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エーザイが主体となって米バイオジェンと共同開発したアルツハイマー病の新薬「レカネマブ」(製品名:レケンビ)=エーザイ提供
米食品医薬品局(FDA)は6日(現地時間)、エーザイが主体となって米バイオジェンと共同開発した抗体医薬「レカネマブ(製品名:レケンビ)」を、アルツハイマー病(AD)の治療薬として条件付きで迅速承認した。米国では23日の週までに発売する予定で、価格は年2万6500ドル(約350万円)。日本でも16日、医薬品の承認・審査などを行う医薬品医療機器総合機構(PMDA)に新薬として承認申請を行ったと発表した。注目の新薬について、東京大の教授で日本認知症学会理事長の岩坪威さんに、その“実力”や、日本での承認の見込みなどを聞いた。(後編:「エーザイの認知症薬『レカネマブ』のリスク、そして希望」は18日掲載予定)【聞き手・西田佐保子】
アデュカヌマブに続き、迅速承認
現在、認知症の患者数は世界で5500万人以上。毎年約1000万人が新たに発症している。その原因の半数以上を占めるのがアルツハイマー病だ。
アルツハイマー病は、症状が出る約20年前から脳内に変化が生じる。発症メカニズムは明らかになってはいないものの、脳神経細胞の外に沈着する異常なたんぱく質「アミロイドベータ(以下、Aβ)」が引き金となり、脳神経細胞の中にリン酸化したタウたんぱく質(以下、タウ)がたまり、神経細胞死を引き起こす「Aβ仮説」が有力とされている。
現在、日本で承認されているアルツハイマー病の薬は、症状の緩和を目的とした「対症療法」だ。レカネマブは、「ADによる軽度認知障害(MCI)または軽度認知症の患者」を対象とした抗Aβ抗体。2週間に1回、10mg/kgを静脈注射(点滴)することで、脳内に蓄積されたAβに結合して除去し、認知機能低下の進行抑制を狙う。
レカネマブが作用する仕組み
ADのメカニズムに作用する「疾患修飾薬」の迅速承認は、同じくエーザイとバイオジェンの「アデュカヌマブ」(製品名:アデュヘルム)に続く2例目(日本では未承認)。
エーザイは2022年11月に発表した、国から医薬品としての承認を得るための最終治験「Clarity AD(第3相臨床試験<P3>)」の結果を基に6日、フル承認に向けた申請をFDAに行い、欧州医薬品庁(EMA)にも販売承認を申請した。中国に関しても、承認のためにデータを提出。日本でも16日、医薬品の承認・審査などを行う医薬品医療機器総合機構(PMDA)に新薬として承認申請を行ったと発表した。
認知症とのよりよい共生の実現が望める
――P3の前段階の臨床試験である「第2相臨床試験(P2)」に基づき、レカネマブがFDAに迅速承認された感想をお聞かせください。
◆21年6月にFDAは脳内Aβプラークの減少に基づき、アデュカヌマブをADの治療薬として迅速承認しています。レカネマブはP2でAβの除去と認知機能の改善がある程度認められているので、“第2弾”として承認されるのは順当でしょう。
また、レカネマブは、史上初めてP3ではっきりとした臨床効果が確認できた疾患修飾薬なので、一つのマイルストーンとなると言っていいと思います。大きな第一歩です。今後は、医療経済や医療提供の問題も含め、社会の中でいかに有意義に実装するかが問われます。
――P3では、薬の有効性を判断する項目のCDR-SBスコア(記憶、見当識、判断力、問題解決など6項目からなる臨床的認知症重症度判定尺度)の増悪はプラセボ群と比較して27%改善しましたが、変化の量自体は0.45(18点満点/0.5点刻み)です。前回もこの「0.45」をいかに解釈すべきかについて意見を伺いましたが、改めてこの評価についてお聞かせください。
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◆症状悪化が25%以上抑制できれば、ADによる軽度認知障害(MCI)または軽度認知症の患者さんを対象に行った結果としては成功だと考えられていたと思われます。
