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新型コロナウイルス感染症の流行の「第8波」が下火になり、政府は3月13日からマスクの着用ルールを緩和し個人の判断に委ねると発表しました。5月からは感染症法上の扱いも季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行するようで、「コロナなんてたいしたことない」と思われている人がいるかもしれません。しかし、コロナに感染し治癒したはずなのに、霧やもやがかかったように頭がすっきりせず、注意力の著しい低下などに悩む患者さんがいまもクリニックにやって来ます。今回は、いわゆる「ブレーンフォグ」とみられる後遺症で苦しむ患者さんの実例を紹介することで、コロナの感染リスクを下げることの大切さをお伝えできたらと思います。
メモしたことも忘れてしまう
首都圏に住む、金融機関で働く40代の会社員女性が新型コロナウイルスに感染したのは昨年10月下旬でした。39度の高熱が3日間続き、10日間の自宅待機でコロナの感染症そのものは治すことができました。
ところが、その後も女性は体がだるくて仕事にならず、早退を繰り返しました。
「寝すぎたのかな」と思っても、普段なら朝にシャワーを浴びればしゃきっとしていたそうです。しかし、いつも通りシャワーを浴びて会社に行き、自分のデスクでコーヒーを飲みながら仕事を始めても、全然すっきりしない。決まりの仕事に取りかかるのですが、30分もするとその前の仕事をやったのかどうか忘れてしまうといいます。
このため仕事のミスが増えていき、1~2カ月もすると上司から問題を指摘されるケースが増えていきました。
たとえば、顧客から電話があったことや、同僚から口頭で言われたメッセージを忘れてしまう。同僚に「(話した内容を)ノートに書いていましたよ」と指摘され、ノートを見てみると確かにメモしている。しかし、女性はそのノートにメモしたことすら忘れてしまっているのです。
最近では業務に支障が出るまでになったという女性。「私の頭は本当に大丈夫なのか」と心配になり、私のクリニックに相談しに来たわけです。
異常に高い血栓症の検査値
クリニックでは女性に対し、磁気共鳴画像化装置(MRI)による脳の撮影や、認知症の有無を調べる検査をしたのですが、いずれも異常らしきものは確認できませんでした。
そこで次に、血栓症の判定に使われる「Dダイマー検査」をしました。Dダイマーとは、血栓の中の血液凝固に関係するたんぱく質「フィブリン」が溶解された際にできる物質です。血液を採取して、このDダイマーが多く見つかると、血栓症が疑われるわけです。
通常、Dダイマーの値は0.3以下、甘く見ても1以下です。ところが、女性はコロナを発症してから4カ月もたっているのに、この値が8.6もありました。
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女性は血液が固まりやすくなるホルモン剤なども服用していなかったため、これは脳の病気ではなく「ブレーンフォグ」、コロナの後遺症ではないかと考えたわけです。
実際、集中力が著しく低下していることが検査で判明しました。つまり彼女を悩ます問題は、認知機能の低下ではなく、注意機能の低下だったのです。
Dダイマーの値がこれほど高いと、足の動脈が詰まったり、脳梗塞(こうそく)や心筋梗塞を起こしたりする危険性があります。そこで女性には血栓を溶かす薬を処方しました。おそらくこの薬によって、注意力低下の方も改善するのではないかと期待しています。なぜそう思うのか、次の患者さんのケースから、その理由を知ることができます。
血栓溶解剤で症状が改善
同じく首都圏に住む35歳の会社員男性は、ワクチン接種を3回受けたものの、昨年8月に新型コロナに感染しました。40度を超える高熱が2日間続き、その後も39度の熱が3日間続いたそうです。
