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新型コロナ 治療薬ラゲブリオに米、豪、EUが厳しい評価谷口恭・太融寺町谷口医院院長
2023年3月13日
新型コロナの重症病床に入院する患者(左)と対応するスタッフ=福岡市城南区の福岡大学病院で2023年1月17日午前11時1分、平川昌範撮影(画像の一部を加工しています)
すでに軽症化して人々の関心をひかなくなったのか、「新型コロナウイルス」の文字がメディアで目立たなくなっています。街を行き交う人々の振る舞いをみていると、自粛していた頃が遠い昔のようです。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)の患者さんを診ていても新型コロナの患者数は減少し、最近では後遺症関連の患者さんも減っています。ワクチンについての相談もあまり聞かなくなってきました。私自身は、昨年(2022年)の夏ごろからは患者さんに対して「重症化を抑える内服の特効薬が登場したから以前のように恐れる必要はなくなった」と言い続けています。その「特効薬」の一つが「ラゲブリオ」(これは商品名で、一般名はモルヌピラビル)でした。これは、ウイルスの増殖を抑える薬(抗ウイルス薬)の一つです。しかも飲み薬なので、点滴薬にくらべて、医師にも患者にも使いやすい薬です。ところが、そのラゲブリオには「重症化を抑制する効果がない」との見方が強くなり、世界では最初に使う位置づけではなくなって、使用が限定されつつあります。今回はそのラゲブリオについて取り上げ、今後は日本でも使用すべきでないのかについて谷口医院での経験、さらに私見も交えて述べていきたいと思います。
日本にラゲブリオが登場した(日本政府が使用を承認した)のは21年12月24日です。当初は取り扱っている薬局が非常に少なく、谷口医院の周囲の薬局に調剤を依頼できるようになるには22年の6月ごろまで待たねばなりませんでした。通常の薬とは異なり、厚生労働省が「特例承認」した薬剤で、日本人を対象とした十分な臨床試験がありません。実際に処方する我々医師が参考にできたのは、製薬会社が公表している臨床試験のデータのみでした。
当初のデータは「死亡と入院を5割減」
21年10月1日に製薬会社が公表したデータによると、ラゲブリオは新型コロナ感染者の入院または死亡のリスクを50%低下させました。50%……少し物足りない気がしないでもないですが、当時は効果が期待できる内服薬が他にありませんでしたから画期的な薬だと考えられました。
実際に使ってみた私の印象は悪くありませんでした。何人かの患者さんからは「ラゲブリオのおかげで良くなりました」と言われました。たしかに、ラゲブリオを使えば早く回復するという手ごたえのようなものは感じました。しかし、発熱や咽頭(いんとう)痛は比較的早くに消退するものの、「しばらく倦怠(けんたい)感が残る」「味覚障害が残る」といったいわゆる後遺症を訴える人はそれなりにいました。
昨年末に特例承認された経口薬「ラゲブリオ」を手にする薬剤師=東京都豊島区で2022年1月19日、幾島健太郎撮影「9割減」の薬が登場
ラゲブリオが発売されて間もなく、別の抗ウイルス薬でやはり飲み薬の「パキロビッド」(商品名)が登場しました。発表では、政府が200万人分を買い上げ、22年2月から、各医療機関に無償で供給されるとされていましたが、実際に(谷口医院の周囲の)薬局で調剤してもらえるようになったのは、ラゲブリオが処方できるようになった6月より3カ月遅れた9月中旬でした。私個人としては、パキロビッドが登場すれば、新型コロナで重症化リスクのある人には原則として、ラゲブリオではなく、パキロビッドを処方すると決めていました。なぜならパキロビッドは「重症化と死亡のリスクを89%低下させる」と発表されていたからです。共に製薬会社の独自の発表ですから単純に比較できるわけではないのですが、ラゲブリオは50%、パキロビッドなら89%なのですから、「重症化するかもしれない目の前の患者さんにどちらを使うべきか」と問われればパキロビッドを選択するのは当然でしょう。
