+聖マリアの両親聖ヨアキムと聖アンナ記念日に、神に賛美をささげよう。
おはようございます。
今日は聖マリアの両親聖ヨアキムと聖アンナ記念日です。
愛の御心主・イエス・キリストと、私たちの母聖母マリア、聖ヨセフ、聖ヨアキムと聖アンナ、そして諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようにお祈りします。
*************聖ヨアキムと聖アンナは、ダビデの家系に属するユダ族に生まれました。
伝承によれば、聖母マリアの母である聖アンナは子を授かることができない身でありましたが、聖ヨアキムが荒れ野で40日間断食した後、神の摂理によってマリアが誕生したと言われています。
聖アンナへの信心は6世紀に東方教会で始まり、10世紀には西方教会全体に広まりました。
聖ヨアキムへの信心はそれよりもかなり後に始まりました(本日の典礼より)。
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マタイによる福音
<刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。>
そのとき、13・24イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」(マタイ13・24-30)
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毎日のミサの「 今日の黙想」です。
聖母マリアのご両親である聖ヨアキムと聖アンナの記念日にあたり、
「聖人」とはどのような方を指すのか、しばし心に思い巡らせてみます。
20世紀フランスを代表するカトリック哲学者であるマリタンの妻であり、
深い知性と霊性を兼ね備えた詩人であったロシア出身のライサ・マリタンが、
子どもたちのために書いた『聖トマス・アクィナス』という本の中に、
とても美しい一節があります。
「すべての聖人は、愛すべき存在です。
彼らが、神の心と私たち自身の心に届く善性を持っているからです。
しかし、すべての聖人はそれぞれ独特な美しさを持っています。
ちょうどすべての花が美しくても、それぞれに固有の美しさがあるように。」
彼女が子どもたちに語りかけたこの言葉を静かに味わっていると、
私たちは美しさなしには生きられないように、
聖人なしにも生きられないのではないかと思えてきます。
ヨアキム聖人とアンナ聖女が、どのような美しさをもってこの世を生き抜いたのか、
聖書は何も語っていません。
おふたりのお名前さえも、聖書ではなく「聖伝(せいでん/口承された伝承)」によるものです。
それにもかかわらず、早くから教会の中でおふたりの聖人への崇敬が根付いていたことは、
何ら不思議なことではありません。
救い主をお生みになった方は、その出来事そのものによって
救いの歴史の中で特別な位置を占めるからです。
人々は、この二人の聖人の独自の美しさを想像することに難しさを感じなかったでしょう。
なぜなら、聖母マリアの姿の中に、そのご両親の聖性と徳がそのまま映し出されていると
思われるからです。
ヨアキム聖人とアンナ聖女の美しさは、
柔和さと穏やかさ、そして知恵と謙遜をもって
神の御言葉を聴き、それを力強く守り抜いた姿だったに違いありません。
それは、現代を生きる私たちが、いま最も求め、憧れてやまない姿です。
たとえ私たちが聖人のような夢を抱かないとしても、
聖人に倣いたいという想いを心に抱いていられるなら、それで十分ではないでしょうか。
美しさを喜び、その美しさに感謝できるということ自体が、
すでにその美しさを分け与えられている道だからです。
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マリア様の御両親の信仰を見倣い、いつも主の御心を実現する良いキリスト者となれますように!
聖霊、来てください。パクアグネス