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毎日新聞2024/4/19 東京朝刊有料記事4458文字
貧困層の割合を示す「相対的貧困率」が高止まりする中、物価高に追い打ちをかけられ、生活に困窮する人が増えている。ただ、当事者が助けを求めることは難しく、その存在は見えにくい。はびこる自己責任論や拡大する非正規雇用、根強いジェンダー不平等……。「見えない困窮」の背景について3人の専門家に聞いた。
再起支える長期的支援必要 川口加奈 認定NPO法人Homedoor理事長
生活困窮者を巡っては「自己責任論」が根強くあるが、問題は困窮に至った経緯ではなく、困窮から抜け出せないことだ。誰もが再起できる社会でなければならない。
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ホームドアは2010年の設立以来、ホームレス状態の人を支援してきた。当初はいわゆる「おっちゃん」という高齢男性が中心だったが、ネットカフェにチラシを置くなど、見えにくい困窮者へのアプローチを続け、18年に個室の宿泊施設を開設したこともあり、今は20代がボリュームゾーンになっている。
ネットカフェに滞在したり、知人の家を転々としたりする「広義のホームレス」は少なくなく、「ネットカフェ代が払えなくなり、何日か外で寝たけど無理だった」「お金がなくなる最後の最後にホームドアを検索した」といった声を聞く。自殺を考えていた人も一定数おり、ギリギリの状態に追い込まれてから相談に来る人が多い。
若者が困窮に陥る一番の共通点は、非正規雇用での失業だ。困窮する10~20代を独自に調査したところ、虐待された経験のある人が25%に上り、児童養護施設や里親家庭出身の「ケアリーバー」も10%いた。家族の支えが受けられず、保証人が見つからなければ、就職先の選択肢は狭まり、さらに家が借りられないと「寮付きの派遣」といった不安定な雇用に流れていく。その結果、景気の悪化などを機に職を失ってしまうのだ。
困窮問題の根っこには成育環境や雇用形態、病気や障害など他の社会課題がある。それは、困窮者に虐待の経験者が多いことなど数字でも表れており、決して自己責任で片付けられる問題ではない。
私は中学生でホームレス問題を知ったが、当時は「ホームレスになるのは本人が悪い」みたいな思いがあった。でも「ワシの家は貧乏で畑仕事を手伝わされ、勉強机なんてなかった」という話を聞き、勉強できる環境があってこそ、頑張るかどうかを選べる立場にあったのだと気付いた。自己責任論の根底には「努力で何とかなる」という考えがあるが、努力をするにも環境が前提として必要なのだ。
ホームドアは夜回りでの声掛けや仕事の提供、宿泊施設の運営などホームレス状態から脱出するまでの支援をしている。若者の相談者が増える中で、一度支援した人が再び困窮に陥り、相談に戻ってくる現状も見えてきた。虐待を受けていた人は精神的なしんどさを引きずって仕事が長続きしなかったり、就労して生活保護を抜けても非正規雇用なら簡単に仕事を失ったりするからだ。
そうした困窮者を支援するには年単位で伴走する必要がある。私たちは「とりあえず、あそこにいけば何とかなる」という存在になることを目指しており、短期集中支援に加えて、23年には長期滞在ができる宿泊施設を開設し、中長期的な支援に乗り出した。就労支援のセミナーやカウンセリングを受けられる機会をつくることで、長く働ける仕事が見つかればいい。一度失敗しても、人生は終わりではないと伝えることが大切だ。【聞き手・塩路佳子】
非正規女性の賃金改善から 竹信三恵子 ジャーナリスト
物価高騰に賃金の伸びが追いつかず実質賃金が下がり、生活が苦しくなっている人が増えている。中でも非正規雇用の比率が5割を超える女性は打撃が大きい。ここ数年、最低賃金が上がったことで、女性の賃金が上がったとも言われているが、ベースが低いので少し上がったところで状況の大きな改善にはつながっていない。厚生労働省のデータベースを見ると、正社員でも女性の平均賃金は男性の3~4割という大手企業もある。単身女性はもちろん共働きでも楽にならないのが現状だ。
日本の社会保障制度は「正社員の男性と妻」の世帯をモデルに作られてきた。私はこれを「夫セーフティーネット論」と呼んでいる。女性は夫の傘があり、低い待遇でも生活できるはずで、賃金は家計補助に過ぎないという社会通念があり、公的セーフティーネットも弱い状態で働いている。男性の非正規も増え、単身世帯も増える中で、個人の経済的自立を基本とする仕組みへ脱却すべきだ。
女性の低賃金の背景には、育児や介護、家事などのケアにおいて女性は無償労働を担うリスクが特に高いことがある。そしてケアは「女性がやって当然」と言わんばかりに軽視され、家の中でも外でも評価が著しく低いことも大きい。
育児には未来の労働力を育てる側面もあり、本来は社会全体でサポートすべきなのに、女性に押しつけてしまっている。ケアを抱える人に対し「長時間働かないのだから、生活が苦しいのはその人のせいだ」と自己責任で突き放す声さえあるが、働きに行けず収入が入ってこないわけなので、自己責任ということではない。
このように人間の生活実態に合わせた働き方や社会保障が足りない状況では少子化は進むばかりだ。また、非正規労働が多い女性の賃金の引き上げには1日8時間働いたら食べていけるような最低賃金の保障も必要だろう。憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」を送るには時給1500円が必要という生計費調査があり、その水準を目指すべきだ。
