|
実録・洪順愛大母様の生涯と信仰
忠心奉天の道
第五章 大母様の昇華と清平の再臨役事
第一節 大母様の昇華
一 天宙的な摂理の転換期と大母様の昇華
真の父母様を中心とした摂理史は、一九四五年に第二次世界大戦が終了してから、一九八五年に真のお父様がダンべリーの牢獄で勝利するまで、「四十年の世界的荒野路程」が勝利的に終結した。その後、一九九二年までの七年間は、第二次世界大戦直後の摂理基盤を総体的に再蕩減復帰する期間として、一九八八年までの三年間で縦的基盤を樹立し、一九九二年までの四年間で横的基盤を立てた。その後、二〇〇〇年までの七年間は、「天宙的還故郷カナン復帰路程」を完結する期間であった。
その中でも特に、一九六〇年にはご聖婚式が行われ、七年路程の勝利によって、「神の日」が制定(一九六八年)され、国家基準を越え、一九八八年までの二十一年間で、世界的な解放圏を越えることができた。そして、一九八八年十月三日に「世界統一国開天日」の宣布がなされ、二〇〇〇年までは天宙的解放の摂理を展開し、その基盤の上に「天宙平和統一王国」が開かれた。
そのような状況の中、重大な摂理的大転換期であった一九八八年、八か月目に当たる八月三十一日には「八定式」の宣布、九月一日には「天父主義」の宣布があった。縦的・横的な八段階の復帰路程の末に、長子権と父母権を復帰し、家庭王権による天宙的王権復帰に向かう時代として、堕落人間が真の父母を迎えることのできる「真の父母主義時代」が到来した。
このような摂理時代を迎えるまで、大母様はたとえ病床に就かれていても、天に対する侍る道理と強い精神力で、精誠の塔を積み上げながら、一点の乱れもなく、まっすぐに過ごしていかれた。しかし、お年を召しながら次第に心身が衰え、年々、ワンピースの丈を短くしていかなければならず、あまりにも痛ましかった。誰かが欠かさずお世話をしてさしあげなければならないほどになられた。
そのような状況でも、大母様は、かろうじて身を起こし、真の父母様のお写真の前に行っては、埃でもかかってやしないかと何度も拭きながら、
「父母様、申し訳ありません……」
とつぶやかれた。
次第にお食事をとることができなくなって、お粥を差し上げ、それも召し上がれなくなると、重湯を差し上げていたが、それさえも召し上がれなくなってしまった。
そして、病床に就かれて十年目である一九八九年十一月三日(陰十月五日)午後九時四十五分、享年七十六歳を一期に、ソウル市鍾路区内需洞一一〇-四三番地、新門路公館の別館で、天に召されて昇華された。
その日、真のお父様は、天安の成和大学(現・鮮文大学)の認可祝賀式に行かれた。その時、大母様はそのことを非常に喜ばれていた。朝食のあとは、寝たきりの状態で入浴ができるように介護をしてさしあげた。ところが、水を一杯も召し上がることができず、口を閉じたまま開けられなかった。目の焦点が合わず、意識がないように見えた。
真の父母様のお写真をお見せしながら、大声で、
「真の父母様ですよ」
と言うと、大母様は全力を尽くして、
「父母様! 父母様! 父母様!」
と三度お呼びになった。また真の子女様のお写真をお見せしながら、
「子女様ですよ」
とお教えすると、最後の力を尽くして、
「子女様! 子女様!」
と言われた。
それが最後のお声であった。意識がないように見え、口を一度も開けられなかったのに、「父母様! 子女様!」と全力を尽くしてお呼びになったのである。
そうして、しばらくの間、横になっていらっしゃったが、視線は一箇所だけを凝視したまま力がなかった。急いで医者を呼んだ。往診に来た医者は、大母様の状態を見て、
「亡くなられるご様子なので、来るべき人たちに早くご連絡してください」
と言った。既に夕方になっていた。
沈明玉先生は、当時ソウル教区長だった任導淳先生や辛玉淳勧士などに連絡を取ったあと、真の父母様に直接報告を申し上げた。そうして、式服にアイロンをかけ、着せてさしあげた。体は冷たいが、汗をたくさんかかれていた。その時から息遣いが荒くなられた。集まってきた何人かの食口たちが、一緒に聖歌を歌っているとき、真のお母様が到着なさった。真のお母様が大母様を胸に抱かれると、大母様は目を開かれ、しばらくの間、見つめながら昇華された。眠るように、あまりにも美しい姿で神様のもとへ旅立たれた。
天父主義時代の元年、「天宙的路程の出発」という転換期に、将来の摂理の展開に備えた、純情なる供え物の道であった。
物悲しく大母様の臨終の瞬間を見守っていた生涯の同志である辛玉淳勧士は次のように証した。
特に、この日に昇華されたのは、当時、鮮文大学の認可を前後して発生した多くの困難な問題を、代わりとなって抱いて逝かれた条件でもありました。
二 「忠心奉身」
昇華された翌日、真のお父様は、洪順愛ハルモニを追尊なさり、「大母」と定め、「忠心奉身」という諡号を揮毫して下賜された。
「真のお母様まで三代の代を継ぐに当たって責任を全うし、忠誠にあふれる一片丹心の心で、生きた供え物の道を歩み抜かれたハルモニ」
という最も光栄なる天的尊号であった。
それに関して真のお父様は、次のように語られた。
女性といえば、労働者の妻から皇族まで、あらゆる意地悪な人がいます。そのような人たちがみな、お母様を打たなければならないのです。お母様一人では耐えられないので、三代を経て打たれなければなりません。ここに代を継ぐに当たって責任を全うしたハルモニであることを知っているので、先生は「大母」という名前を与えたのです。
大母というのはどういう意味でしようか。女性たちの行くべき愛の道において、幾重にも重なり合った泰山峻嶺のように塞がったすべての塀に対して責任を負い、犠牲になって崩してしまわなければ、お母様に振りかかってくるので、すべての荷は自分に負わせてくださいと痛哭して……、十年間、毎日のようにそのようなことをしたのです。父母様の家庭のすべての憂いを解怨してくださいと言ってです。そうして今は、その恨めしい犠牲の道を通して、国家基準を越え、世界基準を越え、全天宙において統一教会に対して反対できない環境になり、統一天下に向かうことができる、解放に向かって前進することのできる時代に来たのです。この転換の時期に自己の責任を果たして逝ったので、心から皆が侍るべき大母様の資格をもったことから、「大母様」としたのです。
皆さんは、今日ここにおいて、この方の一片丹心の心情を受け継いで、このように自分の子孫たちの前に、皆さんの家庭の前に、神様に侍り得る伝統を正しく立てなければなりません。このおばあさんは神様に侍るために生きました。今はもう反対がありません。神様を皆さんの家庭に迎えるに当たって、それ以上の一片丹心、忠情の道理を果たさなければなりません。きよう、揮毫に「忠心奉身」と……、忠誠あふれる一片丹心の心をもって生きた供え物となる、そのような道を歩み抜いた、このおばあさんのように歩むときには、迫害なくして神様から福を受け得る始まりとなることでしよう。
