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毎日新聞 2022/11/11 06:00(最終更新 11/11 06:00) 有料記事 2047文字
リチウム開発の影響で水が減ったと訴えるウーゴ・フロレス・グティエレスさん=チリ北部アタカマ塩湖近くで2022年9月3日、中村聡也撮影
電気自動車(EV)のバッテリーや蓄電池の生産に不可欠なレアメタルの一つ、リチウム。脱炭素社会の「宝」は湖の中にも眠っている。
5000メートル級のアンデス山脈の裾野の砂漠に、うっすらと白い大地が見えた。南米チリの首都サンティアゴから北へ飛行機で2時間、さらに車で2時間の場所にあるアタカマ塩湖は標高2300メートルに位置する。隣国ボリビアのウユニ塩湖に次ぐ世界で2番目に大きな塩湖だ。
リチウム生産は鉱石から抽出する方法のほか、リチウムを含む塩水から取り出す方法がある。大半が岩塩に覆われるアタカマ塩湖にもリチウムがある。米地質調査所(USGS)によると、チリのリチウムの確認埋蔵量は世界全体の約4割に相当する920万トン。このうち、少なくとも3分の1がアタカマ塩湖にあるとみられている。
チリ・アタカマ塩湖
生産は1980年代に始まった。現在は地場企業SQMと世界的なリチウム生産大手の米アルベマールが手掛けており、ポンプからリチウムを含む地下水をくみ上げて人工池で天日干しにし、粉末にして出荷している。「リチウムは低炭素社会の実現に不可欠だ。我々は増産を続ける」。SQMの担当者は、リチウム開発の意義を強調する。
先住民の暮らしに異変
しかし、地元では戸惑いの声が上がる。
リチウム開発の影響で水が減ったと訴えるウーゴ・フロレス・グティエレスさんとリャマ=チリ北部アタカマ塩湖近くで2022年9月3日、中村聡也撮影
周辺のオアシスでは1万年以上前から先住民の「リカンアンタイ」が暮らしている。今も18カ所の村で約4000人が水資源と共生しているが、大量の水をくみ上げるリチウム生産がその暮らしに異変をもたらしている。
「水がどんどん減っている」。ラクダに似たリャマや羊、ヤギを放牧するウーゴ・フロレス・グティエレスさん(49)は不安を隠さない。以前は最大で200頭のリャマを飼っていたが、今は17頭。餌となる植物の生育が悪く、次々と死んだ。グティエレスさんは、リチウム生産による水資源の利用が原因だと考えており、「食用などにするリャマは自分たちにとって貴重な収入源。生活はどんどん苦しくなっている」と話す。トウモロコシなど農作物の生産量が落ち、観光資源のフラミンゴの生息数が減ったという先住民の証言もある。
SQMは2030年までに水の使用量を40%減らす取り組みを進めており、担当者は「先住民と環境に与える影響を最小限に抑えるべく努力している」と説明する。SQMは18年以降、毎年最大1500万ドル(約21億7600万円)、アルベマールは16年以降、チリ事業の売り上げの3・5%を補償金などとして周辺各村に分配している。それでも先住民の不安は払拭(ふっしょく)されておらず、アタカマ塩湖の生態系を研究する北部アントファガスタ大のクリスティナ・ドラドール准教授は「リチウムは重要素材だ。しかし、開発は先住民社会を変え、地域の自然環境も変えることを理解すべきだ」と指摘する。
アタカマ塩湖の数少ない水辺で餌を探す野生のフラミンゴ=チリ北部アタカマ塩湖で2022年9月2日、中村聡也撮影
リチウムは中南米の塩湖に集中して存在し、チリ、ボリビア、アルゼンチンの国境地帯は「リチウム・トライアングル」と呼ばれる。推定埋蔵量は計約5000万トン。世界の半分以上を占める。リチウムは現時点でほぼ代替する金属がなく、電気自動車(EV)の普及で爆発的に需要が伸びることは確実。アルゼンチンは生産を増やそうとしており、推定埋蔵量が世界最多のボリビアは既にリチウム生産を国有化。推定埋蔵量170万トンのメキシコも8月にリチウム生産の国営会社を設立した。かつて石油資源で中東諸国が富を得たように、脱炭素社会の到来を見据える南米諸国が資源を囲い込む動きを加速させている。
環境、人権、新たなリスクに
環境や人々の暮らしを犠牲にしたリチウムの調達をどう食い止めるか。ドイツでは来年1月に「デューデリジェンス(注意義務)法」が施行される。国内に拠点を置く一定規模以上の企業に、国内外での原材料の調達から生産、流通に至るまで人権侵害や環境汚染がないかを調査・報告することを義務付ける。違反すれば、平均年間売上高が4億ユーロ(約580億円)以上の企業では最大で平均年間売上高の2%の過料が科される。自然を破壊したり人権を侵害したりする方法で産出されたリチウムをドイツの自動車メーカーが使用すれば、この法令が適用される可能性がある。
北米国際自動車ショーで展示されたシボレーのピックアップトラック「シルバラード」のEV。脱ガソリン車への動きが加速していく中、EVの製造に欠かせないリチウムの需要拡大が確実視されている=米デトロイトで2022年9月14日、大久保渉撮影
リチウムのほぼ全量を輸入に頼る日本にとっても環境と人権への配慮は重い課題だ。政府は20年に「ビジネスと人権に関する行動計画」を策定。企業に対し、サプライチェーン(供給網)上の人権を重視するよう「期待」を表明しているが、ドイツのような法制化には至っていない。仮に問題ある方法で抽出されたリチウムを使ってEVを製造すれば、間接的に環境汚染や人権侵害に手を貸すことになりかねない。
パリ政治学院のジアコモ・ルシアニ教授(エネルギー地政学)は「これまで重要鉱物の採掘や精製が環境に与える影響は過小評価されてきた。だがEVの電池や再生エネが急速に拡大していく中、そのリスクが顕在化している」と指摘する。【サンペドロデアタカマ(チリ北部)で中村聡也、ベルリン念佛明奈】