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毎日新聞2024/2/21 東京夕刊有料記事861文字
古書が好きだ。
特に行間にマーカーがひかれ、余白に書き込みがある古本の味わいは何物にも代えがたい。だれかの学びのあと、努力の痕跡には、尊さすら漂うと感じる。
最近、僕の元にやってきた本もそんな一冊だった。
朝日新聞の名物記者、故早野透さんと、評論家・佐高信さんの対談をまとめた「丸山真男と田中角栄」(集英社新書)だ。
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早野さん自身の蔵書である。先日、佐高さんにお供して、2人が出演していたインターネットメディア「デモクラシータイムス」(東京・神楽坂)のスタジオにお邪魔した時、書棚にあった同書を譲ってもらったのだ。近くに自宅のある早野さんが、書庫がわりに本を置いていたらしい。
赤いボールペンで見返しに「早野用」と記されたそれには、時にページが真っ赤になるほどの線や書き込みがあった。学び直すため、ペンを片手に読み返していたのだろう。
角栄はじめ歴代政権を取材し、朝日紙上で名コラム「ポリティカにっぽん」を長年、書き続けた博識の源に触れた思いがした。
早野さんとは不思議なご縁がある。
妻は大学生だった十数年前、神楽坂に住んでいた。近所をうろつく猫と仲良くなり、時に食事をやり、首輪まで買い与えた。
ある日、猫の首輪に手紙が挟まれていた。「いつもお世話してくれてありがとうございます」とあり、飼い主である早野さん宅の連絡先が記してあった。猫はシマちゃんといった。その縁で、妻は早野さんや奥さんと交流を持った。
名物記者は行動の人でもあった。永田町の赤じゅうたん上の取材に飽き足らなかった。志願して新潟支局に赴任し、農家を訪ね歩いて、角栄のルーツと、民衆にとっての政治の意味を突き詰める連載を手がけた。後年、角栄評伝の決定版と言われる「田中角栄」(中公新書)に結実する。
その早野さんは2年前に急逝した。シマちゃんは妻が大学を出る前に早野家から姿を消した。
永田町や霞が関を取材する記者こそ、地方を、そして被災地の泥の中を歩き、政治家どもを叱り飛ばさねばならない。
書き込みだらけの本を閉じ、ふとそう思った。(東京学芸部)