もつべきものは、神様の愛に赤く燃え上がる、その心情だけです。ですから洪順愛ハルモニのように、二十四時間、神様のみ旨と父母様のみ旨を成就させる思いをもって生きなければなりません。このおばあさんには、その思いしかありませんでした。それ以外には何も考えなかったのです。このような立場から見ると、私たちが尊敬しなければならないおばあさんなのです。ですから私は、「大母」という名前を与えたのです。
三 真のお母様の回顧とお願いのみ言
大母様が昇華されたのち、大母様が召される衣をどのように作ってさしあげようかということが問題になった。研究の末、真のお母様の承諾を得て、宮中儀式にのっとって、圓衫(韓国の女性用礼服)とチョクトゥリ(女性が礼装するときにかぶる冠)の姿にきれいに飾ってさしあげた。真のお母様は、十一月五日、大母様の殯宮において、深い哀惜の情をこらえながら、喉を詰まらせて次のようにみ言を語ってくださった。
真のお父様が、何とも言葉では言い表せないその困難な十字架を背負い、倒れつつも乗り越えられた路程にすべて勝利の結末をつけ、アラスカで「八定式」を宣布し、さらに「天父主義」、「王権主義」を宣布するまでには、天のみぞ知る事情があります。
おばあさんを送りながら、皆さんにお願いがあるとするならば……、おばあさんは一生の間、ひたすら神様のみ旨、生前に主に出会い、侍り、また仕事をするという、そのために女性としてのすべてを捨てられた方です。甚だしくは、妻の立場、母の立場まで捨てながら、初志一貫してみ旨の道を歩んでこられ、最期に逝かれるその瞬間まで、天のみが知り、ご自身のみが知る深刻な瞬間瞬間を供え物として捧げながら、逝かれたおばあさんでいらっしゃいます。そのようなおばあさんのことを皆さんは考え、その方が歩んでこられた過去を記憶し、皆さん自身の生活において、その侍る生活を自分たちの生活目標として立てていかなければなりません。
自らを振り返るとき、み旨の道に従いながらも、純粋ではない姿で、み旨を優先する前に自分を優先し、お父様の悲しい曲折の路程を考える前に自分の姿を気遣い、自分の悲しみを先に考えた人は、悔い改める機会とならなければなりません。天地に雨が降って、汚い所をすべてきれいに洗い流してくれるように、皆さん自らがきれいに心と体を整理し、洗い清めるべきものは洗い清め、取り除くべきものは取り除いて、新たに身繕いをするそのような期間と思って、おばあさんを送ってさしあげなければなりません。
おばあさんのことを考えるときは、今、私が話したことを思い出して、これからの多くの日々を迎えてくださるようにお願いします。
四 帰歓式
十一月六日午前九時四十分、真の父母様のご臨席のもとに、帰歓式が挙行された。真のお父様はこの日、次のように祝祷してくださった。
愛するお父様、きょう一九八九年十一月六日午前九時四十分を期して、この殯宮を訪問いたしました。おばあ様がこの地上から霊界に行くことによって、天上世界と地上世界に一つの心情的架け橋を築かれ、興進君とイエス様につながったその橋を、より一層強固になさり、キリスト教を中心としてユダヤ教と統一教会を一つに束ねる、おばあさんの責任が全うできるようにお許しください。
このおばあ様は、この地上で天が捜し求めてきた摂理のみ旨を知り、アジア地域におけるサタン圏の日本を中心とした迫害時代の韓国において、再臨なさる主のために一切を準備した歴史的なエバ的三時代を経るに当たり、すべての精誠を込め、今日この統一教会にお母様を迎え入れる時まで、天の内的な摂理をつないで連結させ得る、至大なる貢献をいたしました。
このようなことを考えるとき、統一家の一人の誇らしい女性を代表して天上世界に行くことによって、おばあ様を中心として、すべての女性たちが過去と現在と未来を代表した追慕の的となり、天に仕えてかしずくに当たっての伝統をつなぎ得る、一つの表象の生活を残すようにしてくださったお父様の恩賜の前に感謝いたします。
七十余りの生涯にわたったすべての奉仕の生活の日常を通じて、この地上に因縁づけられたすべての統一教会の食口たちと共に、このおばあ様が、涙と血と汗を流し、隠れて見えない中で、お母様が行くことのできる道を築くために、独り心を痛め気をもみながら、垣根となり、今日の勝利の時まで歩んでくる中で、道しるべになってくださったことに感謝いたします。
これと同様に、地上世界でもそうですが、天上世界に行っても、既に行っている統一教会のすべての霊人たち、興進君と(劉孝元)協会長を中心とした三十六家庭とその他の祝福家庭を中心とした統一家のすべての食口たちと連合して、キリスト教と統一教会が一つになり、ユダヤ教までお父様の前に結んで、旧約・新約・成約時代を心情的に束ねて解牧圏を成すことのできる、一つの摂理的な架け橋をつくり、一つの直通し得る新しい道を開くに当たりまして、功労者として天の前に送りますので、お受けくださることを切にお願い申し上げます。
あすはここを発って、地上での肉身とは会えないそのような立場に立つことになりましょうが、霊的世界で霊を通しては、天の憂いを地上に残したときは、このおばあ様が中間ですべてに責任を負い、私ども統一家を代表して、中間的、媒介的立場で天の前に連結させる重大な責任を、真の父母様が任命いたしますので、お父様がお受けくださいますよう切にお願い申し上げます。
天上世界の天の宝座から連結してくださいまして、楽園を経て地獄のどん底まで……。
これが堕落した父母によってつくられたので、韓国の地に生まれた真の父母様の勝利の基盤によって、その基台をつなぎ得る血縁的関係をもつこのおばあ様によって、起き上がらせたい心のある人は誰でも、天の祝福に引き上げることのできる道を築いてくださいまして、地上世界から天上世界、地上地獄のサタンが行き来する所と、天上地獄のどん底から、天上世界に道を築き上げるに当たりまして、仲保的責任を果たすことができるようお許しくださいませ。
今この日を期して、父母様がここに訪問した全体を、喜びの意味をもって受け入れてくださいますように切にお願い申し上げ、さらにアメリカにいた子女たちの譽進、仁進、珍成が、きょうここに参加して共にする恩賜に感謝いたします。この世的に見れば、逝かれたおばあ様のことを考えると、悲しい気持ちもあるでしょうが、逝くお方を天が喜んで迎え入れるためには、地上でも喜びをもって送ってさしあげるべき責任があるゆえに、統一家では悲痛の涙を流してはならないということを存じております。
ですから、静かに心の奥底で追慕と愛の心をもって、今、おばあさんの生涯と未来に行く道をお祈りいたしますので、天が大切に尊んでくださいませ。そのほかに、ここに立っているすべての韓国代表、日本代表、ヨーロッパ代表、アメリカ代表、および百二十七か国の宣教国を中心とした統一家全体の心を一つに束ね、天の前にお祈りするこの日を、喜んでお受けくださいますよう切にお願い申し上げます。
