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「滝山病院事件は、単なる精神科病院の患者虐待事件ではなく、医療・福祉行政が絡んだ構造的な問題がある」と指摘し、「私自身も、同病院がなくなっては困る医療・福祉システムの片棒を担いでいる」と吐露する斎藤正彦さん=沢田石洋史撮影
精神科病院のスキャンダル
日本放送協会(NHK)の「NHKニュース7」は2月15日、東京都八王子市にある精神科病院「滝山病院」で、患者への暴力の疑いにより複数の看護師が警視庁の捜索を受け、そのうち1人が逮捕されたと報じました。
続いて同月25日にNHK教育テレビジョン(Eテレ)で放送されたのが、ETV特集「ルポ 死亡退院~精神医療・闇の実態」です。このドキュメンタリーには、滝山病院の看護師が患者さんを罵倒したり威嚇したりする様子や、患者さんの人権をないがしろにした院長や看護部長の会話を記録した動画が含まれていました。
映像を見る限り、逮捕された一看護師の非行とは思えず、病院全体の在り方が問われているのだと思います。週末に放送されたこの番組を見た次の週明け、私はとても暗たんたる気持ちで出勤しました。同じような気持ちで出勤した東京都立松沢病院の職員は私だけではありませんでした。その理由は、あとでお話しします。
滝山病院の事件は、私に、40年ほど前の報徳会宇都宮病院(宇都宮市)で起きた事件を思い出させました。それは、同病院で職員の暴力による殺人事件2件が明らかになったと1984年3月14日付の朝日新聞朝刊が報じたことで幕を上げました。
その後、院内で行われていた虐待や違法な診療、無資格者による遺体解剖、院長のファミリー企業における作業療法と称した患者さんの労働搾取など、さまざまな問題が明らかになり、当時の院長を含む数人の職員が実刑判決を受けて服役しました。
この事件がきっかけになり、わが国の精神医療における人権擁護規定の不備が露呈します。国際的な批判の高まりを受けて87年には、精神衛生法が精神保健法と名前を変え、非自発的入院や患者さんの人権を守るための法的手続き(due process of laws)が定められました。
宇都宮病院、滝山病院と、私のこと
滝山病院と宇都宮病院に共通するのは、もともと、その医療内容に疑念を持たれていたにもかかわらず、医療機関にも、福祉機関にも必要とされる病院だったことです。それゆえの遠慮があったのか、行政が単なる怠慢な監査で問題を見逃していたのかはわかりません。
宇都宮病院は当時、関東一円にその名を知られていました。なぜなら、この病院は、覚醒剤依存の暴力団組員や、“サイコパス”と呼ばれる反社会的な傾向の強い人を引き受けてくれる病院だったからです。さらに、私が初期研修を受けた東京大学医学部精神医学教室と深い関係がありました。
「宇都宮病院」違法診療、傷害致死事件。実地審査のため、報徳会宇都宮病院に入る県職員=1984年4月10日撮影
卒業前、精神科に進みたいという私を、大学の先輩が宇都宮病院の見学に連れて行ってくれました。そこで何を見たか詳細に覚えているわけではありませんが、一つだけ、忘れられない光景があります。
広いグラウンドの向こう側に患者さんを等間隔に立たせ、反対側から石川文之進院長(当時)が5番アイアン(ゴルフクラブ)でボールを打ち、患者さんに拾わせる様子です。
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「俺の5番は150ヤードぴったりだからぼっとしているやつらでも直撃することはないんだ。反射神経が養われていい運動療法なんだ」
ボールを避けて右往左往する患者さんを笑いながら見ている院長の姿を私はあぜんとして眺めていました。
東大病院での初期研修でも、石川院長が登場しました。教室のカンファレンスに、何人もの人を殺害したことで有名な患者さんを連れてきて、私たちの前で問診をした時の光景を、私は今でも覚えています。
「おめえ、シャバで何人殺した? え? 覚えてねえのか? 教えてやろうか、覚えてんだろ、言ってみ、なんでやった? え、シャブか?」
院長の下卑た質問に、屈強な看護師に挟まれた患者さんは一言も答えませんでした。
これは、精神医学的なカンファレンスとはかけ離れています。私たち大学病院の医師の前で患者さんを見せ物にしているようにしか見えませんでした。一研修医だった私はただ黙って眺めていただけでした。
ソーシャルワーカーの立場から宇都宮病院問題を論議した医療社会事業全国大会の特別報告会=栃木県藤原町の「あさやホテル」で1984年5月25日撮影
つまり、私は学生時代から、宇都宮病院がいかなる病院であるかを知っていたのです。
初期研修を終えて82年に松沢病院に移った私は、宇都宮病院がだれにも批判されない理由を思い知りました。松沢病院は当時から「精神科夜間休日救急診療事業」を行っていました。このシステムは松沢病院が夜間に引き受けた救急患者さんを、翌朝、当番制で民間の病院に転送することにより成り立っていました。
こうしなければ、毎晩4床の保護室を空けて救急に備えることはできないからです。でも、時として、民間病院に転送できない患者さんがいます。身体合併症のある人、外国人、処遇困難を理由に当番病院が拒否する人です。合併症のある人と外国人は松沢病院が引き受けますが、困るのは、処遇困難な患者さんです。
ある朝、覚醒剤依存でしばしば暴力事件を起こしている暴力団組員の転送先に困っている私に、「先生、宇都宮病院に相談してください」と東京都の事務職員がささやいたのです。半信半疑で電話すると二つ返事で引き受けてくれたうえ、普段は東京都の車で転送するのに、宇都宮病院は自前の移送車に男性職員を乗せてすぐに迎えに来てくれました。松沢病院と東京都は、これにて一件落着です。
