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毎日新聞 2023/4/18 07:00(最終更新 4/18 07:00) 有料記事 2138文字
中国軍の機関紙「解放軍報」。脳とコンピューターをつなぐ技術に関する記述が目立つようになった=2023年4月6日、池田知広撮影
脳と機械をつなぐ技術は、医療やビジネスの世界だけでなく、安全保障の分野でも実用化が模索されている。中でも米国と中国は、技術開発でしのぎを削る。国際学術誌「サイエンティフィック・リポーツ」のウェブサイトには、中国・杭州の浙江(せっこう)大が実施したある実験の映像が公開されている。
箱の中に迷路のようなコースが設けられ、コース上には所々に矢印がある。背中に通信装置を背負った白いネズミはスタートの位置から歩き出すと、矢印の意味を理解していないのに、矢印が指す方向へ進みながらゴールに向かっていく。その様子を、そばにいた男性が見つめていた。
「これはBCIを用いて哺乳類同士の脳を直接、接続した初めての試みです」。実験に取り組んだ浙江大のシュウ・ケディ教授はそう解説する。
連載「拡張する脳」の第3部は、以下のラインアップでお届けします。
上/ 米中対立 互いを恐れて進む研究
中/ 「軍民両用」 防衛装備庁の狙い=19日午前7時掲載予定
下/ どうなるBMIの軍事応用=20日午前7時掲載予定
BCIとは、脳と機械をつなぐ技術「ブレーン・コンピューター・インターフェース」のことだ。「ブレーン・マシン・インターフェース(BMI)」とも呼ばれている。
実験で、男性は脳波を読み取る装置を装着していた。右手を動かそうとイメージするだけで、その脳波が電気的な刺激に変換されて、通信装置を介してネズミの脳に送られる。
制空権ならぬ「制脳権」
人間の脳波で操作され、箱の中の迷路を進む白いネズミ(中央左寄り)=国際学術誌「サイエンティフィック・リポーツ」のウェブサイトに掲載された中国・浙江大の動画より
ネズミが矢印と反対の方へ進もうとした場合、男性が進路を直すために手を動かそうとイメージすることで、刺激がネズミの脳に伝わり、進行方向を変えさせ矢印の方向へ向かわせる。
今回の実験で、ネズミの「遠隔操作」ができたとしている。シュウ教授は、人と人の「脳同士」の接続によって、話をしなくても意思疎通できる日が将来訪れると信じているという。
一方、BMIを巡っては中国軍も関心を抱いている。軍が研究にどれほどの支援をしているのか実態は不明だが、軍の機関紙「解放軍報」をめくると、BMIに関する論考が何度も登場する。
その一つが、2020年9月の軍報だ。BMIの将来の軍事応用について「敵の兵士の脳を刺激することで、脳を制御できるようになる」「(脳の刺激で)敵の戦意を左右させ戦わずして倒せる」と主張していた。
BMIに関する議論が盛んになるのに伴い、「制空権」「制海権」に倣って「制脳権」という言葉も登場した。敵兵士の脳の判断能力をコントロールして、支配下に置くといったような意味があるとみられる。
シュウ教授は「(自分たちの)研究は決して軍事的な目的で行われたものではない」と説明する。
防衛省防衛研究所の飯田将史・米欧ロシア研究室長=2023年1月31日、池田知広撮影
ただ、中国の防衛技術に詳しい飯田将史・防衛省防衛研究所米欧ロシア研究室長は、脳同士のコミュニケーション技術が実現すれば、ロボット戦士の操縦や動物を用いた攻撃など、軍事的な使われ方も推測できると指摘する。
「中国は民間発の技術を軍に応用する『軍民融合』を推進している。(BMIなど)最先端の基礎研究が軍事に応用される可能性は、常に存在している」
脳同士の意思伝達の研究、米でも
「テレパシー」のような脳同士のコミュニケーションに関する研究は、米国でも始まっている。
テキサス州ヒューストンのライス大で実施されているのは、光や磁気を使ったワイヤレス通信で、人の脳と脳をつないで意思疎通を図ろうとする研究だ。資金面では、国防総省の国防高等研究計画局(DARPA、ダーパ)が援助している。
脳と機械をつなぐ技術の研究開発について紹介する米国防高等研究計画局(DARPA)のウェブサイト=2023年4月6日、池田知広撮影
DARPAは、軍事転用が可能な民間の研究開発を見定めて資金を提供していて、BMIの分野でも新型の義手の開発など成果を上げてきた。頭の中で念じることで複数のドローンを一度に操作したり、戦闘機の模擬飛行の操縦をしたりする実験も支援している。
実際の戦場では、どのような使い方が想定されているのか。国防総省との関係が深いシンクタンク「ランド研究所」は20年、BMIの軍事応用に関する報告書をまとめた。
報告書によると、将来的には手を使わず考えただけでロボットやドローンなどの兵器を操作することや、人が聞こえない周波数の音でも聞き取れるよう兵士の聴力を向上させることなどが想定されている。
実用化には課題山積
ランド研究所の報告書や解放軍報が触れているような技術の実用化に向けては、まだまだ課題が山積している。脳同士のコミュニケーションも、実現の見通しは全く立っていない。
それでも、米中とも脳科学に関連する技術開発に力を入れていることについて、防衛研究所の飯田さんは「近年の米中対立が、お互いの開発を加速させている」と分析。「米中とも危機感は非常に強い。特に、中国は『生死をかけて自力でやらないと、米国にやられてしまう』と危惧している」と語る。
米国も中国の動向を懸念している。科学技術系シンクタンクの公益財団法人「未来工学研究所」(東京都)の多田浩之・主席研究員は「米国の軍人は、中国の軍民融合をものすごく脅威に感じている」と話す。
実現性が不透明な技術の戦場での転用を互いに恐れて、米中が技術覇権を争っている。そのはざまで、日本も研究開発に動いていた。【池田知広、松本光樹】