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探検家で作家の高野秀行さん=東京都杉並区で2022年7月19日、吉田航太撮影
探検家にしてノンフィクション作家の高野秀行氏(56歳)は、みずからADHD(注意欠如多動性障害)を疑い、この障害を探求すべく「旅」に出た。
まずは自分が本当にADHDなのか白黒をつけねばなるまい。そこで、彼は取材という体裁で精神科医のもとを訪れ、これまでのADHD的惨状を切々と訴えた。公認心理師の指示に従い面倒な検査もいくつか受けた。そして、いよいよ診断というところまでこぎ着けたのだが……。
ここまでは前回のあらすじです(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230219/med/00m/100/006000c)。高野さん自身の筆による「ADHD診断をめぐる旅」も、雑誌「精神看護」に3回にわたって(2022年11月号、23年1月号、3月号)掲載されました。そこに登場する精神科医が何を隠そうこの私、というわけなのですが、さて診断はどうなったのか。高野さんの言葉を借りるとこうなりました。
結局、私は「ADHD傾向がある」という結論しか得られなかった。いわゆる「グレーゾーン」である。
診断から漏れた理由を高野さんは自分が「困っていなかった」からと説明します。「私のようにADHD傾向が強くても特に困ってなければ診断されないことになる」
実際に、ご本人の訴えを聞くと、たしかにADHDに特徴的な不注意の症状が多く認められました。しかし、若い頃から探検家として世界中を駆け巡り、作家として社会的成功を収め、理解ある友人や伴侶に恵まれ、56歳の今日まで精神科医の世話になることもなく生きてきたのですから、いまさら○○障害にならずともよろしいのでは……。
と、これは医者としての私の言い分なのですが、なんだかイヤミだな、この書き方。高野さん、どうもすみません。あとからフォローしますので、しばしお待ちを。
発達障害の「グレーゾーン」問題
前回は、ADHDの診断がどのような過程でなされるか、米国精神医学会の「精神疾患の分類と診断の手引(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders、略称DSM)」の第5版にある診断基準に沿って解説しました。
ADHDに限らず精神科の診断においては、病気(障害)による症状がそろっているだけではダメで、それによって本人の生活がどれだけ妨げられているかという判断が必要とされています。DSMの精神疾患の定義の中にも次のような一文があります。
「精神疾患は通常、社会的、職業的、または他の重要な活動における意味のある苦痛または機能低下と関連する」
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精神疾患とみなされる数々の症状によって、患者が苦痛を感じている、あるいは本来持っている力をじゅうぶん発揮できなくなっている。だから、困っている。いってみれば、これが精神疾患と診断されるためのひとつの条件というわけです。
さらに、先の一文と同じページには、こんなことも書いてあります。
「一つの診断を示す症状を必ずしもすべて呈していない人もいるという事実は、適切な治療機会の制限を正当化するために使用されるべきではない」
一度読んだだけではよくわからない文章ですが、要するに、診断基準を満たすだけの症状がそろっていないという理由で患者の治療の機会を奪うべきではない、と言っているのです。高野さんのいう「グレーゾーン」は、まさにここに関わる問題です。
発達障害啓発でブルーにライトアップした、ときわ遊園地の大観覧車=山口県宇部市で2022年4月4日午後7時27分、柳瀬成一郎撮影
お断りしておきますが、この言葉は俗語です。でも、医者もうっかり使っちゃうことがあるんですよね。「うーん、グレーゾーンですかねえ……」みたいに。発達障害の診断に白黒のつかないグレーゾーンが生まれてしまうのは、障害自体の考え方と診断のやり方を考えれば仕方がないのですが、言われた方は気持ちよくないでしょう。
発達障害の症状をいくつか抱えているけれど、数が足りない、あるいは程度が軽いと判断され、治療や支援が受けられない人たちの一群。それがグレーゾーン。でも、たとえ診断がつかなかったとしても、似たような困りごとを抱えているのなら、治療かそれに準じたサービスが行われてしかるべきではないか。
診断基準に当てはまらないからといって放り出すようでは、たしかに患者のニーズはどこにいった?という話になりますよね。そもそも、治療あっての診断、患者さんあっての診断なのですから。
じつはやっぱり困ってた?!
高野さんは、自分が「困っていなかった」から診断されなかったと言っているので、本来の意味では「グレーゾーン」に当たらないと思います。だいたい困っていない人はわざわざ病院に来ませんから、診断されなければ黒もグレーもありません。
私は、もし高野さんがADHDだとしたら、探検家としても作家としても仕事はどうしているのか気になりました。不注意の程度によっては、みずからを命の危険にさらしたり、原稿の締め切りを忘れたり、イベントの予定をダブルブッキングしたりとか、いろいろありそうですから。
案の定、話を聞くうちにそんなエピソードも出てきたのですが、高野さんはすでに「令和の三大ADHD革命」によって、生活の改善を成し遂げていました。その革命とは、「ウエストバッグ」「IT化」「シェルパ」の三つだったといいます。
具体的にいえば、ひとつ、ウエストバッグに手帳、ペン、スマートフォン、家の鍵など必要なものを入れて肌身離さず腰に装着しておく。ふたつ、記録すべきものはパソコンやスマホから記録用アプリを起こしてすべて書き付けクラウドにあげるなどIT化をはかる。
そして、みっつめは、2人の友人にイベントのマネジメントと写真や映像の管理を有料で依頼する。この友人たちを高野さんは「シェルパ」と呼んでいるそうです。ご承知のとおり、登山のときに荷物を担いでくれる人のことです。
ウエストバッグは大学の探検部時代からの必需品だったし、職業柄もとからメモ魔。シェルパのアイデアも探検家ならではといえるかもしれません。これらは、高野さんが自分をADHDと自己診断してから、友人のアドバイスや書籍を参考にして実行した工夫だそうですが、私たちも患者さんに似たような助言をすることがあります。
さて、あらためて「精神看護」の連載を読み直してみたら、その1回目に、この「令和の三大ADHD革命」を断行したことにより「困り度」が「50%ぐらい改善された」と書かれてありました。
高野秀行さんの連載「ADHD診断をめぐる旅」が掲載されている雑誌「精神看護」の2022年11月号、23年1月号、3月号
残りの50%をまだ抱えたままだとしたら、高野さんはじゅうぶん困っているのでは……。診断の正確さにこだわったあまり、彼の本当の「困り度」を見逃していた自分が、なんだかヤブ医者みたいに思えてきました。
いっぽう、高野さんは高野さんで、ADHDの診断のカラクリを知ってから、ちょっと待てよと思ったらしく、「自分は本当に困っていないのか?」と悩み始めたというのです。
連載の最終回には、不注意が招いたエピソードの数々がつづられています。そして、「こんなことがエンドレスに続くのだから、冷静に振り返れば、おもいきり『困っている』のではないか」「『実はすごく困ってるみたいです』と山登先生に訴えようか」と。
おまけに、編集部のこんな予告が載っているではありませんか。「診断から治療へ! 高野さんのADHD探検は続きます」
その治療はどこで受けられるのでしょうか。情報提供書が必要なときは、いつでもおっしゃってください、高野さん。あいにく、うちのクリニックは子ども専門で……。
特記のない写真はゲッティ
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山登敬之
明治大学子どものこころクリニック院長
やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。