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毎日新聞 2024/1/23 東京夕刊 有料記事 923文字
おもちゃのピアノに夢中になる女の子=東京都内のデパートで、1953年10月撮影
「ピアノを習った時の話、あれって本当だったの?」。母が生きていたら尋ねてみたかった。
それは母から繰り返し聞かされた話。4歳の私は近所の小学生がピアノを習っているのを知って「習いたい」と母にせがんだ。家計の苦しい時期だったから母は困って「自分でピアノの先生に頼んでみたら」と返した。4歳児がそんなことするわけない、と思ったのだ。「ところがあんた、近所の家に上がり込んで、自分で先生に頭を下げたらしいんよ。普段はおとなしい子やのに、あの時はあきれたわ」。そう話す母はいつも、どこか少し誇らしげだった。
復興した国産ピアノの普及のため、全国メーカー20社が40台を出品して開かれた戦後初めてのピアノ展。連日多くの人でにぎわった=東京・上野松坂屋で1952年8月
結局ピアノは高すぎて、最初はオルガンを買ってもらった。それでも程なく我が家にも黒いピカピカのピアノがやってきたのは、高度成長期のお陰だったのだろう。
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「自分で頼みにいった話」を信じて育った私だけど、自身が4歳児の母になったあたりで、別の可能性に思い至った。あれは「自分で決めた習い事なんだから」と私に練習を促すための、母の作り話だったのかもしれないなあ、と。
こんな古い記憶がよみがえったのは、「『ピアノを弾く少女』の誕生 ジェンダーと近代日本の音楽文化史」(著・玉川裕子)を読んだから。明治から昭和初期まで、日本に西洋音楽が普及する中、なぜピアノが一般家庭に受け入れられ、しかも習い手の多くが妻や娘だったのかを読み解いた1冊だ。
“3C”商品に遅れをとるなと、高額耐久消費財のピアノの販売合戦も激化して社員みずから街頭宣伝=1966年11月撮影
本書によると、日本においてピアノは琴に代わる「嫁入り道具」で、ピアノを弾く女性は「良妻賢母」のイメージと結びついていた。それが高度成長期、ピアノが「中流たる証(あかし)」のようにもてはやされた源流だという。ピアノの国内販売台数は高度成長期に急増し、1979年にピークを迎えた。我が家のピアノ騒動もまた、そんな時代の流れの中にあったのだ。
そういえば幼い日、私の将来の夢は「ピアノの先生」か「お医者さんのお嫁さん」だった。「お医者さんのお嫁さんになって、自分で弾いたピアノ曲を病院に流すの」。今なら書くだけで恥ずかしくなるような夢を私が語るたび、母はうっとりとうなずいたっけ。「それが一番幸せやねえ」
音楽好きの母はあの頃、「ピアノを弾く娘」に何を託していたんだろう。ちょっぴり切ない思い出だ。(オピニオン編集部)