この男性は宅配便の配送の仕事をしていました。コロナから回復後、宅配の仕事に復帰したのですが、荷物を効率よく運ぶための順路を覚えることができなくなりました。また、自分は配達したと思っているのに未配達になっていたり、その逆になっていたりしたケースもあったそうです。宅配利用者からクレームが入り、会社から「おかしくないか」と指摘されたため、私のクリニックにやって来ました。
この男性にもMRI検査と認知症の検査をしたのですが、やはり問題はありませんでした。
その一方でDダイマー検査をしたところ、値が6.3でした。前述した女性ほどではありませんが、それでも健康な人と比べてかなり高い値です。
この男性にも血栓溶解剤を処方しました。すると、3カ月ほどたち、頭のもやもやがはれてきて、昨年12月くらいになるとすっかり改善したのです。いまではなんら支障もなく、宅配の仕事をしています。
治療法を探る医療者の動きも
アメリカのワシントン大公衆衛生研究所などのチームが昨年9月、退役軍人の全国医療データベースから、新型コロナ患者15万4068人と、非感染者563万8795人のデータを分析した研究結果を医学誌「ネイチャー・メディシン」に発表し、注目を集めました。コロナ患者は感染から1年後に記憶と認知機能に障害が出るリスクが、非感染者と比べて1.77倍、認知症の一つであるアルツハイマー病を発症するリスクが2.03倍にそれぞれ上昇したからです。
私が経験している患者さんはいずれも認知機能の障害やアルツハイマー病とは直接関係ありません。しかし、突き詰めていくと、この研究でいうところの認知機能の障害の中に、もしかしたら注意機能の低下などで苦しんでいる人が含まれているのではないかと考えています。
厚生労働省は、新型コロナの診療の手引の別冊として、罹患後症状のマネジメントを公開しています。この中で、ブレーンフォグは病態や評価方法が未確立とあり、まだまだ分からないことが多い病気とされています。定まった治療法はいまだ確立されていないのが実情です。
そこで私も所属する大森、田園調布、蒲田の3医師会は、コロナ感染後に表れる症状を早いうちからフォローアップする目的で、コロナ後遺症の専門外来を昨年8月から始めました。外来を訪れた患者さんには「新型コロナ後遺症チェックシート」に記入してもらい、後遺症診療が必要と主治医が判断した場合、専門の医療機関につなげるという仕組みです。
大田区三医師会が作成した新型コロナ後遺症のチェックシート。各症状の程度や継続時間を記入する=筆者提供
東京都大田区内の約50のクリニック、12の病院が参加しています。私のクリニックのコロナ後遺症外来にはこれまでに約280人が訪れ、世界保健機関(WHO)が定義するコロナ後遺症(症状が少なくとも2カ月以上継続し、他の疾患による症状として説明がつかない)に合致する患者さんは50人に上ります。
今回紹介した2人の患者さんのように、症状が改善したという症例を積み上げ、仲間の医師と情報を共有していくことで、エビデンス(科学的根拠)に基づくコロナ後遺症の新しい治療法の確立に少しでも貢献できたらと考えています。感染後に残る症状で苦しんでおられる方は、ぜひ一度診察を受けてみてください。
写真はゲッティ
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工藤千秋
くどうちあき脳神経外科クリニック院長
くどう・ちあき 1958年長野県下諏訪町生まれ。英国バーミンガム大学、労働福祉事業団東京労災病院脳神経外科、鹿児島市立病院脳疾患救命救急センターなどで脳神経外科を学ぶ。89年、東京労災病院脳神経外科に勤務。同科副部長を務める。01年、東京都大田区に「くどうちあき脳神経外科クリニック」を開院。脳神経外科専門医であるとともに、認知症、高次脳機能障害、パーキンソン病、痛みの治療に情熱を傾け、心に迫る医療を施すことを信条とする。 漢方薬処方にも精通し、日本アロマセラピー学会認定医でもある。著書に「エビデンスに基づく認知症 補完療法へのアプローチ」(ぱーそん書房)、「サプリが命を躍動させるとき あきらめない!その頭痛とかくれ貧血」(文芸社)、「脳神経外科医が教える病気にならない神経クリーニング」(サンマーク出版)など。