働き方も変化を求められる。現状では長時間労働や転勤ができるのが正社員とされ、育児や介護などで休む人をカバーできるだけの人員がいない職場も多く、退職を余儀なくされる女性が後を絶たない。そうすると、就けるのは非正規となり、それが賃金水準を引き下げる。
こういう状況を変えるために個人レベルでできることは、まず会社の外で労働相談や問題を共有できるネットワークを持ち、味方をつくることだ。たまたま自分のいる環境では自分が少数派なだけで、実は多くの味方がいる。そう思えることで勇気づけられ、問題も整理できる。ボードゲームのオセロがそうだが、どこかの隅を押さえた瞬間に一気に形勢が逆転することがある。社会改革も同じだ。昨今、両立支援が叫ばれ始めたのは、一つの転換点に来たということで、ネットワークをつくり声を広げていくことは、転換点を逆転に変えるための力になるはずだ。【聞き手・小林杏花】
膨らむ「新しい困難層」に目を 宮本太郎 中央大教授
今日の困窮は孤独・孤立と一体不可分に進む。だからつらさが増すのに見えにくい。例えば困窮世帯の子どもたちは塾や習い事には通えないため、放課後はスマートフォンの無料通信アプリ「LINE(ライン)」だけが友達とつながる糸となる。親も同じ状況のため、冷蔵庫が空になっても通信費だけは払い続ける。つながりを失うつらさを伴う点は、皆が貧乏だった時代との根本的な違いだ。
困窮が広がる背景の一つに相変わらずの低賃金がある。今年の春闘で大企業は5%台の賃上げが実現しているが、中小企業は続いておらず、非正規雇用や公的価格で賃金が決まる介護、保育、医療分野などの賃金は依然厳しい。低賃金の人々は円安による物価高騰の打撃のみを受けている。
もう一つは生活保障の制度の問題だ。日本が国民皆保険・皆年金を実現できたのは、保険料を財源の原則とする社会保険でありながら、多額の税金を投入してきたためだ。その分、税金だけで運用する生活保護や障害者福祉、子育て支援はいつも財源が逼迫(ひっぱく)しており、利用対象者をかなり絞り込む形になっている。
安定就労で社会保険料を払える人たちは税の恩恵にあずかれるが、非正規雇用など不安定就労の人たちを支える仕組みが極めて弱い。生活保護などの福祉制度を利用しようとしても条件が厳しく受給が困難だ。安定就労層と生活保護などを利用する福祉受給層との中間にいる人たちは困難を抱えつつも支援がほとんど届かない。膨らみ続けるこの層を「新しい生活困難層」と位置付けることができる。
安定就労層、「新しい生活困難層」、福祉受給層の3層構造の中、「新しい生活困難層」は正規雇用者に対して「なぜこんなに給料が違うんだ」と不満を募らせ、福祉受給層には「生活保護の扶助水準が自分たちの収入を上回るのはおかしい」と考える。安定就労層も将来不安は強く、3層それぞれがしんどいのに連帯が芽生えない。こんなに不遇なのは自分たちだけだと思い、困難を隠して付き合おうとし、めったなことではSOSを発しない。
困窮と孤立の広がりに対処するには、セーフティーネットを今の状況にあった形で張り直すことが求められる。綱渡りの安全網が、ハンモックのように寄りかかるだけのネットではよくないと言われ、就労支援を推進してトランポリン用ネットのように綱に跳ね戻さなければいけないという主張がよくされる。
だが、跳ね戻ったとしても現実の綱はあまりにも細くて、渡りきることが難しい。つまり、家族のケアや自分自身の心身の健康問題などを抱えていると、働き続けることは困難だ。大変な人手不足なのに、仕事に就けない人が増えているのはそのためだ。
これからのセーフティーネットにおいては、さまざまな困難を抱えた人も力を発揮できる働き方や、地域でつながりを実感できる多様な居場所をつくることが鍵だ。存在を認められ、自己肯定感を高めてこそ私たちは元気になれる。この事実をふまえた施策が必要だ。【聞き手・野口由紀】
相対的貧困率15%超
「相対的貧困率」は所得が国の中央値の半分未満の世帯で暮らす人の割合を示す。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、2021年の相対的貧困率は15.4%。1985年より3.4ポイント高く、主要7カ国では米国とともに高い水準だ。また、物価高騰に賃金上昇が追いつかず、厚労省の2月の毎月勤労統計調査(速報)では実質賃金が前年同月比1.3%減で23カ月連続のマイナスとなっている。
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■人物略歴
川口加奈(かわぐち・かな)氏
1991年生まれ。14歳でホームレス問題に出合い、大阪市立大(現大阪公立大)在学中の19歳で「Homedoor」を設立。就労支援としてシェアサイクルなどを展開。
■人物略歴
竹信三恵子(たけのぶ・みえこ)氏
1953年生まれ。元朝日新聞記者。和光大名誉教授。「家事労働ハラスメント―生きづらさの根にあるもの」「女性不況サバイバル」(いずれも岩波新書)など著書多数。
■人物略歴
宮本太郎(みやもと・たろう)氏
1958年生まれ。専門は政治学および福祉政策論。北海道大大学院法学研究科教授などを経て現職。著書に「共生保障 <支え合い>の戦略」(岩波新書)など。