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日本の糖尿病患者は非肥満の人の方が多い――。そんな事実をご存じでしょうか。血糖値の上昇を抑えるインスリンの分泌量が欧米人より弱く、高血糖を抑えるためインスリンが過剰分泌される「高インスリン血症」に伴って肥満にならなくとも、インスリン不足で糖尿病を発症する人が少なくないからです。糖尿病は病状が進行するまで症状として表に出にくいため無自覚の“予備軍”も多く、行き詰まると慢性腎不全や糖尿病性網膜症による失明、神経障害、動脈硬化などさまざまな合併症を引き起こします。今や患者数が1000万人を超え、社会課題となった糖尿病。発症やなってしまった場合の進行を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。この連載では、「ゆるやかな糖質制限」の提唱者で、食品パッケージで見かける単語「ロカボ」を発案した糖尿病専門医の山田悟医師(北里大学北里研究所病院糖尿病センター長)に、気楽に取り組め、長続きし、しかも効果的な食事法について語ってもらいます。聞き手は、糖尿病から慢性腎不全へと至り、母からの生体腎移植を経験した記者が務めます。
初回は、「日本で今なお糖尿病治療のスタンダードであるカロリー制限より糖質制限が優れているわけ」がテーマ。「カロリー制限に意味はない。緩やかな糖質制限がベスト。糖尿病患者だけでなく、誰にでも有効」。山田医師がそう話す理由とは――。
糖尿病治療の常識を覆す研究結果
日本の糖尿病治療では「カロリー制限こそ血糖値低下に最も適した治療法で、体にもいい」と信じられてきました。専門医である私自身も迷いなく患者さんにカロリー制限を指導していました。「取り組めば血糖値は下がります」と。
そんな“常識”に極めて大きな一石を投じたのが、2008年に米医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載された一つの報告でした。
イスラエル人医師グループが糖質制限の効果を検証した試験を報告しました。400人弱の肥満者を、油とカロリーを控えるカロリー制限食グループ▽カロリーは控えて油はとる地中海食グループ▽カロリーは気にせず糖質だけを控える糖質制限食グループ――の三つに分けて調べたところ、減量や血糖改善に最も効果があったのが糖質制限食のグループだったのです。その糖質制限は、1日当たりの糖質摂取量は120g以下(日本人は1日当たり300g程度摂取しているとされる)と緩やかなルールでした。
しかも糖質制限食は、血液中の中性脂肪も最も下げ、動脈硬化の予防因子となる善玉コレステロールを最も増やし、動脈硬化の発症リスクをよく下げていました。さらに糖尿病治療で最も重要な指標の一つで、長期にわたる血糖コントロールの状態を知ることができる「ヘモグロビンエーワンシー(HbA1c)」の改善が最も大きかったのです。
「カロリー制限が糖尿病治療に最良」と信じて疑わなかった私は衝撃を受け、「本当か?」と疑いもしました。その後各国で追試験が行われ、私たちも日本人を対象に研究して14年に論文として発表しました。標準体重1㎏当たりのエネルギー摂取量を25~30㎉まで減らす極めて厳しいカロリー制限食のグループと、1食当たりの糖質を20~40g、間食に10gまでOKという緩やかな糖質制限食グループに分け、HbA1cで比較すると、やはり糖質制限食グループが有意に改善していたのです。中性脂肪の改善も糖質制限食グループだけでした。日本人でも効果が実証されたことで、私は緩やかな糖質制限食が持つ確かな可能性に気づき、「糖尿病のベストの治療法」との確信を得ました。
私はそれを「ロカボ」と名付けました。低糖質を和訳した「ロー・カーボハイドレート」をより身近で気楽に取り組んでもらえるように、また、極端な糖質制限食を排除した用語として考案しました。
深まるカロリー制限への疑念
それと同時に、カロリー制限をする意義への疑念も深まっていきました。
