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精神科病院での虐待を減らすためのポイントとして、第一に「密室性排除が重要。虐待を個人の資質の問題に矮小化し、その人を責めるだけでは解決しません。虐待は組織の構造が引き起こすものです」と指摘する都立松沢病院名誉院長、斎藤正彦さん=提供写真
誰にでも起こりうる弱者に対する虐待
漢和辞典で虐待の「虐」という文字を引くと、トラと爪(そう)という文字からなり、トラが足の爪で他の動物をいたぶることと書かれています。
精神科病院、知的障がい者施設、老人施設、出入国在留管理庁の収容施設等での被収容者に対する虐待、家庭内における乳幼児や認知症高齢者への虐待など、ほとんど途切れずに報道されるこれらの事件に共通するのは、他人の目がない密室の中で、逆らうことも逃げ出すこともできない弱い立場の人たちに対して、強い立場の人が一方的に暴力をふるっている点です。
密室における虐待の報道が、これほど私たちを不快にし、不安にさせるのはなぜでしょう。その理由の一つは、虐待事件の加害者が、必ずしも社会的な強者ではないという事実です。
むしろ、密室の外ではごくごく普通の市民であったり、場合によっては社会的弱者としての役割を強いられる人たちであったりすることも少なくありません。虐待は時として、弱者のストレスのはけ口が、より弱い人たちに向けられた時に起こります。
中井やまゆり園の虐待が疑われる事案を受けて開かれた県による報告会=神奈川県秦野市で2022年11月26日、園部仁史撮影
私は昔、取引先で嫌なことがあると、家に帰って小さなペットを虐待し、しばしば死に至らしめる衝動を何とか止めてほしいと泣きながら訴える若い営業マンを診察したことがあります。彼は、営業成績も良く、会社では腰の低いまじめな青年と評価されていました。
弱者に対する虐待は、状況によっては誰にでも起こりうるのです。
繰り返される虐待事件の背景にあるもの
先月お話しした(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230328/med/00m/100/020000c)、報徳会宇都宮病院事件は、職員の暴力により2人の患者さんが死亡するなどの深刻な人権侵害を、1984年に朝日新聞が報道することで発覚しました。
今回、入院患者さんへの暴行容疑で看護師3人が逮捕された滝山病院(東京都八王子市)の事件が露見したのは、おそらく組織的な内部告発があったためでしょう。それが日本放送協会(NHK)による一連の報道につながったからです。
しかし、こうした事件の発覚の仕方は極めて例外的なものです。実際にどれだけ多くの人が、虐待の被害にあっているのかは知りようがありません。
宇都宮病院と滝山病院の事件は、複数の行政機関による定期的な監査では見いだされませんでした。NHKで報道されたように、事件発覚前の2021年、都庁が行った滝山病院の精神科実地指導において、患者の隔離や身体拘束、退院支援委員会の実施状況を含むほとんどの項目がA評価だったことからも、現行の行政監査の限界は明らかです。
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実地審査のため、宇都宮市の宇都宮病院に入る秋山洋一・栃木県精神衛生協会長(左端)ら精神鑑定医たち=1984年4月10日撮影
宇都宮病院事件をきっかけに1987年、精神衛生法から「精神保健法(現:精神保健及び精神障害者福祉に関する法律=精神保健福祉法)」に改められ、入院患者さんが病院内での処遇改善を求める法的手段が確保されました。2016年の法改正では、その権利の範囲が家族にまで拡大されました。
