|
毎日新聞 2024/2/6 06:00(最終更新 2/6 06:00) 有料記事 1708文字
「葬式仏教」の定義は……。「岩波仏教辞典」の「第三版」には、近代仏教にまつわる項目が多く追加された=花澤茂人撮影
近ごろ、かばんが重くなった。理由は分かっている。厚さ4・5センチ、重さ1キロの紙の塊を持ち歩くようになったからだ。2023年11月に約20年ぶりの改訂版が刊行された「岩波仏教辞典 第三版」(岩波書店)だ。
別に仏教の専門記者を気取っているわけではない。「仏教辞典」という文字面からはいかにも専門的で小難しいイメージがわくが、めくってみるとこれが意外に面白いのだ。
Advertisement
例えば、日常語になっている仏教語。「挨拶(あいさつ)」は「切り込む、鋭く追及する意。禅では、相手の悟りの浅深をはかるために問答をしかけることの意に用いる」。こんなあいさつなら毎日気が抜けない。「玄関」は「奥深い教えに入る関門」。家に帰るのも気が引き締まりそうだ。
巻末には仏像や寺院建築を見るポイントがイラスト付きで説明され、仏教に関する出来事をまとめた年表もある。インターネットを使えば手軽に何でも調べられるが、あふれる情報の中では、分厚い紙の辞典の安心感と信頼感はむしろ際立つ。仕事場で原稿を書く際はもちろん、家でもパラパラと「つまみ読み」したくて、ちょっと我慢しつつ携行しているというわけだ。
約20年ぶりに改訂された「岩波仏教辞典」。約5000項目を収録する=花澤茂人撮影
ところで、今回の改訂の大きな目玉は「近代仏教」の充実だった。幕末以降、現代に至るまでの仏教界の動きのことだ。新たに追加された約200項目のうち、約90項目が近代仏教に関わる内容だという。
仏教辞典は初版が1989年、第2版が2002年に刊行されたが、「近代仏教の項目は初版では数項目。第2版でも、明治期の著名な仏教学者の名前などが増えましたが、その数は多くありませんでした」。今回、近代仏教の専門家として編集に協力した佛教大の大谷栄一教授はそう振り返る。「近代仏教という分野が未発達で、執筆する専門家がいなかったことが大きな理由だと思います」
かつての仏教研究は古代や中世が中心で、特に近代は関心を持つ研究者が少なかったらしい。「しかし、前近代の仏教がどう今の仏教につながっているのかを考える上で欠かせません」。00年代に入って注目を集めるようになり、今ではかなりホットな分野なのだそう。今回、執筆陣55人のうち18人が近代仏教の専門家というのがその証左だ。「ようやく執筆の態勢も整ったということ」と大谷教授は感慨深げだ。
では具体的にどんな言葉が加わったのか。「例えば『中外日報』です」。1897年創刊で、今も週2回発行されている宗教専門紙だ。雑誌「中央公論」の前身で、明治期に西本願寺の青年僧侶たちが創刊した「反省会雑誌」や、「ラジオ教説」といった項目も新設。「メディアの存在は近代仏教の特徴の一つ。広く一般への布教や、仏教界のあるべき姿について問題提起をする役割を果たしてきました」
「近代仏教は今の仏教を考える上で欠かせない」と語る佛教大の大谷栄一教授=京都市北区で2024年1月24日午後0時48分、花澤茂人撮影
また「真如苑(しんにょえん)」「創価学会」「立正佼成会」「霊友会」といった新宗教団体の項目も追加された。「現代の仏教を語る上で無視できません。除外せずきちんと位置づけることが大事です」。大きな社会問題となった「オウム真理教」の項目も立った。
「葬式仏教」なんて項目も。「葬儀および年忌法要・墓地管理など、おもに追善儀礼に依存している伝統的な仏教のあり方に対する言説」とある。批判的な見方だけでなく、葬儀の文化的な価値や、グリーフケアとしての意義などを前向きに捉える最近の考え方にも言及するきめ細かさだ。
「○○と仏教」という「テーマ項目」もある。例えば「環境と仏教」「戦時体制と仏教」「部落解放運動と仏教」、そして「インターネットと仏教」。社会の動きに仏教がどう関わってきたのかを端的に理解できる。巻末の年表も増補され、最後は22年、安倍晋三元首相の銃撃事件を受けて「宗教2世」が問題化したことで締めくくられる。
こうしてじっくり見てみると、辞典は仏教者たちが社会とどう向き合い、どのような試行錯誤を続けてきたかの記録でもあると思う。「第四版」にどんな項目が書き足されるのか、それは今を生きる僧侶たちの行動が決めていく。報じる側の責任も感じ、かばんがさらに重くなった気がした。【大阪学芸部・花澤茂人】
<※2月7日のコラムは東京運動部の倉沢仁志記者が執筆します>