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Kさん(73歳・女性)は、1年前に脳梗塞(こうそく)を発症し、脳血管性認知症と左半身まひが後遺症として残りました。
退院後は、訪問介護サービスで主に家事などの生活支援をお願いし、リハビリや入浴はデイケア(通所リハビリテーション)に通ってお願いすることにしました。かかりつけ医への通院は、家族が付き添い、介護ベッドのレンタルや手すりの設置など生活空間の環境整備は、福祉用具事業所にお願いすることにしました。
リハビリに励んでいるのに募る不安
それまで1人暮らしを続けてきたKさんは、着替えや買い物など、身の回りのことを手伝ってもらう度に、「ごめんね」「ありがとうね」と申し訳なさそうな表情を見せていました。複雑な気持ちで支援を受け入れていたようで、「いつまでも元気でいたいとは思っているけれど、これまでできていたことができなくなってしまったことが悔しいし、情けない」と話していました。
Kさんは、できることは可能なかぎり自分でできるようになりたいと思い、週3回のデイケアでのリハビリに熱心に励んでいました。つえを使う歩行で屋内を移動する分には不便もなくなり、箸を使う、電話をかける、体を洗う、歯を磨くなどの手作業も、まひのない右手を上手に使い、時間が少しかかっても自分でできるようになってきました。
介護支援専門員(ケアマネジャー)は、Kさんがデイケアも休むことなく参加しているので、リハビリも順調に進んでいると思っていましたが、ある日自宅で話を伺ってみると、思っていた様子とは違うことがわかりました。「リハビリもやりがいがあるし、お友達もできたし、楽しいから、デイケアに不満はないのよ」「でも、家で1人になると、不安になるの」と打ち明けられたのです。
つきまとう「迷惑をかけて申しわけない」
さらに話を聞いていくと、どうやら「迷惑をかけて申しわけない」という気持ちが何をしてもぬぐえず、そのことが不安の背景に横たわっているようです。
ケアマネジャーは、なんとかKさんの前向きな気持ちを引き出したいと思い、「Kさんは、やりたいことがありますか? 旅行に行きたいとか……」と質問をしたところ、「特にないわ」「旅行なんて、迷惑もかけるだろうし、行く気にもならないわ」とネガティブな返事が返ってきてしまいました。
「利用者の力になりたいのですが、何かいいアドバイスはないでしょうか」。ケアマネジャーから私に相談が届いたのはそんなときでした。
表裏一体の関係にある気持ちとは?
相談を受けて私がまず着目したのは、Kさんが抱いているという「人に迷惑をかけたくない」との気持ちでした。この気持ち、実は「人の役に立ちたい」という気持ちと表裏一体の関係にあるのです。
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私はケアマネジャーに「いま、Kさんが、人から感謝されたり、喜ばれたりするのはどういう場面ですか?」と尋ねてみました。ケアマネジャーは少し考えて「デイケアではそういうやりとりもあるようですが、ご自宅ではKさんが周りの人に感謝を伝えることはあっても、Kさんが言われる機会はあまりないかもしれません」と答えてくれました。
そこで、家族が「Kさんに頼って、感謝する」機会を作ってもらうことを提案しました。
家族からKさんに「お母さん、お節料理の作り方を教えてよ」と頼んだりすることで、何かを教わったり、「こういう時はどうしたらいいと思う?」と相談をしたりする機会を意図的に作るのです。Kさんが答えてくれたら家族は感謝を伝えるという取り組みです。ケアマネジャーはKさんの家族とも話し合い、早速実行することになりました。名付けて「頼って、感謝するプロジェクト」です。
効果を高めた孫の手紙
家族は少しずつできる範囲で取り組んでいましたが、遠方に住む中学生の孫がこのプロジェクトを聞きつけて参加することになりました。「じゃあ、私は手紙でおばあちゃんに相談しようかな」と、勉強や友達のこと、お父さんやお母さんには言えない内緒の話などを相談するために手紙を送ることにしたのです。これが思いがけず大ヒットとなりました。
ケーブル黒川駅近くに立つ郵便ポスト=兵庫県川西市で2023年7月2日、西村剛撮影
年賀状以外に手紙が来ることなどほとんどなかったKさんは、孫から手紙が来たことに大喜びしました。そして相談されたからには、返事を書かなければいけない、ということで、Kさんも手紙を書き始めたのです。いざ書くとなると、ペンを持つ手が震えて文字がきちんと書けないため、「字を書く練習をしたい」と言って、猛練習を始め、やがて、お孫さんに返事を書けるようになりました。手紙のやり取りは月1回ですが、Kさんはとても楽しみにしていて、デイケアでも自慢しているようです。
「やりたいことがない」と言っていたかつてのKさんとは見違えるような姿に、周囲の人は驚きを隠せませんでした。
この年末、帰省される方もされない方も、親御さんなど身近なところで元気をなくしている人がいたら、ぜひ「頼って、感謝するプロジェクト」を試してみてはいかがでしょうか?
写真はゲッティ
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ペホス
認知症ケアアドバイザー
ペ・ホス(裵鎬洙) 1973年生まれ、兵庫県在住。大学卒業後、訪問入浴サービスを手がける民間会社に入社。その後、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター、訪問看護、訪問リハビリ、通所リハビリ、訪問介護、介護老人保健施設などで相談業務に従事。コミュニケーショントレーニングネットワーク(CTN)にて、コーチングやコミュニケーションの各種トレーニングに参加し、かかわる人の内面の「あり方」が、“人”や“場”に与える影響の大きさを実感。それらの経験を元に現在、「認知症ケアアドバイザー」「メンタルコーチ」「研修講師」として、介護に携わるさまざまな立場の人に、知識や技術だけでなく「あり方」の大切さの発見を促す研修やコーチングセッションを提供している。著書に「理由を探る認知症ケア 関わり方が180度変わる本」。介護福祉士、介護支援専門員、主任介護支援専門員。ミカタプラス代表。→→→個別の相談をご希望の方はこちら。