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地上天国の建設を
1975年2月16日 御聖誕祭
ベルベディアにて
地上に神の国を
君達も知っているとおり、先生の生涯というものは自分一人に限った生涯の道を行かれない立場であるということは、君達よく知っておると思います。
先生が行くその道は、君達が追いかけて行かなければならない道だから、先生が行く道にこういうふうにカーブをつくった場合には万民共がそのカーブにならって行くことになる。だから、このカーブの為に数多くの後孫においての犠牲がなされるということを思った時に、それは恵まれない生涯であるということを君達は思うことでしょう。
神の摂理においての復帰路程というものは、時代的において、代表者、あるいは預言者とか特別に選定された預言者を中心として、その行かれた人、預言者が成し得たその個人的、家庭的、民族的、国家的、世界的段階の歩んでいった道を、後孫達はそれは愛して踏んでいかなければならないというのが、これは原理原則になっているのであります。
君達も知っているように、旧約時代におきましてはそのイスラエル民族いわゆるヤコブを中心として勝利したその基台によって生まれたイスラエル民族としては、そのヤコブが行った道を追いついて行かねばなりません。
それからヤコブは家庭の中心のイスラエルの勝利圏をつくったとするならば、それにつけ加えて民族的勝利圏を成し得たのがモーセであります。だからイスラエル民族が民族的編成を成し得た場合には、モーセの法律に従ってゆかなければならないことになっているのであります。
そういうふうにして旧約時代はイスラエル民族を編成して一つの国の基準を正して、その国の編成されたその中心に国の代表者であるメシヤが来た場合に、そのメシヤの伝統を受け継いで民族から世界へと発展するような基準になる訳であったのであります。だからその時代において、国を基台として世界に備える道が開かれたとするならば、イスラエル民族は今のように国をなくし世界のほうぼうに散らばって、数多くの民族に迫害されるような道は生まれるはずではなくして、そのイスラエル民族を中心としてローマ帝国をそれは収拾すると共に、世界を一つにつくった勝利的基準になるわけであったのであります。
そうであったとするならば、イエス様を中心として個人的摂理完成基準はもちろん、家庭的完成基準、国家的完成基準は皆成されるのであって、イエス様を信じる者は、イエス様を受け入れる者は、世界的勝利基台に立つような基準に立つべきであったのであります。だから過去における個人的基台、あるいは数多くの者が氏族の基台、あるいは民族の基台と、たくさんの人が復帰摂理において成した事を、イエス様一代において総まとめにしてイエス様がその勝利の結実体として生まれてきたのだから、その方の行かれた道は歴史的勝利の道として霊肉共の世界的な、いわゆるハイウエイとなるべきであった。
もしもそうなったとするならば、イエス様が再び来る必要はありません。だからイエスが死んだ為にどうなったかといえばイスラエルの民族的国家基準が崩れてしまい、それから全ての外的内的基準が完全に崩壊されて、霊的基準を中心として再び正さなければならないのがキリスト教の二千年の歴史であったのであります。即ち、霊的な世界的基盤がキリスト教である。そうすれば肉的世界基盤は誰がそれを成し得るかという事が問題となるのです。それは再臨の主が来られて、その霊的勝利基台を受け継いで、霊的キリスト教圏の勝利基台を勝利的に受け継いだ基盤を持ちえない以上は、肉的勝利基盤は生まれてくることができません。
そういう立場からみた場合に、イスラエル的旧約時代よりもかえってそれは基盤になっていないという話になります。旧約時代は、選民イスラエルを中心として国という、メシヤを国自体が侍る、むかえる、全体がメキヤを一つの国の中にむかえるというような固まった基台になった時があったけれども、今世界的になったこのキリスト教圏において、どこにそのメシヤが来るや、一つの国とかそういうのは無いのです。それ決まっていない。アメリカに来るとかそういうの無いんだね。キリスト教会の代表であるアメリカにしても、アメリカに再臨の主が来られるという決定的基準を成し得ていない。