今や、地上を発つこの方の行くすべての道を引き受けて主導してくださり、霊界に関連したすべてのことで収拾困難なことがあっても、直接霊界に行っているすべての統一家の食口たちと連合し、地の父母様の願いどおりに霊界で秩序を強固にしていけるように、導いてくださることをお願い申し上げます。終始、祝福の恩賜の中で永遠に永遠にあなたの懐に抱いてくださり、愛と恩賜にとどまれるようにしてくださいませ。
この時間以降のすべての手続きを受け持って主管してくださいませ。あすは私がここに出席できないとしても、喜びの心をもって進みゆく道を、天がその保護によってお導きくださいませ。
きょうのこの集まりの場を祝福してくださいますようお願い申し上げ、すべてをお父様がお受けくださいますよう、再三、再三、再三お願いしながら、父母様のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン。
五 協会昇華式
十一月七日午前十時から一時間半の問、真のお母様と真の子女様、それから千二百人余りの中心食口たちが参加する中で、「洪順愛女史協会昇華式」が新門路公館で厳粛に挙行された。
この日、昇華式は、朴魯煕先生の司会で、聖歌賛美(聖歌「園の歌」)、郭錠煥先生の祈祷、家族代表の焼香および献花(真のお母様、譽進様、仁進様、珍成様、薫淑様、洪順貞先生夫妻、任導淳・ソウル西部教区長夫妻の順)、崔元福先生による故人の略歴報告、金榮輝協会長(昇華式実行委員長)の昇華の辞、柳光列で歴史編纂委員会委員長の頌詩奉読、朴普煕先生の頌辞、金美蘭氏の頌歌(大母様が愛唱された聖歌「捜し出された羊」)、故人の肉声拝聴(アメリカでの証、各界代表の焼香および献花、聖歌賛美(聖歌「勝利者の新歌」)、金榮輝協会長の祝祷の順で進行された。
この日、洪順愛大母様の勝利的な生涯の功労と崇高な信仰の世界を高くたたえながら奉献した、金榮輝協会長(当時)の昇華の辞と朴普煕先生の頌辞、そして柳光烈委員長の頌詩をここに掲載する。
(1)昇華の辞-金榮輝協会長
きょう私たちは、堕落した人間始祖から生まれた数百億の人々の中で、神様の復帰摂理に最も偉大な貢献をし、また、真の父母様を中心とした復帰摂理の成功のために、最も貴い精誠と祈祷の塔を積まれた方の歴史的な昇華式に参加しています。
七十六歳を一期に、地上でのすべての闘いに勝利なさり、神様の娘として霊界に新たに生まれて行かれた洪順愛おばあ様、人類の長い罪悪歴史をきれいに清算して、霊界と地上にいる人間が神様の本然の愛と生命と血統を相続するようになさり、神様の理想世界を築く根の使命者であられ、神様の実体であられる、真の父母様がこの地上に生まれるに当たり、おばあ様は決定的な使命と責任を成し遂げられました。そしてそればかりでなく、地上で真の父母様に仕えて侍り、真の父母様と苦楽を共にしながら、真の父母様が摂理史的使命を果たされる上で絶対的基盤となる精誠を積むために、一生をお捧げになりました。
真のお父様は、ご自身を生んでくださった肉身のご両親に、命を懸けて探し出された最も貴い命のみ言である「原理」を一度として語ることができなかったことと、ハンカチ一枚すら買ってさしあげられなかったことが恨であるという話をされたことがあります。真のお父様と真のお母様を考えると、お二方に二人ずつ、四人のご両親がいらっしゃいます。洪順愛おばあ様は、その四人のうちで唯一、肉身をもって生きて「原理」のみ言をお聞きになり、それを悟って受け入れられ、真の父母様に仕えて侍り、真の父母様の道に従っていかれただけではなく、真の父母様を慰労してさしあげ、真の父母様の勝利と成功のために心身をすべて捧げて献身する道を歩まれたのです。それゆえに、お一人で四人の立場を代表した方だと言えます。
もし洪順愛おばあ様までおられなかったならば、どうなっていたでしょうか。真の父母様の肉身の両親に対する恨は、いかにして一部でも慰めることができたでしょうか。このような一面を見ても、おばあ様は誰一人としてできない偉大な仕事をされたのです。
私たちは、偉大な方と近くで共に暮らす機会があっても、その方の偉大さや立派な価値に気付かないことがよくあります。そこで私は、洪順愛おばあ様の価値を正しく悟るために、聖書に出てくる歴史的人物とおばあ様を比較してみようと思います。今日までキリスト教、特にカトリック教会で最も偉大で崇高な人物として敬われている聖母マリヤとその母である聖アンナをおばあ様と比較して考えてみようと思います。
原理観から見ると、聖母マリヤと聖アンナは、イエス様を誕生させるところまでは責任を全うしましたが、イエス様の誕生後に、神様のみ旨のとおりにイエス様に仕えて侍ることにおいては、その責任を全うすることができませんでした。それどころか、かえってイエス様の前に障害物となり、イエス様に十字架の路程をもたらす一要因になったという事実を私たちは知っています。
ところが、カトリック教会ではこのようなマリヤを聖母とし、マリヤの母親を聖アンナとして、イエス様とほとんど同等に、ある面ではむしろそれ以上に厚く奉っているのを私たちは見ています。ヨーロッパや南米のカトリックの国家に行ってみると、聖母マリヤ像や聖アンナ像が数えきれないほどあり、そこに多くの信徒たちが伏して祈りながら精誠を尽くしています。また数多くの教会が、聖母マリヤや聖アンナの名のもとに建てられています。
聖母マリヤと聖アンナは、明らかに神様の摂理の前に責任を果たせず、むしろ障害物となってしまったのですが、洪順愛おばあ様はどうでしょうか。おばあ様は、困難な逆境をすべて克服して打ち勝ち、真のお母様をお生みになり、立派に育てられて、神様の前に捧げられました。そして真の父母様に仕えて侍り、すべての蕩減路程を成功裏に通過され、「摂理的統一転換」宣布と「世界統一国開天日」制定、「氏族的メシヤ時代」宣布、そして「復帰摂理完結と愛媛摂理時代の出発」、「八定式」、「天父主義時代」宣布を地上で迎えられ、長子権解放、父母権解放、統一家庭圏解放を自ら体験されて、神様が直接主管する「天父主義時代」を迎えたあとに昇華されたのです。それゆえに、洪順愛おばあ様は、聖母マリヤと聖アンナを合わせたよりも何十倍も立派にその責任を完遂なさった、価値ある方であるということを、私たちは知らなければなりません。
それからまた、おばあ様が立派に実行された、おばあ様以外にはできないもう一つの偉大な役割がありました。おばあ様は(真のお母様の)肉身の母親として、また摂理的には真の父母様の娘としてその責任を立派に遂行されました。その上、真の子女様たちの前に祖母としての役割を果たされたのです。
洪順愛おばあ様がいらっしゃらなかったならば、あるいは責任を果たされなかったならば、いかにして真の子女様たちが祖母の愛を体恤し、祖母に愛を返すことができたでしょうか。家庭において、祖父母の役割がいかに重要であるかということは、改めて言うまでもありません。その祖父母の役割を、洪順愛おばあ様は一人で立派に果たしたのです。このようにおばあ様は、誰一人としてできない偉大な仕事をされた方であられます。