無論、一定の効果を得られることは私も認識しています。短期の減量法としては有効で、肥満症の患者にはとりわけ効き、私も肥満を合併する糖尿病患者の入院食としてなお採用してはいます。しかし、カロリー制限の有効性には現時点でエビデンス(科学的根拠)がともなっていないのです。長期の継続性や安全性のデータもありません。一方、研究が進んで、血糖改善や体重減量の効果が短期的といった課題も浮かぶなど種々の病態を改善しきれないことも分かってきています。また、骨密度の減少を招き、摂取カロリーが減ることで筋肉量も減って「ロコモティブ・シンドローム」(運動器機能低下による移動機能低下)も起こしうるとの有害性も指摘されています。
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糖尿病が悪化すると、薬剤を服用したり、インスリン注射を打たなければならなくなったりする場合もある=2023年5月、倉岡一樹撮影
そもそも、カロリー制限には我慢し続けるという大きな苦痛が伴うため、取り組むのが非常に困難です。糖尿病の治療と肥満の改善、そして抗加齢(アンチエージング)への期待から多くの人が取り組んだ経験をお持ちでしょう。しかし大半の方が挫折してしまってきたのです。実は、私もその一人です。体重が増えた自身の体を引き締めるべくカロリー制限をしたところ、当初は4㎏減量できたものの、あえなくリバウンドしてしまいました。途中で我慢の限界に達し、気持ちが切れてしまったのです。糖尿病専門医としてカロリー指導をする身でありながら、自分は挫折した。情けなくなりました。苦い記憶です。
日本人成人の7~8割が食後高血糖
血液中のブドウ糖の濃度である血糖値を上げる原因栄養素は、糖質だけです。問題となるのはカロリー摂取量ではなく糖質摂取量です。だからこそ、糖尿病治療にはカロリー制限でなくロカボが優れた取り組みだといえるのです。しかもロカボは“健康”な人にも大きな効果をもたらします。
それはなぜか――。日本人特有の体質にあります。血糖値を下げるインスリンの分泌能力が欧米人と比べて弱く、加えて年齢を重ねるにつれて緩慢になるため、食後高血糖となる人が極めて多いからです。もとより高度に文明化された社会ですから、現代人の運動量では摂取した糖質を消費しきれずだぶつく人が多いです。高血糖や血糖の上下動が続くうちに体を痛め、インスリン分泌機能も弱くなって糖尿病へと至ります。
糖尿病の恐ろしさは、合併症に尽きます。毛細血管が傷むことで腎臓(慢性腎不全)と目(糖尿病性網膜症)、神経に障害を引き起こします。腎臓が傷つくと人工透析や腎移植、目は失明、神経障害は尿失禁など深刻な結果をもたらします。糖尿病に根治はありません。発症したら、症状の進行を遅らせるために食事療法と運動療法に取り組み続け、さらには多くの場合、薬物療法に頼らなければなりません。
ポイントとなるのは食後高血糖です。日本人は1日当たりおよそ300gと多量の糖質をとるといわれています。食前こそ血糖値が低くとも、食事で跳ね上がるとなかなか下がりません。食後高血糖で血管をはじめとした体全体が傷つき、血糖の激しい上下動が酸化ストレスを引き起こし、動脈硬化や認知機能の低下、細胞のがん化につながる可能性があります。高血糖は老化を招く恐れがあるのです。
聞き手の記者(倉岡一樹)は糖尿病性網膜症が悪化して左目に硝子体(しょうしたい)出血を起こし、水晶体を除いて眼内レンズを入れる手術を受けた。また糖尿病性腎症から慢性腎不全へと発展し、生体腎移植手術も受けている=川崎市の日本医大武蔵小杉病院で2020年4月、倉岡一樹撮影
健康への意識が高い人こそ危険をはらんでいるかもしれません。朝はスムージー、昼は玄米のおにぎりとフルーツたっぷりのヨーグルト、あるいはざるそば――。絵に描いたような“健康的な食事”にみえますが、いずれも糖質の塊だからです。日本では成人の7~8割が食後高血糖とされており、糖尿病発症者は肥満ではない人の方が多いのです。だれしも糖尿病と無縁ではありません。肝要なのは、食事で血糖値を上げすぎないこと。つまり、いかに糖質の摂取を抑えるか。ここでロカボ食が大きな力を発揮します。
