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「SNSはうそばかり」だったのか 兵庫県知事選が浮き彫りにした既存メディアの課題
野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
2024年12月24日
兵庫県知事選に立候補し、阪神西宮駅前で演説する斎藤元彦氏。大勢の人が詰めかけた=兵庫県西宮市で2024年11月4日、大野航太郎撮影
2024年をにぎわした代表的なニュースとして、国内では兵庫県の斎藤元彦知事をめぐるパワハラ疑惑や出直し県知事選が挙げられる。SNS(ネット交流サービス)を通じて真偽不明な情報まで入り乱れた選挙戦は確かにひどい。再選後も公選法違反が取りざたされ、斎藤知事は窮地に立たされている。だが、騒動の底流には一地方の県政をめぐるスキャンダルでは済まされないものがある。
民意はより切実なものに向かっている。斎藤県政が今後どのような経過をたどったとしても、社会の深いところで起きている流れは変わらないと思う。
反知事派と共依存の関係にあった地元記者
私は毎日新聞で記者・論説委員を計37年間務めたが、これまでに地方行政の側で活動し、地元メディアから取材された経験が2回ほどある。その時に感じた強烈な違和感が思い出される。
千葉県で堂本暁子さんが知事に当選したのは01年だった。前年に介護保険制度が始まり、新しい福祉の実践が各地で芽を出していたが、千葉県は遅れていた。県庁内で政策立案をする限界を悟った堂本知事は県民を大胆に巻き込んだ福祉づくりを試みた。
その一つとして、障害者の差別をなくす条例をつくる研究会が設置され、その座長に私が任命された。米国が1990年に障害者差別禁止法(ADA)を定め、その潮流は他の先進国へ波及した。日本でも弁護士会や障害者団体が法制定を求めたが、当時の政府は動こうとしなかった。そこで、堂本知事は千葉県で独自に条例をつくろうと考えた。
1年間に計20回研究会を重ね、関係団体ヒアリング、県内各地でのタウンミーティングもそれぞれ数十回行い、条例原案ができた。
反対したのは県議会だ。反対の論拠は明確には示されず、堂本知事のやり方や姿勢が批判の的となった。5期20年に及ぶ沼田武前知事の県政によって千葉県の財政は破綻の危機にひんしており、堂本知事は大ナタを振るって既存事業や組織の予算を削減した。その反発が県庁内や県議会、関係団体に渦巻いていた。現在の兵庫県の状況とよく似ている。
千葉県障害者条例成立後、議場の堂本暁子知事に向かって手を振り喜びを分かち合う傍聴者ら=千葉県議会本会議場で2006年10月11日
06年2月議会に条例案を提出したが審議されず、6月議会では猛反対の末に白紙撤回に追い込まれた。情勢は二転三転し、千葉県政記者クラブに所属している新聞各社の記者から座長である私は何度も取材を受けた。条例の意義や内容を説明したが、記事になるのは知事と議会との力比べのような政局報道ばかりで、堂本県政を批判する議員の意向に沿った論調が目立った。9月議会でようやく修正案が可決された際も「妥協の産物」と断じる記事が載った。
記者たちには条例に反対する論拠や確信があるわけではなく、知事や執行部を批判的なスタンスで監視するのが自分たちの使命と信じていたのだろう。反知事派の議員は大事な「ネタ元」であり、共依存の関係にあるのを感じた。
「やまゆり園」検証でも実態を過小に報道
19人の重度障害者が殺された津久井やまゆり園事件(16年7月)で、黒岩祐治・神奈川県知事が同園の支援について再検証する委員会を立ち上げたのは19年初め。事件から2年半後だった。毎日新聞を退職した直後の私は3人の検証委員の1人に選ばれた。
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当初、神奈川県は同園を運営する社会福祉法人かながわ共同会を擁護し、県議会や福祉業界やメディアも大方は県の方針を支持してきた。事件直後の県の検証では共同会の人権擁護の取り組みを称賛する報告書をまとめている。
しかしその後、かながわ共同会理事で同会の運営する別施設の元園長が小6女児への強制性交容疑で逮捕され、やまゆり園での不適切な支援の情報が次々に知事の元に寄せられるようになり、黒岩知事は再検証に乗り出した。
黒岩知事から検証委員会へのミッションは同園の障害者支援の実態だけでなく、監督する立場にある県との癒着も解明せよというものだった。知事の「ひょう変」に同園や保護者会、議会、メディアから批判が噴出した。四面楚歌(そか)の中で行われた検証作業では、虐待が疑われる身体拘束が複数の利用者に行われていたことが確認された。施錠された狭い居室にほぼ24時間閉じ込められる生活を何年も続けられた人も数人いた。
やまゆり園事件で、検証委員会終了後に記者会見する座長の佐藤彰一・国学院大教授(中央)ら=神奈川県庁で2020年1月21日午前、木下翔太郎撮影
ところが、検証委員会が虐待の疑われる実態について記者会見しても、県政記者クラブの反応は芳しくなかった。小さな記事にしかならず、報道されないことも多かった。当てつけのように、同園を擁護する福祉関係者のインタビューを大きく掲載する新聞もあった。記者会見をした私たち検証委員が県庁を出てから、県の担当課長が会見内容の一部を訂正する説明を記者たちにしたこともある。
県議会では「最初から結論ありきの偏った人選だ」と検証委員会への批判が繰り返され、私も名指しでやり玉に挙げられた。
