|
毎日新聞 2024/1/16 06:00(最終更新 1/16 06:00) 有料記事 1090文字
垣ノ島遺跡から出土した足形付土版。亡くなった子の足形を文様をつけた粘土板に押しつけ、穴を開けて住居内にかけていたという=北海道函館市で2021年6月29日、貝塚太一撮影
縄文時代を初めて小学校で学んだ時、恥ずかしかった思い出が今も私につきまとう。自分の名字である「貝塚」を、「ゴミ捨て場」のような表現で教わったため、クラスメートの視線に顔を赤らめた記憶が残るからだ。
2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。4道県17遺跡で構成される遺跡群のうち、北海道内の6遺跡を巡った際、展示資料や学芸員の案内に接するうちに、深く縄文文化にひかれていった。同時に「貝塚」の説明に変化が見られ、不思議と自己肯定感が芽生えたことを覚えている。
Advertisement
函館市縄文文化交流センターの学芸員、太田哲也さん(51)は「縄文人は人や物など、あらゆる物質に魂が宿っていると信じていて、それを弔う場所が貝塚だったと今は考えられています。人なら生まれ変わりを願う。食べものなら豊漁や豊作を願う。亡くなった命や物質の『循環』を祈る場所だった可能性があります」と話す。何千年も前についての研究にはさまざまな説があると思うが、貝塚を名字に持つ人間としては、信仰と結びついた説を信じたい。
貝塚を伴う共同墓地だった高砂貝塚。祭祀(さいし)や儀礼のあり方を示すさまざまな遺物が見つかり、貝塚は貝殻が敷き詰められて復元されている=北海道洞爺湖町で2021年7月7日、貝塚太一撮影
実際に見た出土品の中で、ひときわ感情移入したものがあった。国内最大級の埋葬場「盛り土遺構」がある函館市の垣ノ島遺跡から出土した「足形付土版」だ。
約6500年前の土坑墓から、長さ約15センチ、幅約10センチの土版17点が見つかった。土版には小さな子どもの足跡がある。文様をつけた粘土版などに穴を明けて、住居内につるしていたとみられている。
成人のお墓からこの土版が見つかっていることなどから、亡くなった子どもの足形を土版にして残し、家の中でつるしたあと、親が亡くなった時に一緒に埋葬されたと考えられている。手のひらサイズの土版に残された小さな小さな足形。私たち夫婦の4人の子どもが生まれた時に、それぞれとった足形が脳裏に浮かんだ。4人それぞれ足形をとった時の思い出がよみがえる。確か、こんな大きさだったと思った。
北黄金貝塚にある「水場の祭祀(さいし)場」は発掘当時の状態で展示されている。使わなくなった道具を供養する場所で、出てきた石器などもそのまま置かれている=北海道伊達市で2021年7月7日、貝塚太一撮影
土版に残るのは亡くなった我が子の記録。そして、当時、説明してくれた学芸員の坪井睦美さんの「土版の裏や側面には、押しつけた時の親の手の跡もあって……」という言葉に、何千年も前に我が子を亡くした親の姿が目の前に広がり、胸が詰まった。
縄文時代の遺跡群に派手さはない。だが、じっくり説明を読んだり聞いたりすれば、太古の精神性に思いをはせることができる。物に宿る人の思い。何千年も前から、親の変わらぬ我が子への情愛がつながって、今の自分がいるように感じてならない。【北海道報道部写真グループ・貝塚太一】
<※1月17日のコラムはデジタル編集本部の牧野宏美記者が執筆します>