何でも食べられ、満腹感も味わえるロカボ食
ロカボ食は「おいしく楽しく食べて適正糖質」がテーマです。1食当たりの糖質量を20~40gに抑え、糖質10g以下のデザートも加えて1日当たり70~130gにコントロールします。糖質を完全に排除するのではなく、決められた枠内に抑える。これだけです。だからといって炭水化物を抜いてはいけません。糖質を下げすぎると、産出される「ケトン体」に対する不安が残りますし、それ以上につらくてドロップアウトするからです。また炭水化物に含まれる食物繊維は積極的にとる必要もあります。そして糖質を抑える分、たんぱく質と脂質を多めにとって一日のエネルギー量を確保しなければなりません。「肉も食べていいの?」と驚かれる方も多いですが、むしろ多くとった方がよいのです。たんぱく質と脂質、食物繊維は、摂取することで血糖値を上がりにくくする物質を分泌することが分かっています。さらに、肉の脂の摂取を控えると動脈硬化になりやすくなるとの研究結果もあります。「脂は体にいい」のです。
米国では15年、脂質摂取量とコレステロール摂取量は心臓病や脳卒中の発症とは関連せず、脂質摂取を制限しても肥満症予防にはならず、糖尿病治療にも有効ではないと認めました。
カロリーを気にする必要もなく、食べてはいけないものもありません。気をつけるのは「糖質をたくさん含む米やパンなどの主食は最後に回す」ことだけ。食べ順は「ベジファースト」にこだわらなくとも「ミートファースト」でも「フィッシュファースト」でも構いません。これらに含まれる血糖値を上がりにくくする物質が体を巡るようになってから糖質を摂取すると、同じ糖質量を摂取しても「カーボファースト」時より血糖値が上がりにくくなる効果を見込めます。「カーボラスト」でインスリンをあまり使うことなく血糖値の上昇を抑制できるのです。まずはおかずをたっぷり食べて満足感と満腹感を得た後に、糖質量を考えた主食を頂く。そうすると摂取する主食の量もおのずと少なく済みます。
白米を果物に置き換えることだって可能です。スイーツも楽しみましょう。“おなかいっぱい”になりましょう。発想は「糖質をいかに楽しむか」です。緩やかなので挫折する人も少なく、カロリー制限食で心折れた私も例外ではありません。ロカボ食で10kgの減量に成功し、学生時代と同じ体形に戻ることができました。今なおその状態を維持できています。
「我慢は美徳」という20世紀的な発想の象徴だったカロリー制限の時代は終わりました。カロリー制限と脂質制限には意味がないのです。食事を楽しみながら健康的な日々を送る。糖尿病患者の食卓も彩り豊かになる。楽しんだ人ほど結果が出る、緩やかな糖質制限=ロカボに取り組んでみませんか。【聞き手=編集部・倉岡一樹】
特記のない写真はゲッティ
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山田悟
北里大学北里研究所病院副院長、糖尿病センター長
1970年生まれ。94年慶応義塾大医学部卒業。同大内科学教室腎臓内分泌代謝研究室などを経て2002年に北里研究所病院へ転じ、07年から糖尿病センター長、21年から同院副院長を務める。我慢ばかりを強いるカロリー制限中心の食事療法で、向き合う糖尿病患者の生活の質が低下している現実と直面した。そんな中、食事をおいしく、おなかいっぱい楽しみながら血糖値を穏やかに保ち、肥満者の減量効果にも優れる、緩やかな糖質制限食と出合う。治療に積極的に取り入れるとともに、「ロカボ」と名付けて普及に努め、2013年に「食・楽・健康協会」を設立した。日本糖尿病学会糖尿病専門医。日本糖尿病学会指導医など。主な著書に「カロリー制限の大罪」「糖質制限の真実」「奇跡の美食レストラン」など。慶応義塾大医学部非常勤講師、北里大学薬学部非常勤講師、星薬科大学非常勤講師。