おばあ様の生涯を顧みると、全生涯をひたすら神様のみ旨のためにお捧げになり、夫婦生活も家庭もすべて犠牲の供え物に捧げられたことが分かります。平壌聖経学校に在学していたころに、再臨主を迎えるための準備の使命をもった「聖主教団」に入教され、その時から徹底した奉仕生活と天に仕える生活と祈祷生活をしてこられました。それゆえに、いつも再び来られる主を迎えるための生活をなさり、明かりをともして主を持つ五人のおとめ(マタイ二五)の使命を果たす生活をしてこられました。
夜お休みになるときも、一度として安らかに仰向けにお休みになれず、いつも横向きでうずくまるようにお休みになる生活をされたために、耳が押さえつけられて平たくなっていらっしゃいました。昇華されるまでの闘病生活も、サタンとの霊的な闘いの生活でした。真の父母様を守り、真の父母様のご家庭を守り、私たちの教会を守るための激しい闘いでした。
昇華する二日前からは、「私たち祝福家庭と食口たちが天の前に一つになれないすべての過ちを背負って蕩減しなければならない」とおっしゃって、深刻な祈祷を続けられたといいます。生涯の最後の瞬間まで、神様のみ旨と真の父母様と祝福家庭と私たちの教会のために精誠を込めて祈られた洪順愛おばあ様に、私たちは限りない感謝をお返しせずにはいられません。
真の父母様は、昨日六日の朝、洪順愛おばあ様の霊前を訪ねられ、特別祈祷をなさいました。おばあ様は、統一家庭圏時代を迎え、真の父母様の血統をもった方として、これからは霊界と地上世界を自由に連結なさり、天国と下級霊界を通じるようになさる仲保者の使命をもって行かれることを祈られ、その使命者であることを宣布されました。したがって今後、おばあ様は、霊界と地上世界を自由に往来されながら、神様のみ旨の発展のために積極的に協助してくださることでしょう。
私たちは、このような立派で貴い方と地上で共に暮らしながらも、その方に果たすべき道理を果たせずして霊界に送ることになりました。私たちは心からこの事実を悔いて、寛容な心で私たちの過ちを許してくださることをお願いしなければならないでしょう。
今や、おばあ様は完全に自由な立場になられました。霊界へ、神様のもとへ、興進様の所へ喜んで行かれ、霊界における天の家庭のすべての組織を整備なさり、地上で行われている神様と真の父母様のみ旨成就のために、積極的に協助し、助けてくださるようにお願いいたします。そうして、神様と全人類の願いである人類の祖国、韓国統一と南北統一、そして世界統一が、予定された期間内にすべて成し遂げられるようにしてくださり、すべての食口たちが情熱をすべて傾けて自己の責任を完遂するように押し出し、むち打ってくださるようにお願いいたします。
霊界の喜びの路程を行かれる洪順愛おばあ様の壮途を、私たちも喜びの心で歓送申し上げ、行かれる道が平坦であり、万事が霊界で思いどおりに成されることを祈りながら、昇華の辞に代えさせていただきます。
(2)頌辞──朴普煕先生
きょう私たちは、洪順愛女史の天に行かれる壮途を歓送するために、この聖なる場に集まりました。
洪順愛女史が昇華なさったその瞬間からきのうまで、秋らしくなく、長雨が降り続いていました。それは偶然な雨ではありませんでした。「至誠感天(この上ない誠を尽くせば天も感動する)」という言葉があります。洪順愛女史の一生こそ、ひたすら天と真の父母様のための精誠と犠牲で一貫した生涯であり、この地上に天を感動させ得る至誠があるとするならば、その至誠は、洪順愛女史の天に対する至誠にほかなりません。
至誠を尽くせば天も感動する! その精誠がこの三日間、天を泣かせたのです。
真のお父様は、洪順愛女史の高潔で大いなる一生を一言で表現されて「大母」という号を下賜され、「忠心奉身」という揮毫を下さいました。
大母洪順愛女史は、その一生を文字どおり「大いなる母」として生きられました。歴史に生まれては死んでいった数億数千万の女性の中から、この地に真のお母様をお生みになる天の「大母」に選ばれた洪順愛女史は、今やその使命を成し遂げて、あの高い高い天、天国へと昇天されました。
私たちにとっては「洪順愛おばあ様」と呼ぶとき、親近感を肌で感じます。
おばあ様の生涯は、真のお父様が語られたとおり、「忠心」で全身を捧げる「奉身」の生涯そのものでした。七十六の星霜を経ながら、雨が降っても雪が降っても、昼も夜も、寝ても覚めても、ひたすら一片丹心、あらゆる精誠をすべて捧げ、また捧げ、また捧げる、供え物の生涯でした。
おばあ様はまた、広いという意味をもつ「洪」、従順の「順」、愛する「愛」、この三字の名前のとおりに生きられました。広く愛によって従順のみを美徳と知って生きてこられた方です。大母洪順愛おばあ様は、忠臣の鑑でした。大母洪順愛おばあさんは、孝女の鑑でした。そして大母洪順愛おばあさんは、すべての信仰者の鑑でした。
私は、洪順愛おばあ様が昇華されてから、おばあ様が証をなさった内容を、真のお母様の著書『愛の世界』で読みなおしてみました。
再度この胸を打って感動したところが、一、二節ではありませんでした。真のお母様お一人をこの地上に誕生させるために、天がどれほど徹底的に準備されたのかという生き生きとした記録を読んで、私は新たな感動を覚えました。
洪順愛おばあ様は、真のお母様をこの地上にお生みになるために形容できない蕩減の道を歩み、徹底した修道の道を歩まれながら、信仰と犠牲で一貫した生活の中で、ついに人間の責任分担を果たし、完全にその使命をすべて成し遂げて逝かれたのです。
マタイによる福音書第一章を見ると、イエス様お一人をこの地上に送るまでに「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」と始めて、アブラハムからイサク、ヤコブと続き、ヨセフに至るまで約二千年の血統が記録されています。
これが天の摂理の方法であるとするならば、地上において空前絶後の真のお母様お一人を送るための天の準備が、どうしてこれに劣り得るでしょうか。
実際、洪順愛おばあ様、そのお一人の方を誕生させるまでに、大母様の先祖を通して役事された隠された秘話は、もっぱら神様と後代の歴史だけが明らかにすることができるでしょう。天がたった一人の女性を選び、「大母」となさろうとする際に、その準備がいかなるものであったのかという秘話のことです。
洪順愛おばあ様が特別に選ばれる役事は、おばあ様が真のお父様と同じ平安北道の定州にお生まれになったことを見ても分かります。
厚い信仰の歴程は、篤実な信仰者であられた母親の趙元模女史と共に、平壌の「新イエス教会」、金聖道女史の「聖主教」、許浩彬女史の「腹中教」を経ながら、韓国において再臨を準備する正統の道を歩まれたのであり、韓国に来られる主を探し求めて、あらゆる情熱をすべて注がれ、祈って断食して悔い改めては、また祈って断食して悔い改める、そのことに若い青春をすべて燃やされた洪順愛おばあ様!
