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毎日新聞2024/4/26 東京朝刊有料記事1873文字
手と手を重ね合わせるビルワさんの家族。手は上から本人、父親、母親の順=関東地方で2024年3月4日、白川徹撮影
在留資格がない外国人の収容と送還のルールを見直し、難民認定の申請中でも強制送還を可能とする改正入管法が6月10日に全面施行される。昨年の通常国会で政府が提出した法案は会期中に成立した。だが、審議の際には当事者や支援者を中心に反対の声が上がった。出身国に足を踏み入れることが生死に直結しかねないとして、外国人たちは今なお悲嘆に暮れている。本当にこのままでよいのか、立ち止まって考えたい。
「殺されるだけ」 嘆くロヒンギャ
改正入管法の要諦は、在留資格がない外国人の帰国を徹底させることにある。難民認定の申請が3回目以降であれば、審査中でも強制送還させられるようになる。国外退去とされた外国人を入管施設に収容することなく送還手続きを進める「監理措置」が創設される。一方で紛争から逃れた外国人を難民に準じた立場として受け入れる「補完的保護」の仕組みが新設され、運用が始まっている。
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「送り返されても国軍に拷問されて殺されるだけ。日本で命を絶った方がましだ」。2006年に来日したミャンマーの少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の男性、ミョーチョーチョーさん(38)は強制送還を恐れる一人だ。
安全な暮らしを求めて日本にやって来た。国軍が主導する政府に反対し、学生時代にはミャンマーの民主化を求めて声を上げた。拷問を受けて腕などに残る傷痕は、今見ても痛々しい。仏教国のミャンマーではロヒンギャゆえに迫害を受ける。難民認定を受けようと、日本の入管当局に過去3回申請の手続きをしたが、いずれも退けられた。
2回目の申請が不認定となった15年、異議を申し立てたが、「難民を受け入れる気がないのか」と実感する出来事があった。法相に任命された難民審査参与員らに実情を訴えたところ、証拠として拘束された際の逮捕状などを示すよう求められたのだ。最初から落とそうとしているのでは――。参与員のあり方は国会でも問題となったが、特段の改善策は講じられていない。
ミョーチョーチョーさんは今、東京都内で1人暮らししている。21年2月の国軍によるクーデター以降に難民認定を申請したミャンマー出身者は、緊急避難措置として在留資格が与えられているからだ。出入国在留管理庁によると、同様に在留資格を得た人は9500人余(22年末時点)。ただ、この在留資格は半年ごとの更新が必要だ。更新されなかったら、と思うと、生きた心地がしないという。
「日本人に生まれたかった……」。そう話すのはクルド人少女のビルワさん(仮名)だ。トルコ生まれで関東地方の高校に通う。トルコやイラク、シリアなどにまたがって居住するクルド人はどの国でも少数民族だ。ビルワさんは家族で迫害から逃れ、幼少期に日本へ。家族は2回ずつ難民認定の申請を退けられ、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」の状態だ。
各種法令に基づき、日常生活にはさまざまな制約がある。健康保険には加入できず、高額の治療費を払えないため病院に行けない。インフルエンザが疑われる高熱に家族で見舞われた際は、恐る恐る人からもらった薬を服用した。
仮放免された人は日本に住む外国人の身分証明書ともいえる「在留カード」が交付されない。そのため、銀行口座の開設や携帯電話の契約は、したくてもできない。県外への移動も原則許されない。
昨年8月には当時の法相が、在留資格のない18歳未満の外国人の子どもとその家族に、日本での滞在を認める「在留特別許可」を与えると発表した。ただ、対象は日本で生まれ育った子どもとその家族に限られ、ビルワさんたちは外れている。
ビルワさんは「将来は日本社会を支える人間になりたい」と願うが、かなうかどうかは分からない。「日本で日本人と一緒に育ってきたのに、どうして私だけ見知らぬ国、トルコに追い出されなければいけないの」と落胆する。
難民審査制度こそ、問われるべき問題
日本も加入する難民条約には、迫害される危険のある国に難民を送還してはならないとする「ノン・ルフールマン原則」が盛り込まれ、難民保護の礎石とも呼ばれる。入管当局は、ビルワさんらについては難民に認定していないのでこの原則は適用されない、と言いたいのかもしれない。だが、難民受け入れのハードルが他国よりも高いとされるこの国の難民審査制度こそが問われるべきではないのか。
助けを求める外国人を危険な場所に送り返す。それは強制送還される側にとって「後でどうなっても関知しない」と言われるに等しいことだ。彼らの肉声を知る一人として、改めてこの法にノーを突きつけたい。