ここにおいて旧約時代の四千年の歴史、これは霊肉共の個人に対する霊肉共の家庭、民族、国家という基準がなされてきた。ところがそれは霊肉共でなく霊的であって、決まっていない。だからキリスト教はいずこに再臨の主が来るかわからない。だからこれが霊的圏だから肉的圏を再びつくらなければならないのです。
こういうふうにして世界的な霊的勝利のキリスト教圏まで霊肉の結束を成さなければ神の摂理を世界的に発展させることができない、こういう問題が残っているのであります。
我々人間が願っている、その理想的国というのは、霊的天国を願うのではなくして、霊肉共に完成して神を中心に霊肉共に侍る愛のひきいられる世界を願っているのであります。再臨の主が来られるというのならば、それは元の最初の使命が完成されなかったのだから再び来るのであって、今までのクリスチャンが信じているように雲に乗って天使のラッパの音と共に現われて来られるとするならば、それは大変な事になるでしょう。それでイエス様は昇天する前に、ペテロに天国の鍵を与えながら、君が地上に解くすべては天国において解かれるし、君がつなげば天国につながれると言われました。問題は罪を犯したのは霊界でも天国でもなくして地上なのだから、地上において全てを解決しなければ完全なる完成圏は神自体から認めることができないという。これは最も理論的であります。だから問題はこの地上である。地上が問題であると。
再臨主は肉身をもって来る
まあ、新しく来た人の為に一言、言っておきましょう。絶対なる神、神様は唯一、不変、永遠なる神である。だから神が定めた御旨というのは、普通の人間みたいに朝決めて夕べ変わるような、そういう御旨ではありません。一度決めたら永遠であり、絶対であり、唯一である。だから神の御旨を成すということは一体何であるかが問題である。神一人では御旨を成すことはできません。神はその御旨を果たす為にこの世界、万物を創造したのだからその御旨を成すにはアダム・エバを中心としてこれを成されるようになっている。結局神の御旨はアダムとエバと神と共に三人が組み合って果たされるというのが正当な結論であります。もし堕落しなかったとするならばどうなったであろうか。神の御旨が果たされたでありましょうか、果たされなかったでありましょうか。(ハイ)正にそれはまちがいなく、神の御旨は果たされた。結局、神の御旨はアダムっきり、アダムによって始まりアダムによって終るようになっている。第三者が介入することはできません。
アダムを中心として最初完成することになった場合には、後孫がその伝統を受け継いだならば御旨完成圏が広がるようになっている。だから堕落したというのは、御旨が成されなかったということである。誰がそれを成されないようにしたかというと、それはアダムだ。アダム。誰がこれを完成するようにしなければならないか。それもアダムです。アダムが堕落して成し得なかったから、堕落しないで成すべきアダムという使命が残っている。アダムが完成されなければならない使命が残っているというのが、これがその理論だね。だからこの堕落世界に神様が人をよこすとするならば、御旨を果たす為によこす。そうして御旨を果たす為によこすその人は一体どういう使命を持っているかといえば、言うまでもなくアダムの使命を持ってこなければならないというのが当然の結論である。
だから神様がいられる以上は、この堕落した人間を救うと言われるのだから、救いの中心的存在、あるいは救いによって御旨が完成する存在者とは、一体どういうような使命を持って来る者や。アダムが堕落したより以上の完成圏に立ったアダムの使命を受け継いで、それを完成して御旨を受け継がせる為に来られる者でなければならないと言うのはむりなのであります。だから世界を救う為に来られる者として結局誰が来なければならないかと言えが、堕落したアダムではなくして完成すべき使命を持ったアダムが来なければならないというのが、これは推理的結論としては正しいのです。