このような準備の末、ついに再臨された主、真のお父様に導かれたのですから、洪順愛おばあ様の生涯を通してみるとき、私たちが今立っているこの場がどれほど貴重な場であるのかを、改めて悟らされます。きょうのこの昇華式の場に準備なくして選ばれて立った私たちにとって、粛然として襟を正し、再度頑張らなければならない決起の場となるのです。
あらゆる修道の路程を歩まれた末に、天の啓示を受けられ、韓承運先生と結婚なさり、啓示によって身ごもられ、ついに一九四三年一月六日(陰暦)、真のお母様をこの地上にお生みになりました。これこそが、洪順愛女史の歴史的、摂理的功労であり、今日「大母」となられた真の理由になるのです。
おばあ様は、ご自身が真のお母様をお生みになってから、既にその赤ん坊が普通の赤ん坊ではないことを、啓示を通してご存じであられました。
おばあ様は、当時、真のお母様の誕生直後に、貴い娘をサタンが襲おうとする夢を何度も見たと語られています。ですから、ひたすらその赤ん坊を保護するために精誠を尽くしながら、ご自身を打ち、蕩減を買って出て払われ、松の葉で生食されながら、すべての逆境を克服してこられたのです。ひたすら一人の娘のために生きてきた、南韓での大邱時代、済州道時代、そして春川時代の生活でした。
そうするうちに一九五五年十一月、ついに統一教会に入教し、北にいたときに二度も夢でお目にかかった主、その主が正に真のお父様であられることを知って、その瞬間受けたその感激と衝撃! 真のお父様の奥深い命のみ言をお聞きになって、骨髄が溶けんばかりの痛哭! 洪順愛おばあ様! そのおばあ様の一生を捧げた、主を迎えようとする準備と精誠に、どうして天がこの方を主の前に導かないことがあり得ましょうか。
統一教会入教後、おばあ様の精誠は、ひたすら真のお父様に仕えることであり、成長する娘を統一の聖徒に育てることでした。そうするうちに、いよいよ真のお母様が十七歳になられた年! 天宙の願いの日がやって来ました。人類歴史に黎明の時が訪れたのです。
一九六〇年四月十一日(陰三月十六日)、そのお嬢様であられる韓鶴子女史が宇宙の真のお母様に選ばれ、天宙に真の父母様が顕現するご聖婚式があったとき、洪順愛おばあ様の心境はいかなるものであったでしょうか。
その日まで、まさかご自身の娘が主の新婦として選ばれるとは夢にもお考えにならなかったおばあ様! しかし過ぎてみれば、神様の摂理歴史というのは一つとして偶然がなく、万世以前から予備され、準備されているということを私たちは知るのです。
おばあ様! 本当に大きなお仕事をされました。人類の救いに偉大な功績を立てられました。
おばあ様はご自身の証の中で次のように語られました。
「真のお母様がこの世にお生まれになるやいなや、サタンが殺そうとするのを見て不思議に思いながら、この子は精誠を尽くして育てなければいけない、今後、世俗に染まらないように清く美しく育てて、主に捧げなければならないと思いました」。
おばあ様は、すべてその言葉どおりに成し遂げられたのです。
また、おばあ様は、「一か月ほどして、夢に白い服を着た新しい主(金聖道夫人)が白い雲に乗って現れたかと思うと、『順愛よ! 赤ん坊のために心配だろう。心配することはない。この子は主の娘であり、お前は乳母と同じだ。乳をよく飲ませて養育しなさい』というその命令を私は今まで心に固く刻んで生きてきました」と語られました。
そのこともまた完全に成し遂げられて逝かれたのです。
真のお母様は、天上天下において完成なさったアダムの最高の新婦であられました。最高のお母様でした。おばあ様はまた、このように語られました。
「私は、その方が真のお母様になられたのちは、肉身の思いから私の娘だと思ったことがありません。絶対的に真のお父様、真のお母様として信じながら、ただ一人の食口の立場で歩んでいくだけです」。
ここに、おばあ様が真に偉大であられ、信仰者の鑑となられる理由があります。
「食口の皆さんも、私に対して特別な考えはおもちにならないで、いつまでも同じ食口の立場で対してくださるようお願いします」
と言われたおばあ様のそのお声が、今でも聞こえるようです。
おばあ様、今や地上において使命を成し遂げて昇天されたのですから、どうか天国の天のお父様の懐の中で思う存分、栄光をお受けください。さようなら。
真のお父様は二度も殯宮に来られて、自らお体をなでて祈祷してくださり、真のお母様を慰められて、このようにおっしゃいました。
「人というのは、生まれるときに喜び、結婚するときに喜び、またこの世に別れを告げて昇華するときに喜ぶようになっている。昇華とは、新たに生まれて天上に入ることであり、それはめでたいことでなければならない」。
真のお母様がどうしてこの真理をご存じでないでしょうか。逝かれたご自身の母の懐で幼いころをお過ごしになり、あらゆる風霜、あらゆる逆境を体験されたその過去、走馬灯のように過ぎゆく母の愛と供え物になった生活の一つ一つ、その骨髄にしみた過去が思い出としてよみがえるとき、やはり人情は、いかんともできずにあふれるその涙をどうして止めることができるというのでしょうか。
静かに涙を流されながら、「私はこの三日間、修行を積んだ」とおっしゃった真のお母様のそのみ言の中に、真のお母様の心情の深い内容がすべて含まれていました。涙を見せまいと努められ、笑顔で食口に対される真のお母様! そのお母様を慰労し、その心に微塵たりとも恨めしさを残さないようにしようとなさる慈悲深きお父様!
真の父母様に侍る私たちは、この数日間、本当に真の父母様の子であることをとても幸せに感じ、一日一日が天国を味わうような日々でした。
おばあ様にこれまで十年近く仕えてきた任導淳教区長夫人(沈明玉先生)の切なる証を通して、おばあ様の去る十年の闘病生活は、実際は真の父母様と真のご家庭のための蕩減生活であったことが分かりました。
おばあ様は、ただ横になられて十年間をお過ごしになったわけではなかったのです。最後の機会をねらう暗闇の権勢をあらかじめ感知し、一人で引き受けて耐えようとなさる、サタンとの熾烈な闘争の十年でした。
「真の父母様に向かってくる厄運は、すべて私に来るようにしてください。真の父母様に向かってくる矢は、すべて私が受けるようにしてください」。
これは最期の瞬間まで、おばあ様が祈祷なさった内容でした。
常に第一線の将兵のように戦闘体制を整えて出動命令をお待ちになったというおばあ様! 数十年を横向きにうずくまるようにお休みになって、その耳が平たくなられたとは、いかぽかり緊張されていたことでしょうか。一生の間、一度も寝巻きを着られずにお休みになるとは、危険の迫りくる中、いかばかり焦る思いでいらっしゃったでしょうか。病院でも絶対に患者の着る服を召されなかったとは……。
おばあ様は、このように行動で私たちを教え諭し、行動で私たちの伝統をお立てになったのです。昇華した日にしても、歴史的な成和大学昇格と本館の竣工を祝う日、真の父母様の身辺を最後まで祈祷と精誠によって守り、その行事がすべて終わる時まで耐えられました。
おばあ様は恵まれた人であられます。ついに駆けつけてこられた真のお母様の胸に抱かれ、真のお母様の懐の中で最期の息を引き取られたのですから……。福というならば、これより大きな福がどこにあるでしょうか。真のお父様の切実な祈祷の中で昇天されたのですから、これを福というならば、これより大きな福がどこにあるでしょうか。
大母洪順愛おばあ様! 天使たちの歓呼の声が聞こえます。あらゆる預言者や烈士たちの歓呼の声が聞こえます。さあ、今や完全に自由の身になられました。勝利をされて逝かれました。これからは天上において栄光をお受けください。
興進様とイエス様、劉孝元協会長をはじめとしたすべての霊界の成約聖徒たちと共に、天で真の父母様を守ってくださいませ!
