という誤解を正しておきましょう。日本の高血圧の基準に関して最も権威をもつのは日本高血圧学会のガイドラインです。その最新版は2019年のもので、Ⅰ度高血圧(最も軽度の高血圧)の基準は「診察室血圧の場合上の血圧が140~159mmHgかつ/または下の血圧(拡張期血圧)90~99mmHg、家庭血圧の場合は上が135~144mmHgかつ/または下が85~89mmHg」とされています。
一方、社会保険の給付を担う全国健康保険協会(通称「協会けんぽ」)が発行する「協会けんぽGUIDE BOOK」は以前から、未治療者に受診を勧奨する基準値を「160/100mmHg以上」としていました。現在もウェブサイトで閲覧できる23年度版の同ガイドブックにも「収縮期血圧値160mmHg以上」「拡張期血圧値100mmHg以上」とはっきり記載されています。同ガイドブックは24年4月に「2024年4月版」が発行され、やはり受診勧奨基準値を「160/100mmHg以上」としています。
では、なぜ今年になって「140から160に変わった」などという誤解が広がったのでしょう。おそらく日本高血圧学会の140という数字を覚えていた誰かが、4月に改訂された協会けんぽGUIDE BOOKを見て、160という数字に驚き「基準値が変わった!」と勘違いしたのでしょう。そしてこれは私の推測に過ぎませんが、この人は以前から「血圧は少々高くてもいいのではないか」と感じていたため、「自分の考えが正しかったんだ!」と思い込んだのではないでしょうか。いずれにしても、日本高血圧学会も全国健康保険協会も以前から提唱している数字を変更していません。
受診が必要なのはどんな時?
しかし、基準となる数値が複数あれば戸惑う人がいるのも無理はありません。国民からすれば「いったい血圧の基準はどう考えたらいいの?」という疑問が募るばかりかもしれません。この質問に対する答えは「個人によって異なりますから各自かかりつけ医に相談してください」となりますが、これではいつ受診すればいいのかすら分からなくなりますから、少し詳しくみていきましょう。
「協会けんぽGUIDE BOOK」によれば、健診で血圧や血糖値、悪玉コレステロール値が高く、医療機関への受診が必要と判定されたにもかかわらず、その後3カ月間受診していない人に対して、すぐに医療機関を受診するよう促す案内を自宅に送っていると言います。160/100mmHg以上というのは、その基準値です。つまり、「基準の数値よりは低いけれど受診が必要な人」には通知を送っていません。ということは、「通知が届かなければ健康」などとは到底言えないことになります。
では、「基準の数値よりは低いけれど受診が必要な人」とはどのような人でしょうか。年齢にもよりますが、例えば、肥満の人、喫煙する人、運動不足の人、大きなストレスを抱えている人、熟睡できていない人、食事の内容が健康的でない人、心血管疾患を起こした血縁者がいる人、腎臓の数値が悪い人、たんぱく尿が陽性の人、中性脂肪が高い人、脂肪肝のある人、妊娠している人……、など多数あります。「血圧の基準をどう考えるかは個人によって異なる」のは、こういった事柄を勘案して総合的に判断する必要があるからです。
「日本高血圧学会のガイドラインが提唱している140mmHg(家庭血圧は135mmHg)という基準は低すぎる」と言う人もおり、さらには「医者や製薬会社がもうけたいから基準を下げているんだ」というデマを流す人が(医療者のなかにも)いるようですが、このガイドラインはこれまでに発表されたエビデンスレベルの高い研究をじっくりと検証してつくられています。疫学に基づいて数値を提唱しているわけで、決して「医者や製薬会社がもうけたいから」ではありません。
しかし「疫学」というのは万人にあてはまるものではありません。統計をとると「全体として血圧はこれくらいが適正」ということはいえても、それがあなたに当てはまるとは限らないわけです。また、減塩や運動など、薬を始める前にすべきことはたいていの場合ありますし(しかもたくさんあります)、いよいよ薬を使う段階になっても、やはりただガイドラインに従えばいいわけではありません。そもそもガイドラインがすべての人にとって常に適切なら、フローチャートがあれば事足りるわけで医者は要りません。実際、運動と減量で劇的に血圧が下がることは珍しくありませんし、更年期の女性ならホルモン補充療法など更年期障害の治療を開始すると血圧が下がることもよくあります。漢方薬やサプリメントで効果が出る場合もあります。
血圧が高いほうが認知症になりにくい?
また、こんな話をする医者は少ないようですが「何のために血圧を下げるのか」という点についても改めて考え直す必要があります。日本高血圧学会のガイドラインは脳卒中や心筋梗塞(こうそく)などの心血管障害を予防することを主な目的としています。しかし、個人の考えによりますが、「心血管疾患よりも認知症を予防したい」と考える人も少なからずいます。認知症については同ガイドラインには「高齢高血圧の降圧治療による認知症予防効果に関する結論は得られていないが,認知機能を悪化させる成績はなく,降圧薬治療は行う」と書かれています。つまり、「高齢になっても血圧の薬は飲み続けなさい」とこのガイドラインは言っているわけです。
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しかしそれを支持しない研究も少なくありません。22年に医学誌JAMAに掲載された「収縮期血圧と認知症リスクとの関連、年齢、U字型関連、死亡率(Association of Systolic Blood Pressure With Dementia Risk and the Role of Age, U-Shaped Associations, and Mortality)」を紹介しましょう。研究は過去に発表された七つのコホート研究を分析したもので、対象者は17,286人(女性60.1%、調査開始の平均年齢74.5歳)です。結果、認知症のリスクは収縮期血圧が高い人の方が低く、最も低いのはなんと185mmHgのときでした。一方、「死亡率」が低いのは160mmHgのときで、これ以上高くても低くてもリスクは上昇していました。
注意しないといけないのはこの研究は高齢者を対象としていることです。中年期の高血圧は死亡リスクのみならず認知症のリスクを上昇させることにもコンセンサスがあります。しかし、「高齢になれば血圧は高い方が認知症になりにくい」ことをこの論文は示しているのです。
もうひとつ、最近発表された興味深い研究を紹介しましょう。「高齢者は血圧の薬を減らした方がいい」という結論が導かれています。医学誌JAMA24年9月23日号に掲載された「介護施設入居者における降圧薬の減量と認知機能(Deprescribing of Antihypertensive Medications and Cognitive Function in Nursing Home Residents)」です。
研究の対象者は06年から19年までに12週間以上入院した65歳以上の米国の退役軍人12,644人(男性97.4%、平均年齢77.7歳)で、降圧薬を減薬したのが1,290人、継続して内服を続けたのが11,354人です。調査終了時に認知機能が低下していたのは、継続して降圧薬を飲み続けたグループでは12.1%、減薬グループでは10.8%で、(数字の差はわずかなようにみえますが)統計学的に有意差をもって減薬グループは継続グループに比べ認知機能の低下抑制が認められました。
血圧の治療はその人の人生観を踏まえなければ始まりません。何歳まで生きたいのか、余生は何をしたいのか、どのような疾患を恐れているのか、認知症予防にどのようなことに取り組んでいるのか、薬に対してどのようなイメージを持っているのか、なども踏まえた上でかかりつけ医と共に考えていくのが血圧への取り組みだと私は考えています。
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。