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「凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きてきました」の一場面(C)細川貂々/平凡社=提供写真
先月、漫画家の細川貂々(てんてん)さんの新刊が出ました。「凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きてきました」(平凡社)です。
細川さんといえば、パートナーのうつ病を描いたコミックエッセー「ツレがうつになりまして。」(幻冬舎)で有名ですが、発達障害に関する著作もたくさんあります。なんでも、ご自身が48歳の時に発達障害と診断され、それからメチャメチャ勉強なさったのだとか。今回の新著もそうですが、作者自身の経験と研究の成果が数々の作品を生み出したというわけです。
私は、たいへん光栄なことに、この本の監修と解説の執筆を仰せつかりました。依頼を受けるまでは、細川さんが発達障害を持っていることも、それに関する著作があることも知りませんでした。でも、何年か前に同じ雑誌に連載を持ったご縁があって、私に割り振られたページの次にいつも細川さんの子育て漫画が載っていたので、お隣さんのような親近感がありました。
蛇足ながら付け加えれば、私は子どもの頃からの漫画好き、大学時代には漫画サークルに所属して同人誌に作品を描いていたぐらいですから、こういう仕事は二つ返事で引き受けてしまうのでした。
ASDの人の暮らす「ジャングル」とは
細川貂々著「凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きてきました」(平凡社)=提供:平凡社
昨年の終わりごろ、出版社から初稿のコピーが届きました。ワクワクしながら作家の原稿を読み始めたところ、オープニングからガツン!とやられました。
「なぜ私の人生はこんなに難しいのですか?」「それが私のナゾでした」「mystery ミステリィ」と始まり、「思い返すと子どものころからずっと/暗いどこかをさまよってる感じがしてた」と続きます。
その「暗いどこか」を細川さんは「ジャングルの中」と表現します。そして、そこに自分を閉じ込めているのが、ほかでもない「発達障害」だというのです。
細川さんは「ジャングル」のイメージをこんなふうに描いています。
「どんなモノがあるかわからない/何が飛びだしてくるかわからない/いつも緊張してて安心することができない世界」
発達障害のなかでも、とくにASD(自閉症スペクトラム障害)の傾向が強い人は、このくだりに大いにうなずくことでしょう。細川さん自身はASDのほかにLD(学習障害)もADHD(注意欠如多動性障害)もあるそうですから、「ジャングル」は彼女のASD部分が生み出しているともいえます。
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ASDの人たちが暮らすジャングルについては、私はたまたま別の本、「あたし研究 自閉症スペクトラム~小道モコの場合」(クリエイツかもがわ)を読んで知っていました。小道モコさんの絵と文章からなるこの本も、タイトルにあるごとく当事者研究のジャンルに入るかと思います。精神科医の畠中雄平さんが詳細な解説を付けています。
小道モコ著「あたし研究 自閉症スペクトラム~小道モコの場合」(クリエイツかもがわ)=提供:クリエイツかもがわ
小道さんは、30代なかばにASDの診断を受けたそうですが、それまでの人生は「不安と孤独に満ちたもの」であって、自分を「いてもいい存在」だと思えずにいたと書いています。このへんの経験や感覚は細川さんとそっくりです。お二人はほぼ同い年ですが、診断された年齢が早かったぶん、小道さんの方が先に「研究」に着手していたようです。
そこで肝心の「ジャングル」ですが、細川さんが自分の生きている世界全体をそうたとえたのに対し、小道さんの場合は学校が「ジャングル」だったといいます。そこは「すべてが予測不可で、大げさではなく、恐怖の場所」。そんなところに毎日通うのですから、「その苦痛は、計り知れないものがあります」となっても無理はありません。
小学生の子どもにとって、世界は家庭と学校でほぼすべてですから、細川さんも子ども時代は小道さんと同じジャングルにいたと考えてよいのでは。そして、それはこのお二人に限ったことではなく、ASDの特性を抱えた子どもたちにとっても共通の体験なのです。
ジャングル生活は続く
では、ASDの特性があると、どうして世界はジャングルになってしまうのか。それは、たいへん大ざっぱにいえば、社会的にマジョリティーを形成しているその他大勢と脳の発達の仕方が違うから。
私たちを取り巻く世界が「何が飛びだしてくるかわからない」「すべてが予測不可」だというのは、その通りといえばその通りですが、多くの人たちは普段はそんなことは考えずに暮らしています。毎日はだいたい同じように過ぎていくもので、たいていのことはどうにかなることをどこかでわかっている。そうじゃありませんか?
小さな子どもの頃は、一人ではなにもできないし、世の中は知らないことだらけ。先の見通しも立たなければ、怖いこともいっぱいある。それでも、子どもはひとつひとつ新しい経験を積んで、自分でできることを増やし、世界の成り立ちをつかんでいく。こうした成長の過程で、人はさまざまな環境に慣れていくとともに、ある意味だんだん鈍感になっていきます。
生きづらさを感じている人たちの当事者研究会「生きるのヘタ会?」。参加者の話を聞く細川貂々さん(中央)=兵庫県宝塚市で2022年4月29日、小林多美子撮影
ところが、ASDの特性があるとなかなかそうならない。慣れが生じにくく、敏感な部分は敏感なまま残る。経験したことがなかなか身につかず、同じような場面であっても初めての時のように不安を感じる。もちろん、どんな人でもその人なりに成長しますから、まるっきり子どものままという人はいないと思いますが。
このように、ASDの人たちでは、その他大勢にとって自然に育つはずのあたりまえの感覚がうまいこと育ちません。それゆえの発達障害であって、その結果、認知や情報処理、あるいは記憶に関わる脳の神経ネットワークのどこかがうまく機能しないことになるのでしょう。
ともあれ、ASDを持つ人たちのジャングル体験は、繊細、神経質、臆病などといった性格レベルの問題では片付けられないことを、私たちは知っておくべきでしょう。これは感覚レベル、体感レベルの問題であって、それだけに理解するのが難しい。感情なら共感もできますが、体感についてはなかなかそうはいきませんからね。
さて、最後に細川さんの本に戻りますが、彼女はいまどうしているのでしょう。じつは、まだ「ジャングルの中に閉じ込められたまま」だそうです。
それでも「探検家になったつもりで生きよう」と決意表明した細川さん。「探検家はジャングルでどういう行動をしたらいいのかを学ばなくてはいけません」「探検家はいろいろな人に支えてもらってジャングルを探検することができます」という言葉に、励まされる人もきっと多いはず。
さあ、みなさんも、このガイドブックを片手に、一緒に「ジャングル」を探検してみませんか?
特記のない写真はゲッティ
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山登敬之
明治大学子どものこころクリニック院長
やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。