宇都宮病院事件はそれから1年もしないうちに発覚しました。
滝山病院に頼らざるを得ない理由
91年に松沢病院を離れた私は、2012年に院長として再び戻ってきました。そして、「よその病院で困る患者さんは松沢で引き受ける」という方針を徹底しました。若いころの宇都宮病院とのいきさつは、私の良心に刺さる小さなとげのようなものだったのです。
滝山病院には慢性期の透析患者さんを引き受けるという強みがありました。精神機能に問題がなければ、自宅や高齢者施設などで生活しながら近所の医療機関に通院し、透析を受けられます。一方、重い精神疾患や認知症の患者さんはそれができません。
人工透析を受ける患者=長崎市内の病院で2017年11月30日、堀井恵里子撮影
そもそも、このような患者さんの中には、透析中、じっとしていることも困難な人が珍しくありません。特に家族による通院支援も期待できず、お金もない精神障害者が慢性的な透析を必要とするようになると、退院先探しが絶望的に困難になります。
松沢病院には3床の透析室のほかに、患者さんの病室に移動できるポータブル透析装置が1台あります。しかし、透析に必要な装置を管理する技師と透析を管理する内科の専門医は、それぞれ一人ずつしかいません。つまり、慢性的な透析患者さんがいたら、これらの職員はまとまった休みはおろか、満足に有給休暇も取れないのです。
松沢病院では、急性期の患者さんが透析を行い、回復したら透析を離脱して退院することが前提で運用されているのです。そうはいっても急性期治療がうまくいかない患者さんは少なくありません。そのようなときに、生活保護を担当するソーシャルワーカーが頼りにするのが滝山病院でした。
私が松沢病院の院長をしている時期も状況は変わりませんでした。滝山病院の芳しくない評判を見聞きしていても、それには目をつぶって「生活保護で、慢性透析」を引き受けてくれる、という理由で頼ってきたのです。
20年、滝山病院で新型コロナの集団感染が起こった時、松沢病院は患者さんを救援するため、内科医、精神科医、精神科後期研修医、看護師(ICN)、精神保健福祉士(PSW)からなるコロナチームを滝山病院に派遣しました。彼らがそこで目にしたのは、新型コロナクラスターの惨状に輪をかけた病院全体の問題でした。
コロナ専用病床で患者の治療にあたる東京都立松沢病院のスタッフ=同病院提供
滝山病院から松沢病院に転送された患者さんの肺炎治療が終了した時、正義感にあふれる若い部長が、「院長は、あんな病院でも患者を送り返すのか」と食って掛かりましたが、私は事前のきまりどおり、患者さんを戻すように指示しました。
先の展開が見えない中で、松沢病院を少しでも身軽にしておきたかった。混乱の中で民間病院とトラブルを起こしたくなかったのです。さらに付言するなら、この後も、慢性的な透析が必要な患者さんの一部の転送先について、滝山病院を抜きに考えることは困難な状況が続いています。私自身も、滝山病院がなくなっては困る医療・福祉システムの片棒を担いでいるのです。
滝山病院は八王子市にありますが、患者さんは東京都だけでなく、近県から広く送られてきています。暴力的な患者さんの処遇に困った関東一円の医療、福祉機関が宇都宮病院を頼ったように、慢性透析が必要で経済力のない患者さんの処遇には滝山病院を頼ってきました。
滝山病院事件は、単なる精神科病院の患者虐待事件ではなく、40年前の宇都宮病院と同様に、医療・福祉行政が絡んだ構造的な問題があるのです。東京都内をはじめ、滝山病院に生活保護の患者さんを送り込んでいたすべての自治体は、事件を一病院のスキャンダルに矮小(わいしょう)化してだんまりを決め込むのではなく、この事件を自分自身のモラルが問われるスキャンダルとして真摯(しんし)に対処すべきです。
繰り返される精神科病院の不祥事
すでに述べたように、宇都宮病院事件以降、法律が変わって、精神科病院への非自発的入院、隔離・拘束などの行動制限には厳格な手続きが義務付けられました。
島根県が作成した「不適切な身体拘束を防止するための手引き」を、イラスト付きで紹介したパンフレット
しかし、実際に患者さんの人権侵害が防げるかというとそうでもありません。書類を整え、手続きを踏めばそれ以上の詮索は受けないので、その気になれば隠蔽(いんぺい)できます。松沢病院にも毎年、いくつかの行政監察がありますが、指摘されるのは書類の不備がほとんどで、実際にどのような治療、看護が行われているかを評価するようなことはありません。
滝山病院事件は、おそらく、宇都宮病院事件ほどのシステム変動を起こさないだろうと思います。このまま放置すれば、事件は忘れられ、遠からぬ将来、何らかのきっかけで同じようなスキャンダルが別の病院で発覚し、マスコミが騒ぎ、関係者が処分され、虐待を生み出すシステムそのものは温存されていくのでしょう。
宇都宮病院の実質的な経営者は、事件当時と変わっていませんし、現在の滝山病院の院長はかつて、医療過誤事件を起こし、マスコミに袋だたきにされた病院の院長であるという事実は、こうしたシステムを変えることの困難さを象徴するものではないでしょうか。
では、どうすれば変えられるのでしょう。
宇都宮病院事件後の法改正が、その後のたくさんの精神科病院内における患者虐待事件を防ぐことができず、今回また滝山病院事件が起こったことを考えるなら、法律や制度の改革だけでは問題が解決しないのは明らかです。
この問題については次回、自分の病院で起こった虐待事件の顚末(てんまつ)を含めて考えてみようと思います。
特記のない写真はゲッティ
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斎藤正彦
東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。