CDR-SBは18点満点(最低0点~最高18点)で、非認知症から重症ADまでを広くカバーします。治験開始時の平均スコアは3.2点で、プラセボ群では18カ月で1.66点増悪したのに対し、レカネマブ群は1.21点にとどまった、という結果です。
認知機能の変化(イメージ)
「0.45」の差が少ないという指摘は確かにそうです。ただ、平均値としては、記憶などの六つの機能のうちどれか一つが、認知症を発症する前の「MCIレベル」から認知症レベルに進むのを抑えた、というのに等しい変化です。認知症の発症前後というクリティカルな時期に0.45点の差が生じたことは、18点満点のなかでも大きな意味をもつと考えます。
昨年11月にアメリカで行われたアルツハイマー病臨床試験会議(CTAD)でも発表がありましたが、P3の結果を基にレカネマブを投与して2年後の状況を予測した結果、プラセボ群に比べて7.5カ月進行を遅らせる効果が示されました。
もしその後も数年にわたって同様の修飾効果(症状をなだらかにする)があれば、年単位で症状進行の遅延が望めるでしょう。
症状を回復させる薬ではないので、「以前よりも改善した」といったかたちで効果を実感するのは難しいかもしれませんが、長い経過のなかで、ゆっくりと症状が進み、認知機能障害がゆるやかに低下していく。見方によっては、認知症とのよりよい“共生”を長い期間にわたって実現できることも期待されます。
――人それぞれ捉え方は異なりますが、例えば、認知症の人が家族の名前や顔を覚え続けられる。家族にとっては覚え続けてもらえる期間が延びるのは、たとえ半年であっても非常に貴重だと、私の母がアルツハイマー病だったからこそ、思います。
◆もちろん、レカネマブ単独の治療で、この程度の効き目で十分なのかというと、そうではありません。ただ、「ほとんど意味がないほど、取るに足らない変化か」というと、それもまた違います。それは過小評価だと思います。
「第一歩」としてこの結果は、ある程度意味があるものだけど、十分ではない。そのような捉え方だと思います。また、臨床的にどれだけ本人や家族が実感を持てるかによって、変わってくるでしょう。
自身と同じ若年性アルツハイマー型認知症の男性に出会った際のことを語る下坂厚さん(左)と堀田聡子教授=京都市南区のJAビルで2022年9月25日、中島怜子撮影
――P3の結果を見ると、認知症発症のリスク上昇に関与するアポリポたんぱく質E4(ApoE4)という遺伝子が陽性で、特に両親からそれぞれ受け継いだ人(ホモ接合体保持者)の症状抑制効果が低いようです。女性と、65歳以下のグループの結果も気になります。
◆母集団全体は十分大きい(レカネマブ投与群:898人、プラセボ投与群:897人)のですが、これをさまざまなグループに分けた解析では推測しすぎになる危険もあります。少なくともApoE4のある人の症状抑制効果が高いとは言えないかもしれませんね。
今後の詳しい解析を待つ必要がありますが、65歳未満で発症する「若年性アルツハイマー病」は、進行がより速い頻度が高いとされます。この群は、平均すると治験の18カ月の間により速いスピードで進行した可能性もあると思います。
病理学的な変化の程度については、PETスキャンで見た脳内のタウの量などで推定することができるかもしれません。性差についても解析を待ちたいところです。
鑑別の難しさもハードルに
レカネマブの臨床試験の結果について説明するエーザイの内藤晴夫・最高経営責任者(CEO)=2022年9月28日、下桐実雅子撮影
――今後、日本でレカネマブは承認されると思いますか。アデュカヌマブについては、P3における二つの治験のうち一つ(ENGAGE試験)で症状改善の効果を示せず、薬品の製造・販売を審議する厚生労働省の諮問機関「薬事・食品衛生審議会医薬品第1部会」が「現状では有効性の判断は困難」として継続審議になっています。
◆ズバリ言い切ることは困難ですが、薬事審査は効果やリスクを科学的に判断して行われるものですので、治験データや海外の動向を見ながら、適切・順調に審査されると思います。