神がイスラエル民族からズーッと成して来たのは何かと言えば、小さい子供のアダム、小さい幼稚園のアダムから小学校のアダム、中学校のアダム、高等学校のアダム、大学のアダム、それから学位を持ったアダムというように育て上げなければならないことです。幼稚園から小学校、中学校、高等学校、大学。ズーッと大きな恰好をして一番偉い総長である者を神様は考えているのだから、その総長様は誰かと言うと、メシヤという者だ。(拍手)
神様から求める博士の学位、地上、天上、完成した学位をその特権とするんだね。それは一体何か。それが完成した“アダム”。神の心情、肉的、心的、愛的、全てによって神と一つになって御旨完成を果し得たという代表的存在であるべきアダムの完成者として来られるその者がメシヤである。そうなった場合は、イエスがメシヤとして来られたとするならば、そのイエスの価値的存在、その使命的存在はどういうものか。アダム完成した基準になって御旨を堕落させないで、御旨を完成して使命を果たすべきそのアダムの位置において来られた者がイエスであった。だからアダムを中心として完成されるように、そのメシヤという者は第二の完成アダムである。
しかし、イエス様は十字架につけられたのだから、アダムのアダムとして成すべき神の御旨は完成されずに延長されたのだから、再び成さなければならない。このメシヤとして成すべき神の御旨は完成されずに延長されたのだから、再び成さなければならない。このメシヤと称される主人が再び現れなければならないから、再臨という言葉を残さざるを得ません。だから完成されるべき使命を持って第三アダム完成基準を持って来られるその方は、再臨のメシヤである。だから聖書には、イエス様が第二アダムと、コリント人への手紙にはイエス様を第二アダムとして来られたという事を指摘していますね。だから再臨という場合には、雲に乗って来られることできますか?(いいえアダム、アダムを中心として御旨完成を成そうとするその御旨を変えることはできない。どこまでも何回繰り返してもアダムを中心として結末をつけなければならないという、神の権威に触れるべき、そういう使命があるのです。
だから再臨のメシヤは肉身をもって来られるというのが、最も理論的である。絶対なる唯一なる神がただ一つ定めたその御旨は、サタンの侵入によって犯されるべきではない。キリスト教は雲に乗って来ると言う、化け物みたいだよ。(笑い)もしもそういう事ができるのであれば、二千年前にもう既に六千年前の堕落直後に、復帰は全て成し得ている。今まで六千年の歴史を延長する、こういう事をやる必要はありません。それで再臨の主はイエスとアダムの身代りとして来られる。だから一代で完成すべき事を、千代を通過して完成しようとするのが神の摂理である。
統一教会のメンバー達はまちがいなく再臨の主は肉身で来られるという絶対的信仰をこの原則によってもつようになりました。この原則から見た場合に統一教会が偉大や、キリスト教会が偉大や?(統一教会)こう見た場合に世の中というのはおもしろいね。偽り者が誠の者を偽り者として迫害するという、謎みたいな世界が今の世界だよ。君達は誠の者?(ハイ)偽り者だよ。(誠の者です)いや偽り者だよ。(誠の者です)絶対に?(ハイ・拍手)だから神は絶対的に誠なる者を求めている。さあ、そういうところが分かりましたね。
霊肉共の完成圏
さあ、こういうような基準から見た場合に、キリスト教会は一体どういうものか。
霊的アダム圏である。霊的なアダム世界である。
