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毎日新聞 2024/2/1 東京朝刊 有料記事 1003文字
半世紀近い逃亡の末、突然、東アジア反日武装戦線のメンバー、桐島聡容疑者とみられる男性が名乗り出た=警察庁ホームページから
<moku-go>
ある晩、自宅玄関のチャイムが鳴った。1970年代後半、高校時代のことだ。外には、見知らぬ中年男性がたたずんでいた。
公安だと名乗り、「聞きたいことがある」と告げられた。
桐島聡容疑者とみられる男性が住んでいたという住宅=神奈川県藤沢市で2024年1月29日、三浦研吾撮影
部屋には、青少年に有害とされる図書はある。だが、爆弾製造指南書として知られた「腹腹時計」のような危険文書はない。
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とはいえ、できれば公安とは関わりたくない。ここはアジトではない。しばしの間、妄想と格闘したが、様子を見に来た母があっさりと扉を開けた。
公安の関心は、両親が経営するアパートに入居した住人にあった。「変わった様子はないか」
母は、短く「ない」と答え、質問したワケを尋ねた。
「彼は学生時代に活動歴がある。直前に住んでいた岐阜のアパートを3カ月ほどで引き払うなど、転居を繰り返している。私たちは注意深く見守っている」
桐島聡容疑者とみられる男性が死亡した病院=神奈川県鎌倉市で2024年1月29日、三浦研吾撮影
マニュアル通りなのか、その住人は3カ月後、アパートを立ち去った。その後の消息は知らない。
数年後、大学進学が決まり、札幌でアパート探しを始めた。気にいった物件が見つかり、契約をかわす寸前、大家さんが私に「確かめたいことがある」と言う。
質問は、単刀直入だった。
「爆弾犯とつながりはないだろうね。部屋で爆弾を作られ、誤爆事故でも起こされたら困る」
74年8月30日の三菱重工爆破事件を皮切りに、日本では過激派の東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件が相次いだ。
北海道庁が爆破され、運び出される負傷者=1976年3月2日午前9時10分
札幌でも、75年から76年にかけ、北海道庁や道警が爆破され、死傷者が出るテロが起きた。いずれの事件でも、反日武装戦線の関与をにおわす犯行声明があった。
私の大学進学は80年。だが、余韻は、そこここに残っていた。
大家さんの心配は痛いほどわかる。だが、疑われて住むほどお人よしではない。縁が無かったとあきらめ、新たな物件を探した。
昨年末、東京・丸の内のオフィス街を歩いた。かつての三菱重工本社ビルを見て「爆破事件から来年で50年か」と気づいた。
何を書くべきか。頭の整理がつかない中、反日武装戦線のメンバーと語る男が突然、半世紀近い沈黙を破る事件が起きた。
東アジア反日武装戦線が出版した「腹腹時計」。爆弾製造マニュアルとして知られるが、ゲリラ戦士の心構えも説いている
東アジア反日武装戦線が出版した「腹腹時計」は、捜査当局だけでなくアパート経営者などの目をごまかすため、「自分を消し」「ごく普通の生活人に徹」せよと説く。それを実践した末、死の直前に名乗り出たのだとしたら、彼なりの「勝利宣言」だったのかもしれない。(専門編集委員)