しかし、これはあくまでも建前の話です。
患者さんや家族が、法的な権利を行使して処遇改善を訴えることが現実的に可能かどうかは病院の姿勢にかかっています。病院が訴える手段を保障し、手続きを支援しなければ訴えられないからです。虐待など起こりそうにない良心的な病院ほど、患者さんの権利を守り、たとえ患者さんの訴えが妄想的なものだと思っても、法手続きに従って不服申し立てを支援します。
一方、問題のある病院ほど協力を拒みます。つまり虐待リスクの高い施設にいる患者さんほど、外部に訴える手段がないのです。
加えて、家族が患者さんの人権擁護に熱心ではない場合、入院患者さんを代弁して処遇の改善を要求することは期待できません。さまざまな理由で患者さんの長期入院を希望している家族は、「では退院してください」と言われたら困るからです。
宇都宮病院でも滝山病院でも、患者さんを持て余し、長期入院を希望している家族は悪いうわさがあっても口をつぐんでいました。さらに、もともと不十分な精神保健福祉法の人権擁護規定をさらに骨抜きにする方法があります。
精神保健福祉法における入院患者さんの人権擁護規定は、当然のことながら強制入院の患者さんに厚くできています。自発的に入院(法律では任意入院と呼びます)した患者さんは、処遇に不満なら自分で退院できるという建前だからです。
したがって、形だけ任意入院にしてしまえば、患者さんは自分の意思で入院していることになるので、強制入院のような権利擁護のための書類も定期的な病状報告も必要ありません。強制入院を減らしさえすれば虐待が減る、ということではないのです。
私が経験した虐待事件の顚末(てんまつ)
私は、06年から12年までの6年間、高齢者医療を中心にした私立病院の院長をしていました。認知症の患者さんも多く入院するその病院では、開設以来、拘束しない、隔離しないという方針を徹底しており、その優れたケアは、海外からテレビ取材が入るほどの定評がありました。
ところが、私が院長になって1年が過ぎたある日、退職する介護職員から内部告発の手紙が届いたのです。彼が勤務していた病棟で、夜勤職員による患者さんの虐待、看護記録の改ざんなどが行われ、それを注意すると、病棟にいづらくなるような雰囲気があるというものでした。
なお、この間の経緯について、以下の記載はすでに公表された論文の範囲内です(齋藤正彦・白濱龍興(しらはま・たつおき):老人病院における高齢者虐待等不祥事とその対応をめぐって.老年精神医学雑誌19(5)p577-585,2008)。
看護部長は、手紙が届いた当日から、当該病棟の全職員に面接し、実際に虐待を含む不適切な行為があったことを確認しました。虐待を行ったと名指しされた看護、介護職員は6人で、このうち1人はすでに退職していました。
告発から7日目、院内全職員に事件の概要を説明、同日、保健所、市役所、県庁に報告し指示を仰ぎました。14日目までに、直接被害を受けた患者家族に面会して謝罪し、15日目には、その他の患者家族に説明会を開催、28日目に、病院幹部を含む関係者の処分を公示し、最終報告書を保健所、市役所、県庁に提出しました。
この虐待事件をきっかけに、私が院長になる以前5年間の記録を調べると、過去にも同様の事件が何回か起こっていました。しかし、その都度、当該職員の個人的資質の問題として処理され、組織のあり方を問い直すことはされていませんでした。
医療施設における虐待事例を個人の問題に矮小(わいしょう)化してしまえば虐待を生んだ土壌は温存され、やがて同じ事件が起こります。
そこで、私たちは虐待の温床になった課題を一つずつ解決することにしました。
看護・介護の質を高めた対策とは?