やまゆり園は、もとは神奈川県立施設だ。運営が共同会に移譲されてからも県庁OBが天下って牛耳っていた。いわば県の出先機関のような存在で、OBらが虐待や身体拘束を隠蔽(いんぺい)し、告発する職員に圧力をかけていた。ヒアリングの際には常務理事が後輩の現職職員らににらみを利かせる場面を目の当たりにした。
会議を取材に来ないメディア
地方支局には経験年数の浅い記者も多く、県政担当は県庁のあらゆる分野をカバーしなければならないため、一つのテーマを深く取材し精通することが難しい。時間の余裕もないのだろう。千葉県の差別をなくす研究会は記者クラブと同じフロアの会議室で毎回行ったが、記者が取材に来たことは一度もなかった。
難解で地味な印象の政策より、知事と議会の争いのような政局ネタの方がわかりやすく読者も興味を持ってくれると思っているのではないか。
しかし、差別に苦しめられてきた障害者や家族にとっては切実な政策だ。電車やバスなど公共交通機関を使えない、部屋を貸してもらえない、レストランや店舗に入れてもらえない……。当時、障害者の社会生活を阻む障壁はたくさんあった。条例は北海道、岩手県、熊本県、沖縄県などへ波及し、現在は多数の自治体が独自に条例を持つに至った。国も13年に障害者差別解消法を制定した。その出発点となった千葉県の条例の意義を伝える記事はほとんどなかった。
県障害者差別禁止条例の成立の経緯などについて意見交換する堂本暁子知事(左から2人目)ら=千葉市中央区のホテルグリーンタワー千葉で2008年6月15日
神奈川県では結局、津久井やまゆり園内での劣悪な支援の責任を取る形で理事長や常務理事、園長らが更迭された。同県が指定管理する別の施設でもひどい虐待がいくつも明らかになり、同県は抜本的な見直しが迫られることになった。
本来は、県OBの天下った法人と県との癒着、虐待の隠蔽などを追及するのが報道の役割ではないのか。一部のディレクターや記者を除き地元メディアといえば、検証委員会が明らかにした事実を矮小(わいしょう)化し、かながわ共同会・やまゆり園を擁護する姿しか私の記憶にはない。
切実なニーズに応えているか
兵庫県知事の問題は24年3月、県民局長がメディアや県議に斎藤知事を告発する文書を送ったことに端を発する。知事の贈答品の「おねだり体質」、職員へのパワハラなどがメディアをにぎわせた。
斎藤知事は「事実無根の内容がたくさん含まれている」として局長を停職3カ月の懲戒処分にした。県議会の百条委員会設置、局長の自殺、不信任決議案の可決--と事態は展開した。テレビ、新聞、週刊誌がこぞって取り上げ、全国ニュースになった。ワイドショーでも連日、兵庫県知事の話題でにぎわった。
さらに知事選ではN国の立花孝志党首が立候補した上で、自分ではなく斎藤氏に投票するよう呼びかけた。各党が推薦した対立候補への誹謗(ひぼう)中傷のSNSなどが混乱に輪をかけた。私はたまたま投開票日の前日に兵庫県内で選挙戦に詳しい関係者の話を聞く機会を得たが、メディアの報道で知る以上に現場が騒然とし混乱しているのを実感した。
ところで、斎藤氏が再選を果たした要因はなんだろう。NHKの出口調査では、投票する際に最も参考にしたものとして「SNSや動画サイト」が30%に上り、テレビや新聞よりも多かった。その7割以上が斎藤氏に投票したと答えている。
では、「SNSや動画サイト」はうそやデマばかり流したのだろうか。斎藤陣営が何を発信したのかといえば、県立大学の入学金・授業料の無償化、プレミアム付き商品券などの物価高騰対策、不妊治療の支援、学校トイレの改修などの有権者の生活に密接した政策だ。ほかにも、行財政改革による県の貯金の大幅な増加、巨額の費用が掛かる県庁舎の建て替え計画の白紙撤回、知事公用車の高級車「センチュリー」の解約もあった。
さらには、県職員OBの外郭団体への再就職について65歳以上の天下りの制限、県と密接に関係する32団体の廃止や統合の検討など、既得権益にメスを入れることも斎藤氏は公約にしてきた。
こうした政策はテレビや新聞などではあまり目にすることがない。あったとしてもスキャンダラスな話題の洪水に埋もれて目立たない。
有権者の関心はメディアが報じないところにある。物価高や格差の拡大で経済的に苦しい現役世代は多い。身近な生活への不安に政治がどう取り組もうとしているのか、切実な関心を募らせている人が増えているのだろう。政治スキャンダルや政争に興味を持つ余裕がないのだとも思う。NHKの出口調査では、投票で重視したことは「政策、公約」や「改革姿勢」との回答が上位を占め、いずれも半数以上が斎藤氏に投票したという。
こうした現象は兵庫県知事選にとどまらないだろう。情報の入手先が「中高年はメディア」「若年層はSNS」と分断されているだけではない。政策や改革姿勢を知りたいという切実なニーズにメディアは応えることができていないのである。
権力闘争や政治スキャンダルは、ドラマや映画の定番の題材であるように、これからも読者・視聴者の関心を集め続けるだろう。既存のメディアがそれを手放すとは思えない。
その一方で有権者の投票行動や現実の政治は、SNSなど別の情報伝達回路によって動く割合が高まっていくだろう。真偽が入り乱れ玉石混交の情報の氾濫をどのように精錬していくかが問題ではある。そこに既存メディアの役割があるのだとすれば、記者クラブを中心にした情報収集や価値観の形成システムを抜本的に変えなければならないと思う。
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のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。