医療プレミア特集
安倍元首相「助かる可能性はあり得なかった」 専門家が語る銃創治療の現状と課題高木昭午・毎日新聞医療プレミア編集部
2022年8月21日
銃撃を受けた安倍晋三元首相が搬送される様子=2022年7月8日午前11時半ごろ、久保聡撮影
安倍晋三元首相が銃で撃たれて死亡してから1カ月余。銃創(銃弾によるけが)に対する日本の医療体制などについて、大友康裕・東京医科歯科大教授(救命救急センター長)が、日本記者クラブ(東京都千代田区)で講演した。救急医からみると安倍元首相は銃弾が急所に当たって助かりにくい状況だったことや、今後、銃で撃たれた人を一人でも多く救うためには、日本の外傷(けが)治療体制をさらに整備する必要があることなどについて話した。主な内容を紹介する。
大友教授は1984年に日本医科大を卒業した。外科専門医・救急科専門医で、重い外傷の外科治療の経験が長い。また、日本の外傷外科医のための学会である「日本Acute Care Surgery学会」の理事長を務めている。昨年の東京五輪の前には、テロ対策の一環として救急医らが「銃創・爆傷(爆発による傷)患者診療指針」をまとめたが、大友教授はこのまとめの主導的立場だった。
日本では少ないが米国では多数
日本では、銃創の患者数は少ない。「日本外傷データバンク」は、重い外傷の治療をする病院292施設から、主に重傷患者のデータを集めている。ここには2004年から19年までに、全国で33万8774人の外傷患者のデータが登録された。その中で銃創の患者は113人で、生きて退院できた人は55人だった。また病院に着いた際、心肺停止状態だった銃創患者は22人で、その後、退院が確認できている人は1人だけだった。大友教授は「多くの施設では、銃創の治療は数年に1件程度だろう」と話す。
講演した大友康裕・東京医科歯科大教授=2022年8月5日、東京都千代田区の日本記者クラブで高木昭午撮影
一方、米国では銃創の患者は非常に多い。たとえば06年1月~14年12月には、9年間で合計70万人以上の銃創患者が出たとのデータが、医学論文として発表されている。そして、こうしたデータに基づいて、どんな状態の銃創をどう治療すべきかの指針が作られている。
心臓などを銃や刃物で傷つけられた場合には、病院到着直後、救急室で患者の胸を切り開いて手術で心臓の損傷などを修復する「救急室開胸」と呼ばれる治療法がある。米国東部外傷学会のデータによると、銃創患者2966人にこの救急室開胸を行って、生存できた患者は213人、7.2%だった。
助かる目安は「心肺蘇生15分以内」
大友教授は、この救急室開胸をどんな種類の銃創患者に行うべきかについて、米国西部外傷学会の診療指針を紹介した。
指針によると、行うべきなのは「体幹部(胸など)を銃や刃物で傷つけられた患者で、心肺蘇生(心臓マッサージや人工呼吸)を受けていた時間が15分以内の人」などだ。この指針とは別に、医師向けの教科書は、心肺蘇生を15分以上受けていた患者への救急室開胸を「無駄」と位置づけている。
安倍元首相は7月8日の午前11時25分に銃撃され、午後0時20分ごろに奈良県立医科大付属病院に運ばれた。銃撃直後から心臓マッサージを受けており「心肺蘇生15分以内」という基準を大きく超えていたとみられる。奈良医大によると、心臓と胸部の大血管に損傷があった。奈良医大は手術で止血や損傷の修復を試み、大量の輸血もしたが、安倍元首相は回復しなかった。
安部元首相に使われた手製銃
こうした背景を踏まえて大友教授は「安倍元首相が助かる可能性はあり得ない」「どんなによい治療をしても助かるわけがない話だった」と言い「一般に拳銃(安倍元首相に使われたのは長さ40㎝の手製銃)の弾丸は当たりにくいのに、あの距離であそこに当たるのは、非常に運が悪い。現場で心臓が止まるような致命的な損傷になってしまった」と位置づけた。
また、奈良医大が、安倍元首相の病院到着後、4時間半あまり治療を続け、死亡確認が午後5時3分だったことについては「医師の風習として、患者の家族が病院に来て、その家族の前で死亡確認をするのが一般的だ。あらゆる手を尽くしたと言えるだけのこともやっておかなければいけなかっただろう」と話した。また一部で「奈良医大の治療は適切だったのか」と疑問が出たことに対し、もともと救える可能性がなく、追及しても意味がないとの見解を示した。
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ドクターヘリによって病院に搬送された、安倍晋三元首相とみられる人(たんか上)=奈良県橿原市の奈良県立医科大病院で2022年7月8日午後0時21分、本社ヘリから銃創治療は外傷の中でも難しい
一方で大友教授は、安倍元首相の事例とは別の一般論として、外傷の治療の中でも、銃創の治療は特殊だと説明した。
たとえば、銃弾が当たった傷口「射入口」を見ても、体内のどこが傷ついているのかは分からず、治療の方針を立てるのが難しい。銃弾は体内で真っすぐ進むとは限らず、回転したり、つぶれて広がったり、いくつもの破片に分かれて別の方向に進んだりするからだ。特に、拳銃ではなく小銃やライフルの弾丸は速度が速く、弾丸の通り道の周囲を広く傷つける。銃創の治療には土台として、銃創以外の重症外傷治療に関する専門的な技術と診療体制が必要だという。