神がそういう世界を造ろうとしたの?(いいえ)霊肉完成した世界を造ろうとしたのに霊的完成を求めているキリスト教は、それはもういらないや。それで今キリスト教はイエスを霊的王様としている。その霊的王様を中心とした霊界、天国が地上ではなくして霊界にある。それで神の御旨と神の理想の天国が生まれると思う? 絶対にそれは生まれません。これは堕落の結果によって生まれた過程的天国であって、完成した天国ではありません。それでイエス様の祈りなどもそういう内容を良く知っているから、再臨という事を思った時に、大変な歴史的な蕩減の道が残るという事を知っていたのだから、ああいう三回も祈祷をせざるを得なかったと言うのも、尤もな理由があったからです。
そうすると霊的な基準を誰が肉的に一致させる使命を果たすや、これが今からの問題であると言うんだね。君達が?(ハイ) 誰がやる、誰が。アダムが成し得ず霊的にのみ成したのだから、残された肉的基準は誰がしなければならないかと言えばアダムがしなければならない。イエス様が残したのだけれど、御旨から見た場合には再臨主が担当して来るのだから、それを完成して又来なければならないのは尤もな話である。
個人、家庭、氏族、国家、世界、そして天宙までこうして一本の道がある。霊的に肉的に誰かが合わさなければならない。それを誰がやるか。(メシヤです)再臨のメシヤが来てしなくてはならない。結局そのイエス様がメシヤの使命を受けついだのだから、これを完成した第三のメシヤがしなければならない。メシヤが来られると、肉的拡大を願う神だから、キリスト教の信者達は、再臨の主が来られれば「一つになれ」という一つの教育をなしてきた。「再臨の主、再臨の主」と言うようにして、一つになるように教えたのがキリスト教の二千年の教育だった。問題は何も分からないで、ただ雲に乗って来ることばかりを信じていた。だからそこが問題になった。昔の旧約時代もそう信じたのだから、イエス様の頃も信じた。だから今も、同じような歴史を蕩減反復する。それを彼等は知らないんだけど我々統一教会だけは知っているんだね。誰によって? 先生によって。だから先生が問題になって、この地上に登場するようになった。
君達も知っているように韓国のキリスト教、イスラエルのユダヤ教とイスラエルが一つになってメシヤが来られたとするならば、その時より一点に個人完成、霊肉共、家庭霊肉共完成、氏族霊肉共完成、民族霊肉共完成、国家霊肉共完成して世界的霊肉共の出発点を成すべきなのが、それがメシヤの使命でありました。しかし、それを信じなかった為に十字架につけられたと言うことは、同じように韓国自体におきましても、韓国と韓国のキリスト教が先生と一つになったとするならば、この摂理は七年間で全てが終りになる。そうなった場合には先生がアメリカに来て、こういう事する必要はありません。韓国がああいうふうに二つに別れて、悲惨な国になるはずはありません。そのイエス様が成し得なかった国家的基準を中心として、イエス様とユダヤ教が一つになり得なかったキリスト教統合基盤を中心として直ちに世界に出られたのであります。しかしアメリカも、その時は韓国自体はアメリカの保護圏にあったんだから、すぐ、その時はアメリカの軍事政権の統治下にあったんだから、すぐアメリカに及び、反対した故に二千年の歴史と同じようにそういう蕩減の道が、かくのごとく延長され、蕩減の道を再び民族共に先生共に行かなくてはならないようになりました。
先生はまずもって霊的世界を受け継がなければ御旨の接合点を見い出すことはできません。それを皆迫害するものだから、それが皆崩れて行ったんだから、再び霊的基準の基台を自分自身がつくらなければならない。それで韓国において、国家基準においてイエス様が失敗したのでその霊的基盤であるユダヤ教を中心として肉的基盤である新約聖書と一致させるような事を成すように、内的においてはキリスト教の身代りとして統一教会をつくったんだから、肉的基準において一致させるような事を個人、家庭、氏族圏等に拡張して来たのであります。わかります?(ハイ)これをはっきり分らなければ歴史がどういうふうに摂理路程を中心として発展してゆくかということを、現実性を帯びて引き出す事ができません。