天で真の父母様の勝利を見守ってくださいませ!
天で真の父母様の万歳を叫んでくださいませ!
(3)頌詩(洪順愛女史協会昇華式に捧げる)──柳光烈委員長
大母様が目を閉じられてから
四日間うっとうしい天気が続いたと思ったら
五日目となるきょう、天国の扉が開かれ
そのうっとうしかった雨脚の立ち去ったこの場に、明るい朝を迎え
大母様の至極困難であった生涯を本で見るようであり
すべて、行き先の天国を目の前に見るようです。
大母とおっしゃいますが
大母、大母、大母、
いくら十回、百回、唇に繰り返し載せてみても
「大母」その名前はそのまま大母様の名前であられます。
大母様は「新しい主」、「奥様」、「真の父母様」に至る
三段階の徹底した教育によって信仰の神髄を体得された、ただお一人の方
天の内的なみ旨を悟り、磨き、積み重ね、知り、そして大切にされた
本当に地の悪に勝利して逝かれるあなたは天の娘であられます。
大母様は
この東方の、日が昇る国を中心として、天が展開してきた
現代摂理史の正統の脈をつなぎ、大切にしながら天に捧げた
信仰の柱であり、闘士であり、勝利の旗手でいらっしゃいます。
信仰界の女主人であり
地上天国の門番であり
天の玉璽(印)の信仰的伝達者でした。
昔いた王家の
頑固な忠僕のように
天の屋根の棟をつかんで
「私はひたすらこれを守る」という、そのような方でした。
そのように初めつかんだものを最後まで放さない
信仰の完走者でいらっしゃいます。先頭走者でいらっしゃいます。
大母様は
神霊な水の湧き場を一生守る主人のように
生涯をかけて純潔を守り、貞節を守り抜いた
それほどまでに志操を大切にされた、生まれながらの烈女であられます。
そしてまた大母様は
全生涯を通して犠牲奉仕の化身でした。
一人逝かれた主の恨みを晴らすために犠牲となり
一人来られる主に侍るために粉骨砕身、奉仕なさり
任せられた一人の天の娘を最後まで美しく育て上げるために
あらん限りの精誠をすべて注ぎ込まれた代表的な母性像でいらっしゃいます。
最も低い位置から始めて
最も貴い位置まで至られましたが
一度も贅沢な暮らしには気にもとめず
破顔一笑、大きな笑いを一度もされず
一日とて安心して暮らすことができずに
いつも慎み深く、いつも配慮し
いつも心配し、いつも気を遣わなければならない
そのように一生、心配と憂いで生きてこられ
そのように日ごと骨身を削って捧げた
天のための生涯でした。
そのような犠牲の大母様が
この世にお一人いらっしゃることによって
天の解放が起きて大きな憂いが晴れ
天国建設の大いなる出発がなされ
天下の民心を安らかにする基礎ができたではありませんか。
そして
天が喜びの万歳を叫ぶことができるようになりました。
地が平和の万歳を叫ぶことができるようになりました。
人が幸福の万歳を叫ぶことができるようになりました。
この時間、すべての成就と恩賜と栄光を
すべて真の父母様の功労としてお返しなさる大母様であられることと思います。
これから私たちは
そのような大母様に対して一生、信仰生活の大指標として侍り
忠孝一貫の本道を、精誠を尽くして歩んでいこうと思います。
これまでのご苦労に本当に感謝いたします。
これから世々限りなく
神様と真の父母様に侍り、万福を享受してくださいませ。
── 一九八九年十一月七日、朝
六 元殿式
十一月七日、昇華式ののち、午後一時三十分ごろ、京畿道坡州郡積城面武建里柿谷にある元殿聖地に奉送行列が到着した。元殿式に先立ち、家族代表の焼香、宋根植・ソウル東部教区長の到着報告祈祷、真の父母様の焼香、真のお父様の奉献祈祷などがあった。
続いて、午後二時から宋根植教区長の司会で始まった元殿式は、聖歌賛美(聖歌「園の歌」)、鄭壽源・国際家庭特別巡回師室長の祈祷、李耀翰牧師のみ言および祈祷、家族代表の聖塩聖別、献土、金榮輝協会長の音頭による万歳三唱、真のお母様のみ言(洪順愛大母様に関する証と食口たちへのみ言)、真のお父様のみ言の順に進行された。
この日、真のお父様は、午後三時九分から一時間ほど語られたのちに、祝祷してくださった。祝祷を通して、過去の受難の民族史と大母様の犠牲の生涯をたたえながら、大母様を天地の架け橋の役割のための愛の表象として天の前に奉献し、特にこの日が忠孝の心情を受け継ぐ記念の日となることを祈られた。この日の祝祷の内容は、次のとおりである。
愛するお父様! きょうは一九八九年十一月七日、この時間は、天と地が注目する中で、統一教会における真のお母様の母親であられるおばあ様が、あなたの懐に帰ってゆく、地上世界での最後に残された時間になります。今、入殿式を挙行するこの場を、お父様がお受けくださいませ。
この地上の数多くの女性の中から、このおばあさんをあなたが呼んで立てられ、人々の知らない険山峻嶺と苦行の道を開拓させ、天の内的因縁と地上世界の人生の困難な峠の道をつづって、地上に平坦な道を築くようになさいました。そのための摂理のみ旨に従い、長い間三代を経て、天が命令なさるみ旨に従って、地上に最終的な勝利のあなたの摂理の中心者が来ることを予告なさりながら準備させた過去を、もう一度考え直すとき、どれほど天がご苦労なさったのかということを知るものでございます。ここにもう一度感謝を申し上げます。
人類始祖の一日の堕落という失敗によって、このように人類歴史世界において、誰一人として知ることのできない曲折の事情を埋めたまま、数多くの人が地上を通り過ぎていきました。これを悟らせるために数多くの宗教を立て、あなたの愛する者たちに十字架の受難の道で血を流させ、そのようなすべての道の犠牲の祭壇を継ぎ合わせ、旧約時代・新約時代・成約時代を通して今日の統一教会まで連結させるのに、どれほどのご苦労をされたことでしょうか。
さらにこの韓民族をお父様は哀れにご覧になり、数多くの民族の中からこの民族をお選びになり、この半島にとどまるようになさりながら、長い歴史の中で強大国家に囲まれ、自主的な立場を取ることのできない受難の道を経てくるようにされました。そのような渦中で、数多くの困難と曲折に遭うたびに、天に向かって泣き叫びながら、「この国のすべての未来を守ってくださり、自分たちの恨みを晴らしてください」と訴えた先祖たちが、数えきれないほどいたということを再び考えるのでございます。
このように長い歴史を歩んできた民族であると同時に、哀れで孤独な民族であることをご存じである神様は、あなたの置かれている立場と同じ事情が、この民族の歴史的背後に残されているゆえに、道をたどって切り開きながら、私たちの先祖の時代を経て今まで保護してくださった、その恩賜に感謝申し上げます。滅びるしかないような因縁の立場に立つたびに、天が守ってくださり、困難な環境の中で希望のないような立場に至るたびに、天はあれこれと私たちを救い出してくださった摂理歴史があったことを知っております。さらには、今日の韓国の情勢を見つめるときに、世界史的な運命の勝敗を決めるべき使命が残っていることを知っております。
このような人知れぬ歴史的背後の摂理の内容を清算するために、数多くの女性たちが犠牲になりました。その犠牲となった女性たちの中で、天を代表し地を代表して、全体的供え物の立場で犠牲ののろしを代表で握り得た洪氏の家門をお父様が愛され、格別な指示とともに日々の行く道をお導きくださる中で、無知な人間たちの前で追いに追われる恨めしい歴史を残してきたという事実を知っております。
