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毎日新聞 2023/4/24 10:30(最終更新 4/24 13:24) 有料記事 2482文字
牧野富太郎が描いたムジナモの植物図=植物学雑誌第7巻80号に掲載の論文より
NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとして改めて脚光を浴びている研究者、牧野富太郎(1862~1957年)。ドラマでは草木に話しかけるなど、植物への情熱的な姿勢が描かれる。「草花は恋人」と話していたという牧野はどんな業績を残したのだろうか。
独学で身につけた植物の知識
「牧野が活躍したのは日本の植物学の黎明(れいめい)期。『日本の植物相(生息している植物種の全体像)』解明を大きく加速させたことが功績の一つです」。田中伸幸・国立科学博物館陸上植物研究グループ長はそう解説する。
牧野富太郎の肖像写真=個人蔵
牧野は土佐・佐川村(現高知県佐川町)に生まれた。学歴は小学校中退で、独学で植物について学び、全国を飛び回って植物を採集した。19歳からたびたび上京し、東京大理学部植物学教室に出入りを許されると、研究室の標本や文献を利用して研究を深めた。
代表的な業績の一つが、多くの植物に学名や和名をつけたことだ。学名とは生き物につけられる、世界共通の学術上の名前で、植物では1867年に初めて国際的な命名ルールが公布された。
新種を発見し、標本や文献を調べてそれまで知られていたどの植物種とも違うことを確認できたら、ルールに基づいてラテン語で学名をつけ、多くの研究者が目にする雑誌などに発表する。新種としての確認作業が必要なため、命名するのが発見者ではないこともある。田中さんによると、ルール上無効となったケースを除き、牧野が命名した学名は約1350に上る。
牧野富太郎が妻・寿衛にちなんで命名した「スエコザサ」。住居跡に設けられた記念庭園に植えられている=東京都練馬区立牧野記念庭園で2023年4月6日午前9時35分、三股智子撮影
妻にちなんで命名したササも
植物を分類する学問分野は欧州で発展し、日本には幕末に伝わった。アジサイやケヤキなど誰もが知るような日本の植物には、欧州の研究者が既に学名をつけていた。日本の植物学者は、目立たない植物を「独立した種」と分類して学名をつけ、植物相を明らかにすることに取り組んでいた。
牧野がつけた学名は1888年、ロシア人研究者の協力を得て発表した「コミヤマスミレ」が最初だ。89年発表の「ヤマトグサ」の学名は初めて日本の学術誌に日本人が発表したケースとして知られる。研究生活を献身的に支えた妻・寿衛(すえ)が1928年に亡くなると、当時熱心に研究していたササの変種にスエコザサ(和名)、Sasaella ramosa var.suwekoana(学名)と命名し、翌29年に発表した。
牧野富太郎が新種として発表した「ヤッコソウ」の標本=東京都八王子市の東京都立大牧野標本館で2023年4月5日午後3時5分、三股智子撮影
田中さんが最も優れた業績と指摘するのは、木の根に寄生する「ヤッコソウ」を分類上の新しいグループ(科)として提唱したことだ。牧野が1909年に新種として発表した植物で、詳細に調べた結果2年後に独立した「ヤッコソウ科」を創設した。世界的によく研究されている種子植物の中で、現在も認められる科を提唱した日本の研究者はごくわずかだという。
専門の画家にも引けを取らない腕前
牧野はまた、日本の植物図のレベルを向上させたとも評価される。新種の発表などの際に必要な植物図は一般の絵画と違い、植物の形態の特徴や、他の似た種との見分け方を緻密で正確に描く必要があった。
専門の植物画家にも引けをとらない腕前で、代表的な著作「大日本植物志」などでは自ら絵筆を執り、今も一般に親しまれる「牧野日本植物図鑑」では牧野の指導を受けた画家たちが活躍した。国内で初めて水生の食虫植物「ムジナモ」を発見し、海外では確認されていなかった花を緻密に描いて発表すると、世界的に高く評価されたという。
教育普及に尽力、全国で植物ファン育てる
牧野は94歳で亡くなるまで調査・標本採集や講演、執筆活動などを精力的に行った。田中さんは「50代からは教育普及活動に力を入れ、全国の植物ファンや理科教員を育てました。牧野が他の植物学者と違う、最も特徴的な業績です」と話す。
東京都練馬区立牧野記念庭園内に再現された牧野富太郎の書斎=東京都練馬区で2023年4月6日午前9時26分、三股智子撮影
牧野は各地の観察会や講演会に招かれ、植物同好会の設立や指導に当たった。各地の愛好家との連携は、地域の植物相の解明や珍しい標本の収集にもつながる。牧野が残した約40万枚とも言われる植物標本のうち、自身で収集したのは約3分の1ほどで、多くが各地の愛好家から送られたものだったという。
標本は、ほとんどが新聞紙で挟んで乾燥させた押し花状態で自宅に保管されていた。量の膨大さに加え、採集日時や場所、種名などのラベルがない未整理状態だったことが大きな問題だった。
牧野が東京都の名誉都民第1号であった縁で、標本は遺族から都に寄贈された。死去の翌年、東京都立大に「牧野標本館」が設置され、学術資料として整理する作業が続けられた。
現館長の村上哲明・都立大教授(植物系統分類学)は「重複分を除いた約16万点を整理するのに20年以上かかりました」と振り返る。
近年の研究に活用、重要さ増す牧野標本
牧野富太郎が現在の東京都江戸川区で採集した「ムジナモ」の標本=東京都八王子市の東京都立大牧野標本館で2023年4月5日午後2時55分、三股智子撮影
都立大では標本を挟んだ新聞紙やメモ、日記などを基に行動録を作成し、ラベルの情報を補った。中には、既に絶滅した植物や、約100年前には田園地帯だった東京・渋谷で栽培されていたソバやアイなどもあり、歴史的な価値もある。また、牧野が繰り返し収集を行った滋賀・伊吹山の標本は温暖化と植物の遺伝子の変化を調べる研究にも活用された。
牧野の時代、分類は形態の特徴を基に行われたが、90年代以降DNAを調べて系統解析する手法が主流になった。村上さんは「牧野の植物に対する情熱と、愛好家を育てて日本の植物学研究の裾野を広げた業績は類がない。全ゲノムを解析できる時代になり、牧野標本の価値はこれから重要さを増していくと思います」と話す。【三股智子】
牧野富太郎の略年譜
1862年 土佐・佐川村(現高知県佐川町)に生まれる
84年 東京大植物学教室に出入りを許され、標本や文献の利用を始める
87年 「植物学雑誌」の創刊に関わる
88年 「コミヤマスミレ」の学名を発表
1900年 「大日本植物志」第1巻第1集刊行
09年 「植物学雑誌」に新種「ヤッコソウ」を発表
16年 「植物研究雑誌」を自費創刊
27年 理学博士号を授与される
28年 妻・寿衛が死去。翌年に「スエコザサ」命名
40年 「牧野日本植物図鑑」刊行
57年 死去