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毎日新聞2024/4/17 東京朝刊有料記事4473文字
東国大の金廷錫教授=福岡静哉撮影
韓国の2023年の合計特殊出生率は0.72(暫定値)と発表された。急激な人口減少の予測から、「地球上から最初に消滅する国」との指摘も。首都圏への一極集中、女性の生きづらさなど、日本と共通する課題も背景にある。どうすれば改善できるのか。人口学、社会学、地方自治の観点で、韓日の専門家に聞いた。
出産の勇気くじく競争社会 金廷錫 韓国・東国大教授
0・72という合計特殊出生率は、戦争や飢饉(ききん)といった異常事態にある社会を除けば、通常はあり得ない数字だ。韓国もかつては出生率が高く、1960年代には5を超えていた。人口過剰への懸念から当時の韓国政府は、避妊知識の普及や、子供が2人以下の世帯の所得税減税などの人口抑制策を進めた。その結果、出生率は80年代、人口が増減しない水準とされる2・1まで落ちた。だがその後も出生率低下は止まらず、2000年代初頭には1・3に。政府は危機感から少子化対策を始めたが、出生率は低下し続けた。
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理由はいくつかある。子の教育費や住宅費を賄えるだけの十分な所得が見込めないため結婚を諦める人が増えている。社会で活躍する女性が増えたが出産はキャリアの断絶を招きかねず、結婚や出産を先延ばしにする人も多い。結婚しても仕事との両立が難しい状況なら、出産しない人も少なくない。
韓国社会の現状を象徴する言葉に「スプーン階級論」がある。親の資産の差を、生まれた時に手にしているスプーンの種類に例え「金、銀、銅」などと呼ぶ。最も貧しい人は「土のスプーン」だ。貧富の差や社会の両極化が次世代に引き継がれることを象徴的に言い表している。「親世代で土のスプーンの階級から抜け出し、子の世代は少しは豊かな人生を送れるだろう」という希望を抱きづらい社会となった。これが「子を産んでも自分の貧困が受け継がれる」との不安につながっている。
韓国人は学歴、就職、結婚、出産、子の教育などさまざまな局面で常に激しい競争にさらされる。だが求められるレベルに達せない人のほうが多く、若者たちは不安と不満、挫折感を抱かざるを得ない。こうした極端な競争社会も結婚や出産の勇気をくじく要因だ。
悪影響は、すでに社会に表れている。例えば地方では子供がいなくなって小学校が廃校となる地域が出ている。北朝鮮と対峙(たいじ)する韓国には軍人が必要だが、出生率が減れば足りなくなるだろう。労働者が減ることで全体の経済規模も縮小しかねない。
結婚や出産に対する個々人の選択権は、もちろん尊重しなければならない。韓国では、出生率の低下を「国家の危機だ」と言ったり、子供が多い親を「愛国者」と呼んだりする。こうした無言の圧力は結婚や出産をしていない若者に、まるで過ちを犯しているかのような思いを抱かせてしまう。結婚や出産は私的な領域であり、国家が介入すべきではない。
韓国政府の少子化対策予算は、経済協力開発機構(OECD)の家族支援予算で比較すると、国内総生産(GDP)比1・4%(19年)とOECD平均(2・3%)を下回り、日本(1・8%)よりも低い。対策の中身も、効果的でない公共住宅建設など、無駄なものが少なくない。
難しい課題だが、国民が「子を産み育てたい」と思えるような社会環境を作れるよう、韓国政府は十分な予算を確保したうえで、効果的な取り組みを推進すべきだ。【聞き手・福岡静哉】
超少子化が求める「変革」 春木育美・聖学院大教授
春木育美・聖学院大教授=本人提供
韓国で結婚しない若者が増えたのは、男性は経済的理由が主流だが、女性はそれに加え、出産・育児によるキャリア中断や「必要性を感じない」と回答する人も多い。育児・家事負担の偏重や、家父長制的な家族付き合いなどが結婚への否定的なイメージを生み、女性たちをためらわせている。
結婚しても子供をもたない共稼ぎ夫婦は韓国で「DINKS族」と呼ばれ、日本と同様に増えている。彼らには、競争社会を勝ち抜き、子供が良い職に就けるよう投資できるか、不安がある。子供には、自身が経験した苦労をさせたくないという意識も強い。
1期5年任期の大統領制の下、韓国政府の少子化対策は、すぐに実行できる政策やポピュリズム的なばらまきがとられがちだ。政府は従来、結婚すれば子供を産むとの前提で少子化対策を行ってきたが、その前提はもはや崩れている。にもかかわらず、子供を産み育てにくくしている構造的な要因に十分に目を向けてこなかった。
韓国では2000年代に少子化対策が本格化したが、初期は保育所の整備など女性の労働時間確保が軸にあった。現在の尹錫悦(ユンソンニョル)政権は早朝や夜に子供を預けられる学童保育制度を全国の小学校に導入しようとしている。だが、親が本当に求めているのは、子供を夜遅くまで預けて安心して長時間働ける環境よりも、家で子供と一緒に過ごせる時間ではないか。働き方改革こそ根本的な解決だろう。子育ては時間がかかる。「時間資源の保障」という考え方が重要だ。
出生率低下はさまざまな生きづらさに起因しており、必要なのは少子化の枠を超えた社会変革だ。前の文在寅(ムンジェイン)政権下では「出生率向上」の発想を転換し、家庭と仕事の両立支援や若者への住宅支援など「生活の質の向上」を目指すビジョンが示された。だが、成功モデルが画一的な韓国社会において学歴や職業の序列意識は強く、他者の視点を意識した地位獲得競争は簡単には止まらない。
