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毎日新聞2024/4/19 東京朝刊有料記事979文字
ビル・クリントン元米大統領=ホワイトハウスで1998年6月17日、ロイター
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アフリカ各国首脳の中で、こうべを垂れるビル・クリントン氏の姿があった。ルワンダ虐殺から30年になる4月7日、首都キガリでの慰霊式典である。
アフリカ東部ルワンダでは1990年から、少数派ツチと多数派フツとの対立が激しくなった。
フツ出身大統領の乗った航空機が撃墜されたのが94年4月6日だ。これをきっかけに、フツ過激派がツチ住民らを殺害し、犠牲者は80万~100万人、難民は数百万人に上った。
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米大統領だったクリントン氏の対応は鈍かった。ソマリアで前年、多数の米兵が殺害されたため、国外の危機関与に慎重だった。秋の中間選挙を控え、国内世論を優先させた面もある。
政府はルワンダの事態を「虐殺(ジェノサイド)」と呼ばず、「虐殺的行為」と言い換えた。ジェノサイド条約批准国として、「虐殺」を認めると非関与の立場をとりにくくなるためだった。
大量殺害が続いていた5月3日、クリントン氏は国益に資する場合にのみ、国連平和維持活動(PKO)に協力するという「大統領令」に署名している。ルワンダに国益はなかった。
現地のPKO部隊からの支援増強要求も無視された。ロメオ・ダレール司令官(カナダ)は後に「クリントン氏は(実態を)知りたくなかった」と語っている。
クリストファー米国務長官(当時)が「虐殺」と述べたのは6月だ。すでに多くの血が流れ、事態は沈静化に向かっていた。
クリントン氏は4年後に現地を訪れ、当初「虐殺」と呼ばなかったことを謝罪している。「皆さんが体験した想像を絶する恐怖について、十分理解しなかった」
パレスチナ自治区ガザ地区で今、数多くの市民が殺害されている。国際司法裁判所(ICJ)は今年初め、虐殺を防ぐため「あらゆる措置」を講じるようイスラエルに命じた。
再選を目指すバイデン米大統領は国内世論に配慮する必要があるのだろう。ネタニヤフ首相を批判しながらもイスラエルの攻撃を止めていない。
ガザ紛争のきっかけはイスラム組織ハマスによる攻撃だ。ただ、国際社会の大多数は、イスラエルの反撃が自衛の範囲を超えたと考えている。武器を提供しているのは米国である。
オースティン米国防長官は上院軍事委員会の公聴会でこう証言した。「イスラエルが虐殺に及んでいる証拠はない」。クリントン氏がルワンダの慰霊式に出席した2日後だった。(論説委員)