ラゲブリオもパキロビッドも日本で承認された後の22年8月24日、医学誌「THE LANCET Infectious Diseases」に、この二つの薬についての論文が掲載されました。
この論文は、ラゲブリオとパキロビッドが同じ条件で死亡率をどれだけ下げるかを検証していました。結果は、ラゲブリオは52%下げ、パキロビッドは66%下げる、でした。やはりパキロビッドに分があります。
実際、医師としてパキロビッドを処方してみると、「ラゲブリオよりも断然よく効く」という印象があります。さらに、パキロビッドはどうやら後遺症を減らすこともできそうです。現時点で振り返ってみても、パキロビッドを内服した谷口医院の患者さんで1カ月以上にわたり後遺症が残った人は皆無です。早く治って後遺症のリスクも減るのならラゲブリオではなくパキロビッドを使うべきです。
「重症化・死亡は減らず」との新論文
そしてその後、ショッキングな情報が入ってきました。医学誌「British Medical Journal」22年10月11日に公開された記事によると、英国で新型コロナワクチン接種済みの2万5783人を対象とした「Panoramic」と呼ばれる研究で「ラゲブリオは重症化を減らさなかった」との結果が出たというのです。この時点ではまだ中間報告の記事という位置づけでしたが、最終的には論文で発表されました。医学誌「THE Lancet」22年12月22日に公開された論文で「ラゲブリオは有症状期間を4.2日間短縮させるものの、重症化または死亡のリスクは減らさない」と結論づけられたのです。
2万5000人以上を対象とした大規模研究で、重症化または死亡のリスクを下げないというこの結果は、当然ながら各国政府の政策に影響を与えます。
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厳しく反応した豪州とEU
23年2月24日、欧州連合(EU)の医薬品規制当局である欧州医薬品庁(EMA)は「ラゲブリオの販売承認の拒否を勧告する」と発表したのです。つまり、EMAはEU各国に「ラゲブリオは承認しないほうがよい」と正式に通達したわけです。※編集部注
欧州より先に動いていたのは豪州でした。同国の政府は22年12月2日の時点で「ラゲブリオを日常的に使用すべきでない(Do not routinely use)」という勧告を出しました。Panoramicの研究結果を検証し、上述のLANCETの論文が発表される前の時点で、治療方針を変更する決定を下したのです。
この勧告は、先ほどのパキロビッドや、点滴での治療薬である「レムデシビル」(商品名はベクルリー)の方が、ラゲブリオよりも好ましいとしています。そして、最初の二つの薬が使えない場合などには、ラゲブリオの使用も考えられるとしています。
また、米食品医薬品局(FDA)は21年12月23日に、ラゲブリオの緊急使用許可を出しました。ただし、この許可の対象は「FDAが承認した他の治療手段が使えない患者、あるいは使うことが臨床的に不適切な患者」に対する使用でした。つまり米国はもともと、豪州と似た評価をしていたのです。
一方、日本政府には今のところ動きはありません。EMAの発表は「日本の今後の新型コロナ対策に影響を与える重大な決定だ」と私は思っているのですが、なぜかほとんど注目されていません。行政が無関心であるばかりではなく、メディアもあまり取り上げていません。共同通信はこの記事を配信していますが(文字数は少ない)、それを取り上げた大手メディアは私が調べた限りで言えば、毎日新聞、産経新聞、東京新聞だけです(読売、朝日、日経では該当する記事が見つかりませんでした)。これでいいのでしょうか……。
新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけを「5類」へ見直す方針のニュースを伝える大型ビジョン=大阪市北区で2023年1月20日午後6時1分、大西岳彦撮影