イエス様の三十三歳から出発した。三十四歳から四十歳までは、これは国家的キリスト教の七年路程だね。家庭が出発できる七年路程である。そして先生はこの家庭基準から出発した。これが一九六〇年、だから一九六〇年は歴史的な転換期であるね。これからは二千年の蕩減であると言うんだね。これを分ければ、第一次七年路程、第二次七年路程、第三次七年路程となる。しかし第一次七年路程は旧約時代にあたり、第二次七年路程は新約時代にあたり、第三次七年路程は成約時代にあたる。それを見れば旧約時代の目的は何かと言うと家庭を中心にしてメシヤの家庭に向かってきたと言える。霊肉が分かれているから、その七年間において再び結束するようなことを成すことである。第二次七年路程は新約時代のイエス様を中心として、いわゆる弟子とそれから門徒達とが一つになり得なかったのを蕩減復帰する時代にある。それを成し得る期間が今までの統一教会の七年だったから、この七年路程においては、十二双あるいは三十六、七十二、百二十四、四百三十、七百七十七双の結婚式、こういうものが氏族編成の支柱をなしている。
こういうふうにして第三次七年路程をむかえる前に第二次七年路程はイエス様、新約時代完成圏にあるから、新約時代は霊肉共に分かれたらいけないんだね。だから新約時代におきまして霊肉共に分かれないような基準を韓国につくって、それは世界的霊的その基準を残しているから、それを繋ぐ為の先生のアメリカにおいての三年間の活動であると言うんだね。だからアメリカはキリスト教の王国だ。数多くのクリスチャンが集まって編成したものである。それが霊肉堕落して、これが永遠に神のような霊肉共の国とはちょっとも思わないんだね。それは霊的なキリスト教の王国だね。それは韓国において霊肉共に勝利基準をとどめておいて、先生自体がこれまでの世界的霊的基準を受け継いで、再び韓国に帰って霊肉世界的な出発点を引き出して霊的勝利基準に一致させる運動をしなくてはならない。それでアメリカにおいての三年間の期間は、イエス様を中心とした霊肉共の三年間を国家的基準から世界へ拡大しようとしたのを再び霊肉共に蕩減勝利し得るそういう一致圏を求める期間である。一九七二年からの三年間に霊的基準を蕩減復帰し、一九七五年から三年間は肉的蕩減の三年間として一致させて、世界的霊肉共の完成圏を成し得た場合には、それで統一教会の使命は一段落を終えるようになる。
三年間の再出発
だからアメリカにおいて三年間は先生、講演する。それでアメリカを攻撃して三年間で先生は大勝利をした。勝利したんだから韓国に帰るね。それで韓国に帰って何するか。肉的世界出発を成し得るようなとりつぎを国家的にしなくてはならない。それで今韓国に帰って何をやったかと言うと、国家的基準から世界的肉的基準が、天界より地界がとりついで、これを連携させるような条件を満たしてその基台をつくって帰ったのが今ここについたばかりであります。
君達は不思議に思うかも知れない。先生は韓国で公的立場に一回も立たないで、何故アメリカに来てこういう公的な大講演をするかと。
メシヤの行くべき道は国家基準から世界です。韓国からアメリカにむかってのその基準は霊的ではあるんだけれども、世界にむかって進む道だから先生が公的に立つことができる。霊的勝利基準をずーっと今韓国にもっていって、霊的世界的一国上を出発させるそういう立場、段階に立ったんだから、初めて韓国において公的な立場に立つことができる。
それで韓国で今年初めて大衆の前に立って、先生が講演をするようになったね。それが一月十六日のバンケットです。その時はもう、韓国の肉的最高クラス、国を動かせる最高クラスを招いて話しをした。それこそ歴史以来において文先生初めて、こういうように、逆さまにしてしまうような、そういう事が起こらなければならない事が正しく起こってしまった。大成功であった。天地がひっくりかえるような、そういう…(拍手)それが一日であったんだけど、その一日が遇然の一日ではなくして、霊肉共なる世界的な出発の因縁を結びつける歴史転換的基準であったという事を、誰も知らないのだけれど先生は知っていたね。
