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毎日新聞 2022/11/2 19:00(最終更新 11/2 19:00) 有料記事 2412文字
ピーター・スコット・モーガン博士。端末に映っているのは自身の分身(アバター)=スコット・モーガン基金提供
肉体を動かせなくても、仮想現実の中で不自由なく生き続ける――。英国のロボット工学者、ピーター・スコット・モーガン博士は「人類初の完全サイボーグ」を目指して自らを改造して機械と融合し、全身の筋肉が動かせなくなる難病を克服しようとしていた。志半ばの今年6月に64歳で死去したが、博士が希望を見いだしていたのは「脳と機械をつなぐ技術」だった。
技術で身体の限界超越
ピーターさんは2017年、徐々に筋肉が動かせなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と診断された。余命2年と宣告されて思い立ったのは、最新のテクノロジーで身体の限界を超越する道だった。
症状が進行すれば、食事や排せつが難しくなる。ピーターさんはまだ体が動かせる段階で、前もって胃ろうや人工肛門・ぼうこうを付ける手術を一気に受けた。気管を切開し、人工呼吸器も装着。体に多くのチューブがつながった状態でも操作できる電動車椅子を乗りこなした。
さらに、デジタル空間の中にコンピューターグラフィックス(CG)で自分の分身「アバター」を作成した。事前に録音した自分の声をもとにした合成音声と、視線による文字入力システムを組み合わせて、声が出せなくてもあたかも自分が話しているような世界を作り出した。
そうしてサイボーグ化した体を「ピーター2・0」と自称し、半生を記した同名の著書(邦題は「NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来」)は世界でベストセラーとなった。パートナーのフランシスさんによると、ピーターさんは視線入力システムでこの本を書き上げたという。
「これは病気や事故、老化によって生じる極度の身体障害を、最先端のテクノロジーで解決しようという挑戦です」。ピーターさんは自著でそう述べている。
これまでも常識を打ち破って生きることを体現してきた。1979年から苦楽をともにしたフランシスさんと05年に結婚式を挙げ、同性同士でも婚姻に準ずる権利を認める、英国のパートナーシップ制度に基づく最初のカップルになった。
在りし日のピーター・スコット・モーガン博士(右)と夫のフランシスさん=スコット・モーガン基金提供
フランシスさんは毎日新聞の取材に「ピーターは私の人生で最愛の人でした。私はまだ悲しみの中にあります。ピーターの物語が、重度障害に直面している人々が既成概念に挑戦し、必要な援助を求めるきっかけになることを望んでいます」と明かした。
人間のあり方を問う
ピーターさんの挑戦は、人間存在のあり方を問うものでもあった。再三にわたって「人工知能(AI)と融合する」と宣言。脳と機械をつなぐ技術「ブレーン・マシン・インターフェース(BMI)」と仮想現実を組み合わせ、脳が働きさえすれば自由に生き続けられると信じていた。
ALSでは症状が進行すると眼球まで動かせず、視線で合図を送れなくなることがある。「完全閉じ込め状態」と呼ばれ、意識があるにもかかわらず意思を伝えられないことに不安を抱く患者は多い。
ピーターさんはそうした閉じ込め状態をテクノロジーで乗り越えようとした。ハイテクの力で障害者の福祉向上を目指すため、ピーターさんらが設立した団体「スコット・モーガン基金」の特使、ラボン・ロバーツさんによると、ピーターさんはBMIを使った二つの方法を模索し、亡くなる直前まで専門家に質問を重ねていたという。
その一つは、機器を頭の外に装着するBMIの活用だ。「非侵襲型」という体にメスを入れないタイプで、ヘッドホンのような形をした機器などで脳波を解析し画面上で文字入力などができる装置を、すでに複数の企業が開発している。ピーターさんらはこれに注目していた。
自身の脳波を研究者と共に確認するピーター・スコット・モーガン博士=スコット・モーガン基金提供
英国の世界的な宇宙物理学者、故スティーブン・ホーキング博士もALS患者として知られ、体を動かしづらくても使える米インテルの意思伝達ソフトウエアを用いていた。ピーターさんらは、それと非侵襲型のBMIを連携させて活用することを検討していたという。インテルのチームが実際にピーターさんの脳波解析に訪れたこともあった。
頭部に電極を埋め込む
もう一つは、手術で脳の表面に機器を留め置く「侵襲型」のBMIで、将来的な利用を考えていた。米ベンチャー企業「パラドロミクス」は、頭部に電極を埋め込んで脳波を読み取ることで、考えるだけで合成音声による会話などができる機器を開発中だ。ピーターさんは完全閉じ込め状態になった後も意思伝達できるとして、同社の技術に可能性を見いだしていた。
意思伝達のため、頭部に埋め込んで脳神経細胞の働きを読み取る機器のイメージ図=米パラドロミクス社提供
同社は23年中にも、人体で最初の臨床試験をする予定だ。将来的には電気刺激による精神・神経疾患の治療も見据える。スコット・モーガン基金で技術顧問を務める同社のマット・アングル最高経営責任者は、開発中のBMI機器について「身体のまひからうつ病まで、脳に関する疾患の治療に使いたい。最終的には何百万人もの人々に利用が広がると考えています」と話す。
ピーターさんは、こうしたBMIを体内に埋め込めば、体を動かさなくても仮想空間の中で自由に行動できると考えていた。自著では、同じ仮想空間に入ったフランシスさんと出会う光景を描いている。
実際には非侵襲型のBMIを試し、考えるだけで意思伝達できる段階まできていたが、今年に入り容体が悪化し家族にみとられて亡くなった。
ALSの症状が進行していない段階でリスクを伴う手術に踏み切ったことについて、一部の医療関係者から批判されながらも、障害者にもより良く生きる権利があると主張し、変革を訴えたピーターさん。今は彼の人生を描いた映画の製作も進んでいるという。
ピーターさんのおいのアンドリューさんは「ピーターはテクノロジーに対する強い信念を持っていました。スコット・モーガン基金の主な使命は、支援技術の研究と普及に努め、『自分の体に閉じ込められている』と感じている人が、彼と同じような選択肢を持てるようにすることです。私はピーターの遺志をさらに継いでいきます」と語った。【池田知広】