お父様! 日帝治下において受難の道を忍んできながら天のために追われ、解放以後四十年間、統一教会という名前をもつという理由で数多くの人たちに追いに追われた哀れな歴史時代を経て、今や入殿するこのおばあさんは、お母様を世界の前に立てて、一日一時間も安らかに休めなかった歴史的な曲折をもっております。
そのようなすべてのことは歴史的に残ることであり、想像にとどまり得ることでございます。今、事情を通すことのできない、地上に別れを告げるこの場を、お父様がお守りください! 私たちが心を合わせて悲しみ、慰め、栄光の立場で抱かれることを願うこの願いの一念が、あなたのみ意と一つになることによって、あなたがこの娘を大切に抱いてくださり、広漠たる天上世界の全体が、この日、この娘が行くのを歓迎するようにしてください。
あなたが願われた誇らしい一人の娘として、永遠に天上世界と地上世界において、み旨の成就のための一つの架け橋の役割を果たすために、この娘が行くということを知っております。ゆえに地上にいる真の父母は、この娘をあなたの前に送りながら、天を動員し、地のすべての善なる子孫たちを動員して、あなたの懐に抱かれ得る愛の一つの表象として、母の愛の表象、娘の愛の表象としてたたえますので、お父様の懐に抱いてください。
この娘の功労をたたえると同時に、誇り得る条件があるとするならば、それはこの娘が万民のために苦労したゆえであり、万民を救おうとするあなたの愛の心情を抱き、このすべてのかわいそうな人類を救うために犠牲の道を、生涯を終えるまで歩みきったゆえでございます。ゆえに、今行く彼女を見守ってくださり、あなたの愛の心で地上世界に方向を設定し、この場とこの統一教会を中心として南北の統一の運勢とともに、アジアの統一、世界の統一の運勢を成してくださり、あなたの愛の掌中に収めて直接指導、主管してください。
恨となってこの娘の祈ったことがすべて成就したと、お父様が自ら誇り得るその日が目前に迫っているのを直視する時に臨みました。アメリカ、日本、中共、ソ連がそうであったように、彼らが韓国を手放すことができなかった、そのような歴史的過程を経ながら、彼らは自国の利益のために、朝鮮半島に悲しみを残した三十八度線を横たわらせましたが、今やそのすべての歴史的事実が恨の峠を越え、真の父母を通して天上世界と地上世界の天運が韓国に訪れることのできる道をこの地上に設定するようになりましたので、お父様、勝利の賛美がこの三千里半島の上に力強く響き渡るようにお許しください!
これが、この世を去る前まで、この娘が心配して祈った気持ちだと思いますので、どうか天よ、この願いの心を晴らしてください。
この娘が北韓の地にある故郷を再び訪ね、南韓に向かって霊を通じて祈っているということを思うとき、私たちは一心同体となって、今年の標語である「韓国統一」のために前進する勇敢な天の精兵の姿を代表した統一の群れとなり、天のための忠孝の子女たちとなるようにお許しくださることを切にお願い申し上げます。
お父様! この娘が行くことによって、全霊界で、地上に許した勝利の踏み台を継ぎ合わせ、善なる先祖たちが地上の善なる子孫たちを中心として直接的に再臨復活できる役事を、あなたのみ旨の前でひときわ強固に拡張、連結させてくださいますようお願いいたします。
きょう、ここに参加するあなたの愛する息子、娘たちがみな、この娘の生涯を心から祈りながら、日々の生活の行くべき人生行路を歩むようにしてください。この娘が残したすべての忘れられぬ事情が、ここに残った兄弟たちの行く生活の指標となり、生涯の目標となって、その恩賜の期間としてすべての人の前に分け与えることのできる一つの入殿式となるようにお許しくださることを切にお願い申し上げます。
このおばあ様が歩んだ道を心の中に描きながら、人の真なる最後を締めくくるためには、いかに生きるべきかを知るこのすべての食口たちの心に、天の憐れみの心と愛の心が宿り、家長として、家父として、親として、子として、兄弟として、天の願われる願いの目的を十分に成し遂げ得る者にならんと誓う、一つの記録的な記念の日となるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。
今や統一教会で信仰しながら逝ったすべての霊人たち、興進君を中心としたイエス様、また四大聖人を中心としたすべての数限りない聖徒たちよ、この日を喜んで迎え、この娘を歓迎して、あなたたちの願う願いの場に導き、天に侍るに当たって忠孝の心情を受け継ぐことができるように祝福してくださることを切にお願い申し上げます。
万万世の恩賜と愛がこの娘と共にあらしめ、きょうこの聖なる入殿式をあなたの前に奉献いたしますのでお受けくださいませ。全体をみ意の中で主管してくださいませ。真の父母のみ名によって、あなたのみ前に奉献いたします。アーメン。アーメン。アーメン。
忠心奉天の道 目次へ
第二節 追慕礼拝と記念館開館
一 昇華三十日特別追慕
大母様の昇華後三十日目となる日、特別に真のお母様は、イースト・ガーデンにおいて真の子女様を集められ、大母様の一生を回顧されながら貴い教訓のみ言を語ってくださった。
おばあさんは「考えることや行動することが世界的であると同時に、一輪の花の美しさを見ることができる人を通して、神様は役事される」という含蓄のあるみ言がお好きでした。
大母の称号を受けるまで、天のみぞ知る血涙を搾る精誠の祈祷をなさいました。お父様に侍る以前は「メシヤに出会わせてください」という祈祷をされ、お父様に出会ってからは、私たちの家庭のためにより一層精誠を込められたのです。霊的によくご存じであられたからです。この家庭を守るためにサタンと闘われたのです。
そして、霊界に行っても、真の父母様の家庭のために、多くの協助をしてくださるだろうと語られながら、次のようにおっしゃった。
おばあさんは、一点の陰も、一点の汚点もなく生きられたのですから、私もあなたがたもそれを学び、そのように生きていかなければなりません。
二 第二回追慕礼拝
真の父母様は、大母様の昇華後、今日に至るまで、韓国に滞在なさる間は、寒食の日(冬至から数えて百五日目、この日に墓参りをする)や追慕日に、数回坡州の大母様の元殿に墓参りをされ、先代の父母を代表した基準で追慕の礼を尽くされた。
特に、大母様が昇華されてから二周年になる追慕日(一九九一・一一・一〇、陰一〇・五)には、大母様の模範たる信仰伝統の基準を高くたたえ、この日が霊界祝福の役事が拡大するきっかけとなることを祈る内容の祝祷をされた。そのうちの一部を要約すると次のとおりである。
一九九一年十一月十日、大母様が霊界に行かれてから二周年を迎え、過去の数多くの記憶を思うのでございます。
この日を迎え、大母様が、統一教会を中心として歩み始められたその日から、激しい恥辱の道も感謝しつつ耐え忍ぶことによって、統一教会の信仰的土台を模範的に示してくださった歴史的事実に感謝いたします。
お母様の行くべき道を切り開くために、内外において耐え難い心情的な痛みを忍びつつ勝利の時を祈ってきたすべての日々が、今や祝福の時として残されるばかりでなく、私たちが、信仰の道において模範となられて残されたその伝統を受け継ぎ、万民の前にこれを伝えることのできる基準にならしめてくださいませ。
