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毎日新聞 2023/12/6 東京朝刊 有料記事 3376文字
経済協力開発機構(OECD)の2022年の国際学習到達度調査(PISA)で、日本の読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野は順位、得点のいずれも上昇した。義務教育段階の学力の高さが示されたが、好成績からは見えにくい、日本の教育の課題も横たわっている。
読解力向上、語彙力は欠如
前回18年に8位から15位に急落していた日本の「読解力」は、今回は3位でV字回復した。文部科学省が「主体的、対話的で深い学び」(アクティブラーニング)を掲げた学習指導要領を21年度から中学校で実施し、PISAの出題傾向と親和性の高い学習活動が広がったのが一因とみられる。
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これまでの出題を見ると企業のウェブサイトや雑誌記事などを示した上で、必要な情報を探し出させたり、内容の信頼性を評価させたりするなど実生活での課題解決力を問う内容だ。
「読解力は、かねて日本の子供の課題。(PISAが測る)『情報を探し出す』といった学びを進めてきた学校の取り組みが影響した可能性はある」と文科省担当者は分析した。
03年の調査では、日本は読解力が8位から14位に急落し、文科省に「PISAショック」を与えた。これが学校での学習量を見直す「脱ゆとり教育」の契機となり、アクティブラーニングを重視する後の指導要領へとつながった。
国語の教科書では、実用的な文章を取り上げる例が目立ち、他の教科でもいくつものデータや文章を基に子供に考えさせる構成が導入されるようになった。21年に始まった「大学入学共通テスト」でも、文章を読み比べながら情報を整理する問題が教科・科目の壁を越えて出された。一つの帰結点である大学入試までもが変わったことで、学校も子供も学習内容の変化に対応せざるを得なくなった。
「前回のPISA結果が示されて以降、読解力を問う問題は多くなったようだ」。千葉県八千代市の個別指導塾「スクールIE 八千代中央校」の教室長、宮野佑隆さん(33)は言う。
宮野さんによると、県内の高校入試や中学校の定期テストでは、漢字などの知識量を試す問題に代わり、読解力や思考力を測る問題の割合が増えたという。一方、「読解が得意な子は多いが、『子供でも知っている』と思って使った言葉を理解してもらえないことが多々ある」と語彙(ごい)力の欠如を指摘する。
中高で国語教員の経験がある名古屋外国語大の村上慎一教授(国語教育)も同様の危機感を抱く。「学生との会話で『やばい』『うざい』といった『感情語』を聞く機会が多くなった」。語彙や表現力が貧困になった背景には「PISAが求める能力を養う方向にかじを切りすぎた国語教育の変化がある」とする。
高校の国語教科書には、従来の教科書にも採用されている定番の小説などと並んで、「実用的な文章」の一環として「ニンジンをイチョウ切りにする方法」に関する文章などが掲載されているものもあるという。
村上教授は「中学や高校の国語教育の目的は、評論や小説に書かれた言葉を通して世界認識を深め、人の心を理解することにもある」と指摘。「『実用的な文章』は、読むために特別な訓練を積む必要はない。学校での訓練はPISAの成績向上には役立つかもしれないが、自らの人生を深く考えて歩む、真の『生きる力』は養えないのではないか」と危惧した。【李英浩】
理系、伸びぬ探究心
総合学習の授業で、数学を使ったゲームの企画を発表する筑波大付属駒場中学校の生徒=東京都世田谷区で11月25日、深津誠撮影
「数学」の成績は5位で世界トップレベルの能力を保った。だが、義務教育を終えた15歳で到達度の高さが示されたのに、大学や高度な研究段階では理系の弱さが課題となっている。今回の調査では、実生活にからめて数学の課題を解くことに苦手意識がある実態も分かり、将来的な理系離れの理由の一端が浮かんだ。
数学の成績はOECD加盟国トップで、得点も過去最高タイの536点と好成績を残した。比較可能な2003年以降、全体でも10位を下回ったことはない。