アデュカヌマブの場合、アメリカは薬の持つポテンシャルを重視して、迅速承認を適用しましたが、Aβは除去できていたもののデータは不完全でした。レカネマブのデータはよりしっかりしています。
――国内で承認された場合、さまざまな課題があります。
まず、投与対象となるMCIは現状、保険診療の対象外であること、“Aβの蓄積した”「ADによる軽度認知障害(MCI)または軽度認知症の患者」を鑑別するためのバイオマーカー検査が保険適応外であることなどです。
そもそもADによるMCIの人の割合はどの程度なのでしょうか。
◆以前東大を中心に全国で行ったJ-ADNI研究(アルツハイマー病の薬物評価基準を定めるためのプロジェクト)が重要なデータを示しています。物忘れの強い進行性のMCIの人はアルツハイマー病が背景にある率が高いと予測し、そのような方に絞ってAβの蓄積を調べると、実際にAβが陽性だったのはその3分の2弱という結果でした。
MCIの定義は、「認知症のように普段の生活に支障をきたすほどではないが、記憶などの能力が低下し、正常とも認知症ともいえない状態」です。昔は正常だった認知機能が、正常でなくなっている、でも認知症レベルではない。
アルツハイマー病の発症リスク上昇に関与するApoE4遺伝子の保有者は日本人で5人に1人といわれているが「これは欧米人(4人に1人)よりも低い割合です」と話す東京大教授で日本認知症学会理事長の岩坪威さん
ここには原因疾患がアルツハイマー病ではないMCIの人も含まれます。MCIをより広くとれば、Aβ陽性の方は半数を下回ってくるかもしれません。
――期間投与をどう設定するかも課題の一つですね。
◆これは、アデュカヌマブのときから重要な課題の一つですね。
レカネマブは、症状の進行を緩やかにする薬です。とはいえ、悪化はしていくわけです。認知症の症状がある程度まで進んでしまって、「このレベルに至ったら投与継続しても意味がない」と、どの時点で判断するのかは、今後議論すべき重要な点です。
なお、米イーライリリー社が開発中の抗Aβ抗体薬「ドナネマブ」の治験では、投与によりAβを“ごっそり”取り去って、アミロイド量が正常レベルに戻った人では、その後は実薬の投与をやめて経過観察する設計になっています。
――認知症の患者さんを診る専門医の存在も重要です。レカネマブの投与前、また投与中にも、磁気共鳴画像化装置(MRI)などでレカネマブの副作用である脳浮腫や脳微小出血などの「アミロイド関連画像異常(Amyloid Related Imaging Abnormalities、ARIA)」が発現していないかどうか、定期的に検査する必要があります。
◆現在、日本認知症学会の専門医(認知症専門医)が約2200人(https://square.umin.ac.jp/dementia/g1.html)、日本老年精神医学会が認定する高齢者の精神疾患や認知症に関する専門医(日本老年精神医学会専門医)が900人(http://184.73.219.23/rounen/a_sennmonni/r-A.htm)で、重複している人を除くと3000人弱です。
ARIAが発生した場合、脳浮腫などへの対応は、脳炎や脳卒中の治療に準じて行うことになります。画像の専門家の助言も重要です。さまざまな種類の専門医が協力できる体制を整えることが重要です。
現状、物忘れ外来で数カ月待ちとなっている病院も多いので、この入り口が一番大きなボトルネックになるかもしれません。
(後編:「エーザイの認知症薬『レカネマブ』のリスク、そして希望」に続く<18日掲載予定>)
いわつぼ・たけし 1960年、兵庫県生まれ。東京大大学院医学系研究科神経病理学分野(医学部付属病院早期・探索開発推進室兼務)教授。国立精神・神経医療研究センター神経研究所所長。
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西田佐保子
毎日新聞 医療プレミア編集部
にしだ・さほこ 1974年東京生まれ。 2014年11月、デジタルメディア局に配属。20年12月より現職。興味のあるテーマ:認知症、予防医療、ターミナルケア。