|
毎日新聞2024/3/24 06:00(最終更新 3/24 09:57)有料記事2240文字
「60年安保闘争」のさなかに「復初の説」と題して講演する丸山真男。戦後の民主主義建設の原点に立ち返れと語った=東京都千代田区の都市センターホールで1960年6月12日、東京本社写真部員撮影
東京大法学部教授を務めた政治学者、丸山真男(1914~96年)といえば、「リベラル」の代名詞。戦後民主主義を褒めるにもけなすにも、「丸山は~」とやれば収まりがいい。かく言う私も、このウェブコラムを始めて約1年半で、既に3回も丸山の名前を出した。けれど、本人の思想には言及していない。ちょうど先日、黒川みどり静岡大教授(65)が「評伝 丸山眞男 その思想と生涯」(有志舎)という本を出した。この際、復習しよう。そもそも、丸山って何を主張した人でしたっけ?
黒川さん、私のぶしつけな問いに「日本政治思想史の研究者として精神構造としての天皇制と格闘し、自立した『個』の大切さを説き続けた人です」と答える。
Advertisement
話をかみ砕くと、以下のような感じ。日本は明治維新以降、アジアでいち早く近代化を成し遂げた。が、人々の思考は江戸時代以前を引きずってきた。つまり思考の近代化に失敗した。
加えて、特に戦前は西欧などの近代国家と違い、国が思想や道徳などの価値判断、個人の内面までも支配下に置いた。その頂点にいるのが天皇だ。
黒川みどり静岡大教授=東京都杉並区で2023年6月2日、鈴木英生撮影
この体制下では、個人が自らの良心に基づく自主的な判断をしないし、できない。代わりに、誰も決定的な責任を引き受けない「無責任の体系」や、上位者から受けた圧力を自分より下位の人に押しつける「抑圧移譲」が満ちている。
責任の所在も公私の別もあいまいな社会で、ものごとは万事、ずるずるべったり、なんとなく進む。自由や民主主義といった外来思想も、ずるずるの力でなんとなく変形、無力化されてゆく。
他方、日本は集団同士の壁が厚い「タコツボ」社会でもある。自分たちの集団の「ウチ」で固まり、「ソト」を敵視しがち。善悪などの価値基準は、集団内の空気や常識が決める。内部での議論や対立は<それ自身何か悪いこと>とされる。これを、丸山は「閉じた社会」、あるいは「部落共同体」とも呼んだ。この「部落」は被差別部落ではなく「ムラ」という意味。
これら丸山が批判したもろもろをひっくるめて、黒川さんは「精神構造としての天皇制」とまとめる。人々が独立した「個」として判断し、行動するようにならなければ、さまざまな差別もその他の非合理的な価値観も根本からは変わらない。なるほど。そう考えるからこそ、実は被差別部落史研究者の黒川さんが丸山を読み込み、評伝まで書いたわけか。
さて黒川さん、「現実の天皇制がどうなろうとも、『精神構造としての天皇制』はなくなりません」とたたみかける。
「評伝 丸山眞男 その思想と生涯」=2024年3月21日午前9時40分、鈴木英生撮影
戦後、天皇制は戦前のような絶対的な力を失った。経済成長に伴い、農村などの古い共同体も縮小した。人々はバラバラの「個」になったはず。なのに、「相変わらず同調圧力は強いですよね」。丸山は、自身の参加した「60年安保闘争」や批判した全共闘など左派的な運動も、「閉じた社会」を作っていないかと問うた。
それ、私も似た心当たりがあるぞ。たとえば、今のジェンダー平等やダイバーシティー(多様性)といった考え方。無論、賛成だし、応援する記事も書いてきた。
が、これらも企業など特定の集団内で常識とされたり数値目標を決められたりしたら、構成員が腹の底でどう思おうと上意下達で推進される。平等や多様性といったリベラルな概念が、「閉じた社会」を強化する道具に成り下がる。
あるいは、「企業ブランディング」とか「PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクル」といったビジネス用語が、仕事への姿勢や組織への忠誠など構成員の内面を縛るために使われることも。黒川さんは「日本の外来思想の受け入れ方の典型ですね」とため息。
ほかにも、黒川さんの本にこんな丸山の指摘を見つけた。「政治的に偏っていない」が権力に対する無抵抗に過ぎなかったり、「お前よりもっとみじめな人がいる」と社会的「弱者」の要求が抑えつけられたり……。まるで、現代日本のダメさ加減を並べたカタログだ。
1959年1月9日の毎日新聞紙面。丸山の最も有名な文章のひとつ「『である』ことと『する』こと」(「日本の思想」収録)は当初、毎日新聞の文化面に掲載された
さて、丸山の処方箋は? 「『開かれた社会』を作るべきだとしました」。「開かれた社会」では、自立した個人同士が横につながり、<自由討議、自主的集団の多様な形成>がなされる。<その間の競争と闘争>を通して、よりよい価値観が生み出される。X(ツイッター)で「タコツボ」同士の罵倒合戦を見慣れた私には、ほとんど夢物語に聞こえますが。
「でもたとえば、最近、子ども食堂の普及活動をしている湯浅誠さんとか」。湯浅さん(54)は、かつて東大で日本政治思想史を学び博士課程まで在籍した。つまり丸山の直系だ。その湯浅さんに以前、子ども食堂は「意見や立場の違う人が同じ場を共有し、誰もが自分の意見を言えて、あり方を変えられる場」だと聞いた。
あるいは、政治思想史が専門の宇野重規東大教授(56)も、近年、地域おこしやNPOの現場に注目し、応援してきた。宇野さんは、これらを「自分たちのことを自分たちで、開かれた場で議論をして決めること」、つまり民主主義の実践だと言っていた。
面白いな、と思う。湯浅さんも宇野さんも、丸山による批判から一周回って、狭い地域での共同体にむしろ期待をかけている。安心して「個」になれる、同調圧力から解放された「開かれた共同体」が地域に芽生えている? 晩年の丸山は<個人が世界を直接構成するのは無理じゃないか>とも語っていた。この言葉に今、応答しているのが湯浅さんや宇野さん。そんな気もしてくる。【オピニオン編集部・鈴木英生】
<※3月25日のコラムは外信部の堀山明子記者が執筆します>