上述した私の印象とは異なり、「ラゲブリオは、日本人の新型コロナ感染者の重症化または死亡のリスクを下げる」のであれば問題はありません。ですが、そうは言えないと思います。谷口医院の患者さんに限っていえば「ラゲブリオを処方して重症化した」という事例はありませんが、病院勤務の医師たちからは「ラゲブリオを使ったものの死亡を避けられなかった」という話をしばしば聞きます。他方、これも私の知る範囲での話ですが「パキロビッドを使って劇的に改善した。使わなければ危なかっただろう」という話を何度か聞いています。
日本も効果を検証すべき
どちらの薬がよく効くか、あるいは安全に使えるか、といった問題は医師の個人的な感想で決められるものではありません。むしろ、個人の印象や肌感覚に頼りすぎると「誤った医療」を導くことになります。だからこそ、治療方針の決定は「科学」に基づかなければなりません。
日本ではラゲブリオもパキロビッドも処方時に患者情報がデータベースに登録されています。患者の年齢、性別、既往歴、重症化因子の種類、ワクチン接種の状況、さらに薬の使用日などが記録され、どんな患者にいつ使ったかが分かります。入院(重症化)すればその情報も登録されます。死亡した場合も記録されています。
ということは、ラゲブリオでもパキロビッドでも、内服した人のどれだけが入院して死亡したかということは調べようと思えば調べられるのです。(なお、塩野義製薬の抗ウイルス薬「ゾコーバ」=商品名=は、重症化リスクを減らすことが確認されていないので、そもそも重症化リスクのある人に対してあまり処方されていないと思われます)
では、なぜ厚労省は、あるいは公衆衛生学者は、この作業、つまりラゲブリオとパキロビッドの効果の検証をしないのでしょう。データベースがそろっているわけですからやろうと思えばすぐにでもできるはずです。もしかすると現在すでに取り掛かっているのかもしれませんが、EUと豪州はすでに「当局としてはラゲブリオを推奨しない」という正式な見解を発表しているのですから急がねばなりません。
大分市消防局の救急車内に配備された新型コロナウイルスに対する抗原検査キット=大分市の大分中央消防署で2022年12月12日午後0時3分、津島史人撮影
日本でも、新型コロナは軽症化したとはいえ、重症化リスクのある人にとっては依然「死に至る病」です。「パキロビッドを処方していれば助かったかもしれないのにラゲブリオを選択したがために……」という悲劇を生まないためにも日本人を対象とした解析を早急にすべきです。
私自身はこれまで通り重症化リスクのある人に対しては原則としてパキロビッドを選択し続けます。
持病や併用薬などのためにパキロビッドを使えない人に対しては、使えるように工夫をするか、それが無理なら、入院して点滴薬での治療を受けられるようにするのがよいと考えています。
※編集部注 この勧告に際してEMAは「15日以内に勧告内容の再検討を要請できる」と、ラゲブリオの承認申請をしている製薬会社「MSD」に通知しました。そして同社は、この再検討を求める方針です。同社の日本法人によると、同社は「ラゲブリオは、重症化や死亡を減らすと考えている。(Panoramicの結果とは別に)MSDが実施した臨床試験や、イスラエルでの研究(審査前の論文で公表)などで、そうしたデータが出た」と主張しています。またラゲブリオについては最近、日本での昨年9~12月の売り上げは約540億円だった、という推計が発表されました。ラゲブリオは患者1人が通常、5日間使う薬で5日分の薬価は約9万4000円。540億円の売り上げは約57万人分に相当します。
一方、厚労省審査管理課は「ラゲブリオは、海外での承認を参考に特例承認された薬であり、国としては、承認後もデータを集めている。ただ、具体的にどんなデータを検討しているかは公表できない。今回のEMAが何を根拠に不承認を勧告したかは不明だが、たとえばフランスは、もともとラゲブリオを購入していなかった。一方で米国、英国はこの薬を使い続けている。日本としては、現段階で承認の見直しや、有効性の検討が必要だとは考えていない」と話しています。
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。