それで先生はいかなる先生か。今までいろんな噂に立つ。そういうような文先生が自分たちを知らなかった世界的英雄である文先生だ。そういう噂だね。(拍手)韓国人、韓国においては歴史的にそうだが、今も、未来にもこういうような事をやれるような方は生まれて来ないと言う、そういうような噂になっていたね。(拍手)それで初めて先生がどんな人であるやという事をね、最高クラスにおいて認める、そういう役割をしたのが一月十六日のバンケットの仕事であった。(拍手)
それで統一教会の先生自体を証しし、それから統一教会の家庭の証しをする。
家庭がいかなる力があるのか、世界的に家庭の意義を、堂々たる姿を見せようとするのが、いわゆるその今度の合同結婚式であったと言うんだね。それは二十ヵ国の青年達が、文先生が韓国において「あー、皆来い」と言えば、もう各国がすぐに集まって来る。これは韓国人としては東洋人、誰でも夢見るよ。アメリカ人だってそれは信じられない。
結婚式で先生は歴史に無い記録を破ったよ。それは一日間に八九一双も組んでやった。(拍手)アメリカを出発して四三日間に世界的な事件を起こしてきたね。
それで今度三番目には四月には国際的な我々統一教会の青年が本国を攻めるんだね。(拍手)統一教会が無ければ韓国は救われない、それはもう事実そう認めているんだけれども、正しくそれは決定的に認めざるを得ないような基準になると思うんだね。
それは韓国ばかりではなくして日本が又問題だよ。今度日本に来た時に武道館に二万名の大集会を起こして、東京から日本全国に問題を起こしたね。(拍手)それで韓国と日本に爆弾が落っこちた。天的爆弾が。(笑い)それでアメリカに今上陸した。まさに上陸したばかりと言うんだね。(拍手)
アメリカで今から何するの?我々はヤンキースタジアムにむけて再出発するようになりました。(拍手)
だからアメリカにおいて蘇生クラスがマジソン・スクエア・ガーデン、長成クラスがヤンキースタジアム、完成スラスがワシントン大会とこうなるんだね。(拍手)
もしもヤンキースタジアムを超満員にして、ワシントン大会まで短期間にやりぬく為に、アメリカの宗教界、政治界、経済界、全ての人々に呼びかける。君達はそれやる気になってるの?(ハイ)そうなったら先生もやる気になるよ。じゃ、そういうふうにして君達と先生と共にヤンキースタジアムを総攻撃してそれを成した場合には、今から問題が起こるよ。
今からが問題である。今アメリカに来たんだから、今朝は先生の生まれた日であるということを考えてみた場合に、今からは第三次七年路程を世界的に出発する、その間際になったんだね。それで今度アメリカに行かなきゃならないと急いで来たのは三次七年路程はこれら韓国と日本での勝利はアメリカで世界的な肉的な基盤を調整しなければならない摂理的使命があるから、三年間の再出発として、ここにアメリカにおいて誕生日をむかえなければならないと思って、先生は急いで帰って来ました。(拍手)
それで肉的基準において、韓国からアメリカをいかに三年間で動かすということが、世界的勝利勝敗を決める一つの峠になるであろう。三年間で勝利した場合にはキリスト教会は統一教会に吸収されてしまう。そうすれば大きい問題になるよ。いろいろと僑胞とかアメリカのキリスト教会とかね。これはそのまま統一教会とつながる。そうでなければ荒野の第一イスラエル民族みたいに皆、死骸になってしまう。第二イスラエルが、彼等の後孫が我々統一教会と一つになるようになって、その地上イスラエル天国圏に入るようになる。そうしてみれば、あなた達そうだよ。皆、統一教会は若いメンバーだが、これは何かと言うとイスラエルの第二世にあたる者だから、統一教会は若い者が集まらなくてはならないと言うのは尤もの源理的結論である。皆、若い者ばかり集まっているや、親爺がいなくてね。だから既成教会から見た場合には、不思議でたまらない。
