+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第10土曜日です。
御心の主・イエス・キリストとみ心の聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<『然り、然り』『否、否』と言いなさい。>
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。5・33「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
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「毎日のミサ・今日の黙想」です。
私たちは、今日の福音のことばを「正直さ」あるいは「誠実さ」についてのイエス様の教えとして心に刻むことができます。実際、「正直」と「誠実」の義務や徳は、すべての宗教や倫理の基本的な教えであり、社会の法を支える最も重要な力でもあります。
今日の福音のことばが、私たちに非常に重く響いてくるのは、現代社会が「真実」や「正直」よりも「虚偽」や「歪曲」を繰り返す文化の中で病んでいるからかもしれません。
しかし、よく考えてみると、一人の人の「正直さ」や「誠実さ」の価値は、その人の性格や外面的な態度だけにとどまらず、「真理」とどのように関わるかによって最終的に決まるのです。その人が「真理を受け入れる器」であるかどうかによって、深い人格的な次元での正直さと誠実さが測られるのだと思います。
ギリシャ哲学で「誠実さ」の徳を語るときに、「真理(アレーテイア)」という言葉が使われたのも、そのような理由からだったのでしょう。
そして、「真理を受け入れる器」となることは、人間の力だけでは、また人の徳や経験だけでは不可能であるということを、私たちは悟らなければなりません。真実は真理に通じており、「人間的な真理」というものも、実のところ、最も深いところで神に属するものであってこそ「真理」なのです。
今日の福音でイエス様が、空虚で誇張された誓いではなく、真実で謙遜な姿勢を強調されたのは、そうした意味があったのだと思います。
私たちの人生の中で、自分の「誠実さ」が試されるその瞬間ごとに、謙虚に主の助けを願い求め、「自分の真理」ではなく、「主のことば」にいっそう耳を傾けていくよう努めましょう。
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毎日の福音で主が教えてくださる真理の御言葉を私たちが広めることができ、人々が信仰の恵みを受け入れ、行いで応えることができますように!聖霊、来てくたさい。パクアグネス