若い世代の意識は急速に変化している。20~30代の8割以上が「夫婦で平等に家事をすべきだ」と回答したとする調査結果もある。今後、家族の形も多様化するだろう。ジェンダーやセクシュアリティーを巡る差別は家族形成にも影響する。多様な選択を保障し、住みやすい社会をつくり、若者に希望を抱かせることが必要だ。超少子化は社会に変革を求めるシグナルとしてとらえるべきだ。
子供をもつことが負担となる社会構造、特に母親に対する要求水準が高いのは、日韓共通の課題だ。家庭優先か仕事優先かを迫られる社会構造を解決しなければ、限定的な住宅支援や子育て支援をしても出産意欲にはつながらない。
非婚や出生率低下を「問題」と一面的にとらえる発想も変わるべきだ。結婚や出産をしないという選択肢が当たり前になったことで生きやすくなった人もいる。多様な生き方が認められるようになったというポジティブな変化としてとらえる観点も忘れてはならない。【聞き手・日下部元美】
首都圏一極集中の解消必要 林承彬 韓国・明知大教授
明知大の林承彬教授=福岡静哉撮影
韓国では総人口の5割ほどがソウル首都圏に集中する。首都圏は地方に比べて生活コストが高く子育てが難しいため、合計特殊出生率が低い傾向にある。ソウル首都圏への人口集中が出生率をさらに押し下げる要因となっている。
首都圏に人口が偏るのは、約5100万人という韓国の人口では内需に限界があり、経済が輸出依存型になっているからだ。多くの産業は、輸出に不可欠な大規模物流機能を有する仁川国際空港がある首都圏に偏ってしまう。この傾向は、大規模な経済圏を擁する大阪、名古屋といった地方都市がある日本とは異なる。
また、地方都市の中小企業が多くの雇用を創出している日本と違い、韓国では中小企業の割合が低く、経済の大企業依存が深刻だ。こうした点も首都圏への一極集中を加速させる要因となっている。
さらに、韓国経済の中核が製造業から情報技術(IT)や半導体などの新産業に大転換したことが首都圏への人口集中をさらに進めている。以前は地方にも製造業の工場などでの仕事が多かったが、IT関連や半導体といった新産業の多くは拠点を首都圏に置いており、地方都市で質の良い仕事を見つけることが以前よりさらに難しくなった。
韓国では若者たちがソウルを目指すことを意味する「イン・ソウル」という言葉がある。ソウルには大企業が集中しており、就職活動にも有利だ。それでもかつては第2の都市・釜山にある釜山大などは人気の進学先だった。しかし近年は「ともかくソウルの大学に進学したい」と考える高校生が増えている。
だが大企業への門戸は狭く、大学卒業の学歴だけでは不十分だ。大学院に進学したり海外で学んで学位を得たりする若者は多い。企業でのインターン経験も重視される。結果として就職時に30歳を過ぎている人も少なくない。男性は2年の兵役もある。このため晩婚化が進み、夫婦あたりの子供の数は必然的に少なくなる。それでも大企業に就職できる人は幸運で、給与水準が低い層は結婚さえ難しい。
首都圏の住宅費高騰も出生率低下の原因としてよく指摘される。公共住宅を増やせば改善すると思いがちだが、そう簡単ではない。首都圏に安価な公共住宅を増やせば地方から首都圏を目指す人の増加につながるジレンマがある。
2024年時点で全国228自治体のうち121自治体が消滅の危機にひんしている。政府は10年で計10兆ウォン(約1兆円)の予算を組み、こうした自治体の活性化を図るが目に見えた成果は出ていない。
根本的な解決を図るには質の高い雇用を生む経済圏を地方に創出することが重要だ。韓国の市場は小さく国内対策には限界がある。そこで例えば、地理的に近い釜山と福岡が国の枠を超えて大規模経済圏を作るために幅広く協力するというアイデアはどうか。福岡としても釜山との経済協力はプラスだ。極端な低出生率に直面する韓国にとっては、こうした従来にない対策を打ち出す以外に、苦境を打開する方法はないだろう。【聞き手・福岡静哉】
低さ目立つ東アジア
合計特殊出生率は、女性が生涯に産む子の数の平均を示す。韓国の0.72は経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も低い。韓国政府統計によると、人口は2022年の約5167万人から50年後には約3622万人に減少する見通し。日本は22年に1.26と過去最低タイを記録した。国連の世界人口統計(22年版)によると、東アジアでは香港(0.75)、台湾(1.11)、中国(1.16)など極端に低い国・地域が目立つ。
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■人物略歴
金廷錫(キム・ジョンソク)氏
1965年生まれ。ソウル大卒。98年に米ミシガン州立大で博士号を取得。2002年より現職。専門は人口学。韓国人口学会長。韓国社会学会副会長、統計庁の諮問委員などを歴任。
■人物略歴
春木育美(はるき・いくみ)氏
同志社大大学院博士課程修了。専門は韓国社会論。著書に「韓国社会の現在」(中公新書)、共著に「移民大国化する韓国」(明石書店)。早稲田大韓国学研究所招へい研究員。
■人物略歴
林承彬(イム・スンビン)氏
1959年ソウル生まれ。韓国外国語大卒。東京大大学院で博士号を取得。専門は地方自治。韓国地方自治学会長、大統領府直属の地方分権推進委員会の専門委員などを歴任。