じゃ、この統一教会は西洋人は皆、東洋人の顔を持ったレバレント・ムーンが引きいるのに、アメリカでも有名な学者がいるのに、彼らの下にあっても一人も若い者が集まらないで、何故、この通訳をしている文さんに皆引っぱられて行くか。(笑い)昨年一年と二ヵ月、アメリカをグルーッとアメリカに問題を起こしたレバレント・ムーンと一体となって復帰問題を研究しなければならない問題になって来るよ。何がそういうふうにしたの。今から前の三年間にやった事と今から三年にやる事でこれだけのメンバーをね、燃え上がっている者をこれぐらい遣わせば、もうアメリカに肉的三年間の基準を立てるのはこれは完全に問題ないと思うんだね。ところが先生は七十二年に七十二名を基準とした。これはあまりに多いよね。
もし君達が一体となった場合には肉的三年間においてアメリカ全ての全国をこれ取り上げてしまおうとして取り上げてしまうような事も起こるであう。そういうような自信を持って成す事が勝敗を決める事になる。
それでこの三年間にアメリカ国家自体が、今からの内外的な連命を決しなければならない重大圏に立っているのであります。それは、キリスト教自体が永遠に谷底に落ちてしまうか、再び起き上がるかという、こういうアメリカの二百年の歴史を前後にして、三年前後を中心として勝敗の頂点になると言うのは摂理的にそうならざるを得ない期間だからそうなるのです。
だから今ここに集まっている統一教会全ては、それこそ一体になってあらゆる環境の副作用もあるだろうけれども、心身共に一つになって世界の全てのものにぶつかった場合には、我々は勝利し得ると言う決意のもとに出発しなければならない。この三年間と言うのは歴史的期間において神様を中心として見た場合には一番重大な期間であると共に、最後の前にも無き後にも無き、最後の二年間になるであろう。
それを考えてみた場合に、あなた達はイエス様が三年公的路程において弟子と共に歩んだのが歴史的希望の旅行になったと同じように、これは歴史以降におきまして万年の後世におきまして人間として最高の希望の期間に留まるというのはまちがいない。
もしも君達の先祖が善なる事を成して来たとするならば、その善なる結実をどの期間に結びたいかと聞いたとするならば、この歴史最後の三年間期間においてその結実を結びたいと答えるだろう。現実に世界人類にもしも聞いたとするならば、君達は最高の希望として働きたいその立場は、ここと言えば、この三年の期間が自分達の希望の働き場だと答えるであろう。今後、歴史的なその未来におきまして、我々の後孫として誉りとし、願いの勝利を讃える事があったとするならば、我々先祖としてこの三年間に働いたその歴史的条件をかかげてあるからこそ、そういう事になると思う。
先生を中心として考えてみた場合には、韓国のある僻地、田舎から生まれたその者が韓国を通してアメリカという世界の中心国家に来てこういう働きかけを成すようになったのは、それは文先生一人の要求によって成したのではない。神あればこそこういう事になったと言うことは、これは復帰摂理の歴史を通して認めざるを得ません。その間に、ここまで来る間にいろいろな迫害の道、いろいろな惨めな環境に触れて来たのだけれど、その全ては文と言う一人の男を滅ぼさせる為に、あるいはそれを無くす為にそういう事をしたのではなくして、あらゆる天と地の祝福を授ける条件を満たす為に神は苦労の道を授けて来たと、こう思って今になって感謝するのであります。
そういう観点から見た場合にこのアメリカにむけての最後の最後の三年間におきまして、天地共の全ての祝福を今だに神の方が結べるか、サタンの方に盗まれるかと言うようなその間際に立って、我々が苦労を覚悟しながら全てにそれを蕩減して、全てに犠牲を払って感謝して行くようにこれを蕩減して、四方八方に拡大して行くとするならば、そして全ての祝福を成す御恵みの条件を授ける為にと思って我々は感謝して戦いぬいたならば、全ての勝利は我々のものにならざるを得ません。
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