平和を実現する人々は幸いであるという真の意味は<要約>
<マタイ5:9>2023.10.29.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
平和を実現する人々は幸いであるという御言葉には、私たちに三つの平和を実現すべき義務があるのです。1>他の人と仲良くすべき義務です。<ヘブライ書12:14>全ての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。これがなければ誰も主を見る事が出来ない。この御言葉は、私たちが仲良くしないと主を見る事が出来ないという最終的な救いと関連(かんれん)があるのです。私たちが他の人を赦さなければ赦されないと同じく平和を実現しないと主を見る事が出来ないという事は天国へ入れないという意味なのです。
ところで、他の人と平和に暮せるためにはまず、自分自身の心に平和(へいわ)が必要(ひつよう)なのです。自分の心に平和がない人は他人を苦しめるのです。しかし、自分の心に平和がある者は余裕があり、このような人は不平(ふへい)不満(ふまん)を言わないのです。<イザヤ48:22>主が言われる、悪人には平和がない。事実、罪は自分の心の平和を壊すし、次は他の人との平和を壊すのです。心が清くなければ平和を実現する事が不可能なのです。ですから、悔(く)い改(あらた)め心が清くなり、自分自身の心に平和があり、他の人と平和に暮らす者にならねばならないのです。ところで、平和(へいわ)は自分(じぶん)が努力(どりょく)しても相手(あいて)がまともに反応してくれないと可能な事ではないのです。それで、聖書は全ての人と平和に暮らしなさい。
と言う前にまず、できれば、という但し書きをつけたのです。不可能な場合も多いという事なのです。ですから、必ずしなさいという事ではなく、できれば、平和(へいわ)を実現(じつげん)しなさいという事なのです。Jon_stot先生は、イエスを信じる人たちは復讐(ふくしゅう)は勿論(もちろん)、赦す事も断る権利もないのだが、悔い改めなかったにも関わらずあまりにも早く赦す事によって、赦しの価値(かち)を落(お)としてはいけないのです。
イエス様はあなたの兄弟が罪を犯すのなら警戒し、その後悔い改めれば赦しなさいと言われたのです。平和(へいわ)を壊す恐(おそ)ろしい敵(てき)は決(けっ)して清(きよ)くない罪なのです。天の父なる神様は罪を犯してあだになった私たちと、平和に暮らすためにイエス様をこの地に送って、十字架を背負わせ苦しみを与え対価を支払われたのです。そうだとしても全ての人と仲良くする事ができるのか、そうではないのです。天の父なる神様が人たちと仲良くしようと手を差し出しても人々が悔い改めないのです。自分の罪を悟り、悔い改め、イエス様を信じれば良いのにしないのです。それで、天の父なる神様は平和を願うのだが、人々と平和に暮らす事ができないのです。
2>他の人たちを仲良くさせるべき義務があるのです。私たちは他の人と仲良くし、不仲な人々を仲良くさせるべきなのです。仲違いをさせ、けんかをけしかける者は悪魔(あくま)の僕であり、和解させる者は聖霊の僕なのです。他の人に仲違いをさせる事は簡単ですが、平和(へいわ)を実現(じつげん)する事(こと)は簡単(かんたん)ではないので、天の父なる神様の子と呼ばれるのです。
3>天の父なる神様と人々を仲良くさせるべき義務があるのです。私たち天の父なるが神様と人たちを仲良くさせる秘訣は人々に福音を伝え、悔い改めさせ、天の父なる神様を信じさせる事なのです。ですから、平和(へいわ)を実現(じつげん)する者(もの)は魂(たましい)を救(すく)う人なのです。救われた者には仲良くさせる任務を与えられ、仲良くさせるようにと頼まれたのです。
仲良くさせないという頼みは人々に天の父なる神様と仲良くしなさいと福音を伝えなさいという事なのです。信じる者でなければ誰が人々を神様と仲良くさせられるのでしょうか。
イエス様は天の父なる神様と人々を和解(わかい)させるためにご自分がいけにえになられたのです。ですから、私たちも代価を支払って人々の魂を救うために努力せねばならないのです。天使も羨むほどの魂の救いは救われた者のみに与えられた祝福なのです。ですから、伝道する者は天の父なる神様の子と呼ばれるという意味なのです。
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https://youtu.be/wzAlDpjwoDQ
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