残してくださったすべての事情と歴史的記録が、お父様のみ旨を助け、摂理のみ旨を保護することのできる基台となるようにお許しくださることを切にお願い申し上げます。
この時間、霊界に行っている統一のすべての子女と、ここ(坡州・元殿)に埋められたすべての食口はもちろんのこと、全国に散らばっているすべての霊たちもこの場に参加しまして、この日を、追慕すると同時に、喜びの一日として天地に代わって侍り、彼らの霊的復活とともに解数的運勢を高く参ることのできる、契機としてくださいますよう切にお願い申し上げます。
このような日を記念することによって、霊界が一つになり、地上世界のその子孫たちの前に、キリスト教やすべての宗教とともに連結させて、万民があなたの祝福の中で結束できるように、祝福のみ手を表してくださいますよう切にお願い申し上げます。
この日を心で鑑として祈るすべての群れを祝福してくださることを切に願い、霊界に行ったすべての霊人、大母様に仕えてこの場に参加し、この日を喜びの日として迎え、祝福の日を拡大することのできる、契機の日として立ててくださいますよう切にお願い申し上げます。
喜びをもって記念できる時間を与えてくださったことに感謝を申し上げながら、万万世の恩賜と愛とともに、霊界のすべてが日進月歩に拡張し、愛の心情圏を全霊界まで連結させ得ることを願い、より一層広い祝福を天から与えてくださることを切にお願いしながら、すべての祈りを真の父母のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン。
三 記念館開館および第五回追慕礼拝
一九九三年四月に㈱一成建設が施工し、一九九四年七月に開館したソウル市中区筆洞所在の中区統一会館四階に「大母様記念館(のちに忠義愛館と改称)」が開設された。そして、その年の十一月七日の第五回大母様追慕礼拝の時に、真の父母様をお迎えして開館式が挙行された。これを記念して、真のお父様は「忠心奉天」と揮毫してくださった。
真のお父様は記念の辞を通して、大母様の全生涯にわたった摂理的功労と昇華後における霊界での使命、活動について概括されながら、記念館開館の意義を明らかにしてくださった。その日のみ言の内容の一部を要約すると、次のとおりである。
皆さんもご存じのように、お母様の母親であられる大母様は、一生を信仰一筋に生きられた方です。その中で特別に私たちが記憶すべきことは、新たな摂理歴史において、「再臨主が人として来る」ということを宣布して新しい教団をつくったすべての歴史に、初めから参加してきたということです。
お母様を生んで、三代のエバ的歴史を経るに当たり、お母様の時代に実を結び得るみ旨をひそかに知って準備してきたおばあさんであると、私は見ています。その間にあった過去の苦労というものは言うに言えません。周りの兄弟とか親戚とか同志、全体が理解しようとしないこの道を独りで歩み、生食をしながら、あらゆる歴史をすべて経てきたのです。
しかし、最後まで自分の中心たる思想を曲げずに歩んでくることによって、お母様が先生と会うことのできる基台を造成したのではないかと思います。お母様と先生が会ってから今まで、教会の複雑な環境を経ていく中で、様々な困難がありました。
おばあさんたちや新婦格の先発隊たちが競い合う、複雑な環境を収拾し、その恩恵を集めて収め、お母様が相続しなければならない過程を経ていく、そのような難しい時期を、お母様独りで歩んでいけるように、行き先を示してくださった方が大母様なのです。そのような意味で、大母様は、お母様の歴史の中で欠かすことのできない功績を立てられた方であると思うのです。
そうして、お母様が子供を生むと、その子供たちを中心として誰よりも精誠を尽くし、生きている間、真の父母様の家庭を一心一念で侍ってこられた代表的な母なので、「大母」という名前を下賜し、また、あらん限りの精誠を尽くしてきたので「忠心奉天」どいう揮毫を書いてあげたのです。このような深い内容があるだけに、そのようなことを承諾して、記念館に展示する内容を見ると、感慨無量です。
また、霊界に行っても、興進君と一つとなって、多方面の霊界を代表して活動を展開していると思います。ですから、皆さんも精誠を尽くせば、霊界の大母様や興進君、イエス様を中心としたキリスト教聖徒、あるいはその他の聖人たちと連結できるのです。大母様がそのような架け橋の役割をするのです。
それゆえ、できれば、この記念館に来て精誠を尽くした人々が、そのような伝統を受け継げることを願いながら、この記念館を天の前に奉献しますので、これを皆さんが通切に利用し、将来の信仰生活の基台を築くことを願います。
またお母様自身も、これから精誠を込めなければならない時が来たと思います。大母様が天と通じて、すべての代を継いで準備をしたように、これを受け継ぐことのできるお母様も、大母様に劣らず努力しなければならないのです。このことを、この日を記念して、皆さんに知らせるのです。
続いて、真のお父様は、四十年路程を通して「真の父母と成約時代安着」を宣布し、万民解放と万国統一に向かって前進できる時代を迎えるようになった恩賜に感謝しながら、大母様の第五回追慕式と記念館開館のために祈祷をされた。そのうちの一部を要約すると、次のとおりである。
きょう、大母様の第五回追慕記念日を迎える歴史的事実を考えるとき、過去に残された恨の峠をすべて洗い清め、今や解放された立場と平和理想世界に向かって、天を高らかに褒めたたえ神様を高らかに愛しながら、父母様に侍り、地上の父母と一つになって、万国の愛の園を備え、万民の兄弟圏を備えるようにお許しくださることを切にお願い申し上げます。
このような日が繰り返されることによって、天が願っていたみ旨を地上の万国と連結し、現れるものがすべて花を咲かせ、香りを高め、天を念願し得る家庭と氏族、民族、国家が生まれるようになったことに感謝申し上げます。
天が悲しんだすべての恨の峠を越え、解放と恩賜の驚くべき和動の世界を備え、統一的であり天宙史的である地上・天上天国を成し、お父様が独り栄華を極めた立場で栄光に浴されることを、私たちは願うばかりでございます。
残った復帰の恨の峠を前進する過程において、天がより一層協助なさり、平準的な恩恵を万民が備え、天上世界と地上世界が共に解牧圏を備えて、解放された天の眷属(一族)となれるようお許しくださることを切にお願い申し上げます。
記念するこの日が、福となることをお許しくださいませ!
日々のすべての関連した恩賜が、あなたの深き心情の結託を高め、称賛の燈台を高め得る基台となることを切にお願いしながら、このすべてをお父様の前に奉献し、真の父母様のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン!
この日、記念館の企画段階から、開館のために心血を注いだ沈明玉先生は、「記念館に陳列されているすべての物には、大母様の限りない精誠と意味が込められています。大母様が最も大切にしていた物は祈祷の服でした。この服を見るたびに過去の大母様の祈祷生活が目に浮かびます」と深い感慨に浸った。
첫댓글 고맙습니다*^^*