21年度に中学校で全面実施された数学の学習指導要領は、日常生活の物事から数学的に問題を見つけたり、解決したりする「探究」活動を重視。新聞記事や統計データなどの資料から数学的に解釈する力を測る「PISA型」の学力と同じ方向性を目指している。文部科学省は、こうしたスキルの育成も、好成績の維持に結びついたとみている。
ただ、今回の「質問調査」では、PISA型の数学の課題を解くことに対する「自己効力感」(自信)が参加81の国と地域で最も低かった。例えば「実社会の問題から数学的側面を見つける」ことに「全然自信がない」「自信がない」と答えたのは計77・2%に上る。
授業で学校の先生が「日常生活の問題を数学を用いてどのように解決できるか考えるように言った」ことがあるか尋ねたのに対し、「まったく、またはほとんどない」としたのは38・2%に上り、OECD平均の26・0%よりも高い。
本来、学習指導要領が目指す「探究心」を伸ばせていない現状に、同省の担当者は「『数学が大好きだ』という生徒の割合もOECD平均より少なく、授業改善は道半ばだ」とする。
PISAでは「科学」も2位で、これまで6位以上をキープしている。だが、文科省が19~21年の平均論文発表数などを分析した「科学技術指標2023」で、多く引用される質の高い論文数がイランに抜かれ世界の国・地域で13位となるなど研究開発力の強化や理系人材の育成が急務になっている。
将来の伸び悩みを防ぐため、生徒の探究心を刺激しようとする学校もある。
11月下旬、国内屈指の進学校である筑波大付属駒場中学校(東京都世田谷区)では、3年生の男子生徒32人が総合学習の授業で「数学者がキャラクターとして登場するゲーム開発の企画」の内容を発表していた。
授業で学んだ数学の定理や歴史上の数学者を登場させながら「数学が苦手な人が楽しくなるようなゲーム」を考えるのがミッションで、放課後や休日を使い半年がかりで作った。数学科の須藤雄生教諭は「テストでの点の取り方を教えると、生徒から考える面白さを奪ってしまう。まずは目の前の課題に挑む楽しさを育てたい」と話す。
PISAの問題作成に携わった経験がある筑波大の清水美憲教授(数学教育)は「日本や韓国の学生が『数学』の成績は良いのに自信がないのは、受験へのプレッシャーも影響した可能性がある。中学校までに数学が日常生活に結びつく学びを経験することで、自発的に学ぶ『非認知能力』が高まるのではないか」と指摘した。【深津誠】
コロナ禍、影響最小限
日本の順位や成績を押し上げた背景には新型コロナウイルス禍でも一定の教育を維持できたことがある。
OECDの平均点は新型コロナの影響で前回18年調査と比べ3分野すべてで下がったが、日本はいずれも上昇。「新型コロナのため3カ月以上休校した」と答えた生徒の割合は、OECD平均が50・3%だったのに対し、日本は15・5%で、休校期間が比較的短かったことも影響したようだ。
「3カ月以上の休校」があった生徒の割合が71・3%のドイツは、数学で前回比25点減となるなど休校期間が長かった欧米諸国は大きくスコアを落とした。一方、得点が上昇したのは台湾や日本など13の国・地域にとどまった。
耳塚寛明・お茶の水女子大名誉教授(教育社会学)は「日本は休校期間の長期化を避け、コロナ禍の影響を最小限にとどめることができた点で世界でも例外的な存在」と分析する。
また、保護者の教育歴や家庭の蔵書数など生徒を取り巻く環境の指標(ESCS)と得点の関係を調べると、日本はESCS水準の低さが学力に及ぼす影響が小さかった。ESCSが最下位グループの生徒たちの中で、読解力の習熟度レベルが最下位層の「レベル1以下」に当たるのは、OECD平均が40・2%(前回比4・9ポイント増)。一方、日本は22・6%(同4・6ポイント減)で、学びの環境に恵まれない生徒の学力も高めることに成功した。
耳塚名誉教授は「ESCSが低い生徒は、学校以外で学びの機会に乏しく、休校が長くなると学力に影響する」と指摘。「厳しい家庭環境にある子供の学力を引き上げる教育が一定程度できたのだろう。ただ、フォローが行き届いていない子供も少なくなく、過大評価はすべきではない」と話した。【朝比奈由佳】