そして、損傷の状況を知り、どこを手術するか決めたり、弾丸が体内に残っているかを確認したりするには、レントゲン撮影が役に立つと話した。一方で、銃創で患者がショック状態(血圧が大きく下がり、呼吸が苦しくなるなどしている状態)に陥っている場合、CT(コンピューター断層撮影)は「時間がかかり過ぎて無駄」と位置づけた。ただ、日本の現状はこの考え方通りになっておらず、改善が必要だと訴えた。日本外傷データバンクのデータでは、113人の銃創患者のうち、75人(66%)でCTが撮影されていた。
教授は「現在のわが国の外傷診療ではショック状態の患者でも、最初にCT撮影をしてしまう傾向が強い。特に外傷治療経験の少ない施設では『まずはCT撮影』という、他の救急疾患対応と同じやり方になってしまっている。これが銃創対応で大きなマイナスとなると心配している」と言う。
大友教授が講演で示したスライド。日本は外傷の初期診療体制は充実してきたが、重い外傷の外科治療体制と、その先にある銃創などの外科治療体制はまだ不十分だという病院到着から手術開始までの時間がカギ
さらに、重い銃創の場合については「大量の出血があるので(治療開始まで)一分一秒を争う」と指摘した。だから、患者の命を救うには、病院の手術室がすぐ使え、輸血もすぐにできる体制を日ごろから整えておく必要がある。米国での調査によると、胸や腹を銃で撃たれ、出血のため血圧が大きく下がった場合、病院到着から10分以上かかって手術室に入った患者の死亡率は、10分未満の患者の3倍近くに達していた。
ただ、日本ではこの「10分未満」を達成できる病院は多くないとみられる。大友教授によると、04年から14年までに日本で胸部や腹部から大きく出血し、止血のため緊急手術やカテーテル治療が行われた外傷患者の事例を調べた結果、病院到着から手術室入室まで平均97分かかっていたという。
そして、銃創を含めて日本の外傷治療を改善するには、多くの施設でばらばらに行われている重傷外傷治療を、数少ない施設に集中させることが必要だと訴えた。
担当施設には多くの治療スタッフを集中させて24時間いつでもすぐに重傷患者を治療できる体制を作る。その場合、施設間の距離は遠くなるので、ドクターヘリを活用するのがよいという。この構想が実現すると、たとえば「ヘリ出動から事故現場まで10分で着き、患者を病院まで運ぶのにさらに10分かけ、到着後は30分で手術開始」という診療手順が可能になるという。
回復し活躍した国松元警察庁長官
一方で大友教授は、救急室開胸を含め、重傷の外傷治療がうまくいった事例として、国松孝次・元警察庁長官が銃撃された事件を挙げた。
国松元長官は95年3月30日午前8時半ごろ、東京都荒川区の自宅近くで拳銃で撃たれ、日本医大病院(東京都文京区)に救急車で運ばれた。病院到着は8時57分。大声で呼びかければ目を開けられる程度の意識はあったが、出血のため、血圧は測定不能なほどに下がっていた。
国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃されたマンション玄関付近を調べる捜査員=東京都荒川区南千住で1995年3月30日
病院の救急医たちは9時20分に手術を始めた。腹を撃たれて胃に穴が開いたうえ、腹部の大動脈や、腎臓や膵臓(すいぞう)、小腸などが傷ついていた。傷ついた血管を縫い合わせる作業や、各臓器の修復、傷がひどくて修復できない部分の切除などが必要だった。手術中に何度も心臓が止まり、心臓マッサージが繰り返された。心臓に電流を流して回復させる「除細動」も6回行った。
病院には当時、多人数の警察官が送りこまれた。病院はこの人たちから次々と採血をし、もともと準備してあった血液と合わせて輸血に使った。採血したばかりの血は止血の効果が高く、治療に役立ったという。手術中の輸血は合計で11.6リットルだった。一般に、体重60kgの人の血液量は5リットル弱とされる。国松元長官には人間2人分以上の血が輸血されたことになる。
医師たちは午後1時55分に手術をいったん中断した。国松元長官の体に過度の負担がかかるのを避けるためだった。その後、8時45分から再開。傷ついた腎臓を摘出するなどして、9時55分に終えたという。
国松元長官はリハビリに励み、3カ月あまり後の7月11日に退院した。今は認定NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」(東京都千代田区)の会長として、医師らがヘリコプターに乗って重症の救急患者のもとに飛ぶ「ドクターヘリ」の普及に力を入れている。
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たかぎ・しょうご 1966年生まれ。88年毎日新聞社入社。94年から東京、大阪両本社科学環境部、東京本社社会部などで医療や原発などを取材。つくば支局長、柏崎通信部などを経て、17年に東京本社特別報道グループ、18年4月から医療プレミア編集部記者。