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毎日新聞 2023/12/5 06:00(最終更新 12/5 06:00) 有料記事 2316文字
高坂正堯の「最新作」、鶴見俊輔の評伝、韓国人研究者の著作=2023年11月29日午後1時45分、鈴木英生撮影
<現在イスラエルが中東でやっていることを見ると、気が気ではありません>。今のガザ侵攻の話ではない。33年前、国際政治学者の高坂正堯(1934~96年)の言葉だ。当時はインティファーダと呼ばれるパレスチナ人の抵抗運動が弾圧されていた。この発言を含む高坂の講演録「歴史としての二十世紀」(新潮選書)が先月刊行された。今年は本書など戦後の論壇を振り返り今を考えるのによい本が何冊か出た。年の暮れにまとめて紹介しておく。
「歴史としての~」は、90年1~6月の連続講演を初活字化した「新刊本」である。講演の前年はドミノ倒しで東欧の民主化が進み、11月にベルリンの壁が崩れた。パレスチナ問題や中国・天安門事件はあれど、世界はおおむね良くなったと誰もが信じた。
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なのに高坂は違った。本書冒頭から<共産主義の崩壊によって大きな物語が世界では通用しないという否定的側面>が明らかになったとする。後の方では、高坂らが擁護してきたはずの<資本主義と大衆民主主義の組み合わせは共産主義と同じくらい問題が多い>とさえ言う。
他にも、過去を振り返ることで今を予言するような言葉が次々に出てくる。第一次大戦の発火点となったバルカン半島について語れば、似た問題を抱える地域としてソ連領(当時)のナゴルノカラバフをあげるといった具合だ。言うまでもなく、今年9月の軍事衝突でアゼルバイジャンがアルメニア側に勝った係争地である。
教え子の田所昌幸国際大特任教授(67)によると、高坂は当時、冷戦後の平和を「まあせいぜい20~30年やろ」と予測していた。人間は戦争をなくせるほど賢くない、と。果たせるかな、世界はウクライナ危機を筆頭とする戦争の時代へ逆戻りした。
11月半ばの発売後すぐ増刷して計9000部、読者層は30~40代が半分と比較的若い。新潮選書の三辺直太編集長(51)は「部数も年齢層も近年の選書では異例です。電子書籍でもよく読まれています」。
今どきは、ウクライナにせよパレスチナにせよ、国際情勢などのインターネット上の議論は玉石混交すぎる。どの立場の誰のものかだけで脊髄(せきずい)反射的に支持されたり、非難されたり。そんな時代に「既に評価の定まった故人の言葉は、落ち着いて安心して読めるのかもしれません」と三辺編集長。
国際政治学者の高坂正堯
本の中で、近代経済学の父、アダム・スミスに触れた箇所が気になった。政府の市場介入や規制を批判したアダム・スミスだが、著作をよくよく読むと、市場経済が万能とは言い切っていない。優れた思想家は自己の思考の矛盾点に<但(ただ)し書き>を付けて議論を進めるのだ。ところが、後の学者らはその微妙なニュアンスを省いて要約してしまう。孫引きで理解する人は言わずもがな。結局、話は無味乾燥になり、時に原理主義化、先鋭化してゆく。
このくだりから、私の連想が6月刊行の「鶴見俊輔 混沌の哲学」(高草木光一著、岩波書店)へ飛んだ。鶴見俊輔(22~2015年)の一般的評価は、護憲平和主義の市民派哲学者と相場が決まっている。本書は、その鶴見がいかに「但し書き」だらけの人物だったかを描く。
結成メンバーだった「ベトナムに平和を!市民連合」が巨大化すると批判的になり、自分の中には<好戦・厭戦(えんせん)・反戦>が入り乱れているなどと、ややこしく言い出した。三島由紀夫の割腹自殺に<あいつはいいやつだったな>とまで言い、右翼理論家の葦津珍彦(あしづ・うずひこ)を高く評価した。
護憲も反戦も本気で本音。それらを強く訴えた鶴見は、同時に自分の意見は間違っているとも感じ続けた。まさに矛盾点の塊だ。絶対的な正義を嫌い、自分は「悪人」だと言い続けた。
高坂と鶴見は似ている。表向き正反対だが。高坂は自民党政府に近く、晩年は改憲を主張した。鶴見はアナキズムを評価し草の根に社会変革の芽を探った。何よりも60年代初め、鶴見が編集委員を務めた雑誌「思想の科学」が、版元だった中央公論社から離れた後、高坂は雑誌「中央公論」で論壇デビューした。革新から保守へ論壇の軸が変わるきっかけとなった出来事だ。当時を知る人には「ふたりを一緒にするな」と怒られそうだが、自らの主張や陣営を絶対視しない姿勢は、どうしても似て感じられる。
哲学者の鶴見俊輔=京都市左京区で2009年1月21日、望月亮一撮影
高坂は「歴史としての~」をこう締めくくった。<二十一世紀には、どんな多様性があり、どういう生き方が世界と共存できるかが最大のテーマになるでしょう>。現実の21世紀は、X(ツイッター)でインフルエンサーの号令一下、特定の論者が集中砲火を浴びるような時代になってしまった。皮肉にも今、高坂や鶴見の寛容さや懐疑、要はリベラルさに学ぶべきものは多い。
追加でもう1冊。10月刊の「基地国家の誕生」(南基正著、市村繁和訳、東京堂出版)は、戦後日本の「平和国家」イメージがどう成立したかなどを論じた。著者は韓国・ソウル大日本研究所長だ。
長年、日本の保守・タカ派は「平和国家」を乗り越えようと、革新・ハト派は守ろうとしてきた。だが実態は、日本は米軍に基地を提供する「基地国家」で、朝鮮戦争がいまだ休戦中の朝鮮半島は「戦場国家」である。「平和国家」像は、東アジアの安全保障体制の現実から国民の目を背けさせるイチジクの葉だった。特に50年代、政治学者の丸山真男(14~96年)らの議論が、実はこの欺まんの成立に一役買っていたという。
「平和国家」のからくりを高坂や鶴見は重々承知していたはず。今の韓国人によるこの本をふたりがもし読んだら、どう思ったか。聞きたかった気がする。【オピニオン編集部・鈴木英生】
<※12月6日のコラムは外信部の堀山明子記者が執筆します>