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毎日新聞2024/3/9 東京朝刊有料記事1003文字
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急逝された五百旗頭真さんは、日本外交史の研究者だったが、時論家としても意欲的に論陣を張った。例えばイラク戦争への自衛隊派遣に慎重で、アジア外交を損なう首相の靖国神社参拝には反対。つまり、小泉純一郎政権の外交に批判的だった。その五百旗頭さんを防衛大学校長に招請したのは、退陣目前の小泉氏である。
初対面は小泉首相就任から10カ月後の2002年2月。首相官邸で会うなり小泉氏は「あなたの本を読んで、ブッシュ米大統領とパウエル米国務長官に話したよ」と熱弁をふるった。
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書名は「日米戦争と戦後日本」。真珠湾攻撃の半年後、日本がまだ戦勝気分に沸いていた頃、米国は早くも戦後の対日占領政策作りに着手していた。戦時中の準備こそが、終戦と占領統治を可能にし、日本を再建させた史実を活写している。
前年の9・11米同時多発テロを受けて、アフガニスタン戦争が始まっていた。小泉氏は米首脳らに「第二次大戦中の米国はよい仕事をした。今度は日米共同でアフガンの戦後復興に取りかかろう」と提案。02年1月、「アフガン復興支援国際会議」(共同議長・緒方貞子氏他)の東京開催を実現させたと明かしたという。
学者冥利に尽きる望外の成り行きである。でも、五百旗頭さんの小泉外交批判は鈍らなかった。ただし、日米同盟堅持、イラク派遣隊の迅速撤収、リスク覚悟の訪朝などは評価している。
五百旗頭さんは防大行きを渋った。学究活動を削られ、何より言論の制約を嫌ったが、またも小泉氏に呼ばれ「校長の仕事は防大・自衛隊と国民の橋渡しだ」と押し切られる。着任前のお披露目で、大勢を前に日ごろの小泉批判に謝意が述べられたという。
以上の話は小泉氏退陣後、校長室で聞いた。リベラルな主張が右翼から攻撃されていて、疲労の色が濃かったが、結局5年半務め、その後は東日本大震災復興構想会議議長に没頭された。
学者と政治権力の関係は複雑だ。「象牙の塔」や「御用学者」といった慣用句に難しさが表れている。1990年代以降のほとんどの政権から頼られた五百旗頭さんは、類いまれな人だった。
バランス感覚とか聞き上手とは違う。言うならば、もの柔らかな硬骨漢。著述は、文明史的な視点から転換期をとらえようと心がけ、計量的なデータより時代を生きる人物の人間像にあくなき関心を注いでいた。今を遠くから広く見通す歴史家の目。心よりご冥福をお祈りします。(専門編集委員)