+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は待降節第3火曜日です。
御心の主・イエス・キリストと無原罪の聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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マタイによる福音
<「ヨハネが来て義の道を示したのに、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。」>
そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。21・28「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。29兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。30弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。31この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。32なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」(マタイ21・28-32)
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チョ・ミョンヨン神父様の「今日の黙想」です。
ある本で、「耳は大きく開き、口はできるだけゆっくり開き、怒りはゆっくりと外に出しなさい。」という文章を目にしたことがあります。正直に言えば、多くの人がこの言葉とは正反対の生き方をしているからこそ、葛藤や争いが絶えないのではないでしょうか。他人の言葉にはまったく耳を傾けず、自分が聞きたいことだけを聞こうとします。
また、声を大きくしなければ相手を押さえつけられないと思っているのか、性急な判断で早口に話してしまいます。自分が一番被害者だという思いを捨てきれず、怒りを相手に向かって忙しく吐き出すことに必死になることもあります。
このように自分を基準にして生きていると、世の中が怒りに満ちた世界のように見えてしまいます。では、もし先ほどの言葉を積極的に実践したらどうでしょうか。他者の言葉を聞くことができ、より正確な判断ができるようになるでしょう。そのとき、怒りよりも、理解と愛を大切にする姿を持つことは、当然のことです。
私たちは「分かってはいるけれど、実践するのは難しい」とよく言います。主がはっきりと「愛しなさい」とおっしゃり、その愛に従うと口では言いながらも、実際に自分の体で実践することはあまりにも難しいのです。
それでは、主は一体どのような姿を喜ばれるのでしょうか。口先だけで終わる人でしょうか。それとも、最初は正しくなかったとしても、すぐに悔い改め、主のみ旨である愛の実践に積極的に取り組む人でしょうか。
ある親御さんが、私に自分の子どもについてこう話してくれました。
「うちの息子は、口ではちゃんとやると言うんですが、その場限りで、また問題を起こすんです。」
今を生きる私たちの姿も、だいたいこのようなものではないでしょうか。主との祈りの中で「ちゃんとやります」と何度も繰り返しながら、言葉だけで、主が嫌われる姿を何度も繰り返しているのです。
今日の福音にあるように、最初は「行きません」と言いながら、後で考え直して出かけた兄こそが、父の望みを行ったのです。それに対して、「行きます」と言いながら行かなかった弟は、言葉だけで、父の望みに従わなかったのです。
当時のユダヤの指導者たちは、主の業を行うと約束しながら、偽善に満ち、結局は御父の望みを行いませんでした。
一方、徴税人や娼婦のような罪人たちは、最初は御父のみ旨を行っていませんでしたが、心を改めて行動したため、かえって神の国に入るのだと、主はおっしゃいました。
口先だけで立派なことを言う生き方を捨てなければなりません。それよりも、積極的に主のみ旨に従い、実践する生き方だけが、天の国に近づくことを、決して忘れてはならないのです。
主の愛を実践するために、「耳は大きく開き、口はできるだけゆっくり開き、怒りはゆっくりと外に出しなさい。」
という言葉をよく守る一日となりますように。
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毎日の福音を読み、口先ではなく愛の実行ができますように聖霊、きてください。パクアグネス