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毎日新聞2024/4/24 東京朝刊有料記事1854文字
2016年8月の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」でオーケストラの指揮を終え、あいさつする小澤征爾さん(中央)=長野県松本市のキッセイ文化ホールで、宮武祐希撮影
世界的指揮者の小澤征爾さんが2月6日に88歳で亡くなった。小澤さんは近年は車いすでステージに登場し、身体的な衰弱が気になっていたが、いざ第一報を聞いた時は「ついに、その時が訪れてしまったか」との思いを抱いた。アジアが生んだ20世紀後半の音楽界を代表するマエストロの訃報は海外でも大きく報じられ、著名な音楽家やオーケストラが、相次いでその死を悼んだ。「世界のオザワ」の功績と魅力とは何だったのか。改めて考えたい。
私が最後にその姿を見たのは、昨年9月に長野県松本市で開かれた音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」の公演だった。小澤さんの古い友人で映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズ氏が、小澤さんが中心となって結成されたサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)を指揮し、自作曲を披露。そのアンコールでウィリアムズ氏が小澤さんを壇上に招いた。2人の巨匠が並んだ光景は感動的だった。
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正直に告白すると、私は小澤さんにインタビューしたことがない。ぜひとも直接話を聞きたかったが、念願のクラシック音楽担当になったのは2年前。既にインタビューの機会を得ることは難しく、今は取材が間に合わなかったことが悔やまれてならない。
ただ、現在30代の私より下の世代にとって、小澤さんは近いようで遠い存在だったのではないだろうか。私が中高生の時、既に世界的な重鎮だった小澤さんの活躍ぶりは、ドキュメンタリー番組などで目にした印象が強い。指揮する音楽も、実際の演奏会より録音や映像で触れるばかりだった。
薫陶受けた師らの多様な流儀が共存
世界で愛された小澤さんの魅力を探ろうと、取材を重ねた。小澤さんは1935年、中国の瀋陽市(旧奉天市)生まれ。音楽教育者でチェロ奏者でもあった斎藤秀雄に指揮を師事し、桐朋学園短大卒業後に渡欧。59年に仏ブザンソン国際指揮者コンクールで1位を受賞するなど海外の複数のコンクールで優勝した。カラヤンやバーンスタイン、ミュンシュら世界的指揮者の教えを受け、米ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督などを務めた。
音楽評論家で慶応大教授の片山杜秀さんは、小澤さんが薫陶を受けた師匠たちの流儀が多様な点に着目する。「普通に考えれば、カラヤン流、バーンスタイン流、ミュンシュ流という、水と油のようないろいろな流儀の中で、足し算やかけ算ができるのは不思議なこと。でも小澤さんの場合は、それが不思議ではないんですね。一つの音楽が共和国的だったり、多民族が共存していたりするのが、小澤さんの音楽だと思う」と指摘。さらに「カラヤンやバーンスタインのように自分のやりたい音楽を目指すのではなく、みんなで現場で作っていくというのが小澤さんのスタイルだと思います。はっきりとした形を持たず、自由自在に表現するんです。形がないのが、小澤征爾の音楽だと思わなければなりません」と語り、その唯一無二さを評価した。
「形がない」ことは、小澤さんと親交があった作家の村上春樹さんも、今年3月に取材した際に同じように語っていた。「音楽そのものを抽出して、自然に再現していくことを目指した人です。そういう人は珍しい。バーンスタインやカラヤンみたいに自分のスタイルをきちっと確立しない、と彼の音楽を批判する人もいます。だけど、彼の本当にいい時というのは、音楽そのものが自然に立ち上がってくるんです。小澤征爾のスタイルというのではなくて、音楽そのものが生きてくる」
偉大さ改めて実感、後世に語り継ごう
強烈なリーダーシップを発揮するのではなく、仲間であるオーケストラのメンバーと対話を重ねながら最上の音楽を作り上げていく。そんな声は他の共演者らからも聞こえ、「世界のオザワ」の偉大さを改めて実感した。
小澤さんを、日本人はもっと誇りに思っていい。私は10代の頃に、小澤さんの自伝的エッセー「ボクの音楽武者修行」を読んで、「こんな日本人指揮者がいるんだ」と驚いた。クラシックの本場である欧州を一人旅し、海外で認められていく成功譚(たん)に胸を躍らせた。次世代を担う若い人たちにも、小澤さんの足跡を知って刺激を受けてほしい。
偉大な日本人指揮者といえども、後世に語り継いでいく努力を怠れば、やがて忘れられてしまうだろう。その中心的な役割が、松本の音楽祭やSKOに期待されていることは言うまでもないが、私も記者として、記事を書き続けることで、その一端を担いたい。そして、いつか小澤さんを超える新しい才能が世に出ることを夢みている。