まずは、病棟業務の合理化による看護・介護スタッフの負担軽減です。現場の職員の満足度が上がれば、サービスの質は必ず上がります。不必要な業務をなくし、必要な仕事には人を増やすことにしました。
その分、費用も掛かりますが、ケアの質が向上し、病院の評判が良くなれば、病床の稼働率も上がり、費用をのみ込めます。
次に、病院組織の改革です。再発防止のセーフガードを現場に押し付けると負担が増えます。仕事量はむしろ軽減し、マネジメント体制の強化により、医療事故防止、調査、対処を迅速に行えるよう組織を整えました。
そして、医師、看護師、介護士というヒエラルキーを超えて、自立と共同を促すために、病棟運営の責任を看護師長だけでなく医師も分掌することとし、看護の下に置かれていた介護職員の待遇を改善。病棟ごとに介護主任を配置して職業的自立を促しました。
さらに、病棟をオープンにして密室性を下げました。第三者評価制度を導入し、看護、介護、法律、倫理の専門家、介護経験のある一般の方に毎年おのおの1時間、全病棟の様子を観察してもらい、問題点について、当該病棟の職員と話し合うことにしました。同時に、面会時間に制限をつけず、夜間のスタッフが少ない時間帯でも、家族が病棟に入って患者さんと面会できるようにしました。
こうして、病院は虐待事件を契機に、さらに透明性を高め、組織マネジメント力を高めました。結果、働く人の満足度向上によって労働生産性を高め、看護・介護の質を高めました。この改革によって、外部の方々の認知症医療の現実に関する理解が深まり、病院は強力なサポーターを得ることになったのです。
虐待を減らすための四つのポイント
松沢病院でも14年に、実習に来ていた看護学生が学校に提出したリポートが契機になり、看護師による患者さんへの暴力事件が発覚しました。病棟職員の多くが知っていたのに、学生の告発で事件が明らかになるということ自体が大きな衝撃でした。
精神疾患がある新型コロナウイルス患者専用の東京都立松沢病院の病棟=東京都世田谷区で2021年2月22日、大西岳彦撮影
しかし、この事件は、良きにつけ、あしきにつけ、行政の組織力で処理されたので、院長である私がしたのは、最後の記者会見で居並ぶテレビカメラの前で謝罪のお辞儀をしたことだけです。
この行政的な危機管理には一長一短がありますが、今回のコラムの本質からは外れるので、いずれ、稿を改めて論じようと思います。
最後に、精神科病院での虐待を減らすために重要なことを整理しておきます。
第一に、精神科病棟の密室性排除が重要です。虐待を個人の資質の問題に矮小化し、その人を責めるだけでは解決しません。虐待は組織の構造が引き起こすものです。
そのためには、法律で保障されている面会や外部との通信の自由に関する実質的な保障について、行政監察を厳しくすべきです。第三者評価、家族面接の奨励、外部からの研修受け入れなど、法律にない対応も大切です。
第二は、精神科病院で働く人の満足度を上げることです。職員満足度を決めるのは、報酬ばかりではありません。労働条件が安定している都立病院でも、病院幹部のマネジメントによって大きく変化します。職員満足度の低下は、ケアの質の低下に直結し、虐待リスクを上げます。
第三に、病院経営のひずみがこうした事件を生むという自覚を、病院長、事務局長、看護部長などの病院幹部が持つことです。とんでもないことをした職員より、職員にとんでもないことをさせた院長の方が責任は重いのです。病院の経営合理化は、現業職員の負担を減らし心身の余裕を生む方向でなされるべきです。
最後に、精神医療行政の問題を上げておきます。精神科病院での虐待を生む大きな理由の一つは、精神医療行政の貧困です。逆に言うなら、そこさえしっかりしていれば、虐待のリスクは大きく低下するのです。
現在の日本の精神医療では、多くの処遇困難な患者さん、地域移行の難しい長期在院患者さんの治療を民間病院が担っています。前回も書きましたが、知事の行政命令による措置入院、身体拘束、隔離、強制的な服薬など憲法が保障する基本的人権が著しく制限されるような医療は、国公立病院が税金で引き受けるべきです。
また、家族や社会の支援が受けられずに長期入院を強いられている患者さんの地域移行について達成目標を掲げ、民間に丸投げではない具体的な方法を示して推進する必要があるでしょう。そうすれば、民間病院は自分の意思で入院する患者さんの治療を担い、患者さん自身による選択が進んで、問題の多い病院が淘汰(とうた)されるはずです。
特記のない写真はゲッティ
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斎藤正彦
東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。