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麻疹の流行はどこまで広がるか谷口恭・太融寺町谷口医院院長
2023年5月29日
麻疹のワクチン接種を受ける空港関係者(右)=関西国際空港で2016年9月8日午後2時5分、井川加菜美撮影
関東地方で麻疹感染が相次いで報告されたことを受けてか、私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)にも麻疹に関する問い合わせが急増しています。麻疹については本連載でも繰り返し取り上げていますが、現在世界的に麻疹感染者が急増していることなどから、今回は今後日本で麻疹がどこまで流行するかについて、そしてどのようなことに気を付けるべきかについて、私見を交えながら述べたいと思います。
「死にいたる病」にもなる感染症
まず4月末から今月にかけて関東で発症した麻疹の事例を振り返ってみましょう。茨城県の報告によると、茨城県在住の30代男性がインド渡航時に麻疹に感染し、4月27日に診断がつきました。帰国後、神戸市に新幹線などで移動していたことが分かり、新幹線内での感染が危惧されていました。同県の5月12日の報告によると、感染した男性と4月23日に同じ新幹線に乗っていた30代女性及び40代男性が感染したことが分かり、東京都内に入院しました。
次に、麻疹がどれだけ恐ろしい感染症かについておさらいしておきましょう。日本には「はしかのようなもの」という慣用句があります。これは「一時的に熱にうかされるけれども、すぐに回復する」という意味で、一時的に学生運動にのめり込むことなどのたとえに使われます。つまり、麻疹とは子供がかかる軽症の病気とみなされているわけです。
ですが、これは必ずしも正しくありません。実際、世界保健機関(WHO) によると、ワクチンが普及するまでは毎年世界中で260万人もが麻疹で死亡していました。現在50代後半以上の人であれば、幼少時に流行を経験していると思います。重症化する恐ろしい病、という印象はないかもしれませんが、なかには重篤な肺炎や脳炎を起こし「死に至る病」となることもあります。また、過去の連載「SSPE 恐ろしい『はしかのような』病から学ぶこと」で紹介したように治癒から数年後にSSPE(亜急性硬化性全脳炎)という疾患を発症することもあります。この疾患はやがて身体の自由を奪い、死に至ります。
また、成人が罹患(りかん)すると重症化することが少なくありません。過去の連載「本当に『大丈夫』?渡航前ワクチンの選び方」でも紹介した2016年にインドネシアで麻疹に感染した30代の男性は、意識を失い人工呼吸器が必要になり、帰国できてリハビリを開始したものの後遺症が残ったと報告されています。
治療薬はないが優れたワクチンがある
「母子感染のリスク」と聞くと、先天性風疹症候群が有名ですが、実際には風疹よりも麻疹の方が危険です。たしかに麻疹には母子感染がありませんが、妊娠中に麻疹に感染すれば赤ちゃんのみならず、母体の命も危険にさらされるからです。
新型コロナウイルスの場合、重症化リスクのない健康な成人が感染した場合、死に至ることはまずありません。ところが麻疹は、日ごろは健康上に何の問題もない人が重症化することが充分にありうるのです。
そして、麻疹には(新型コロナと異なり)有効な治療薬がありません。感染して重症化しても点滴くらいしかできることがないのです。ただし非常に優れたワクチンがあります。新型コロナのワクチンは接種しても感染し、重症化や死亡を完全には防げないのに対し、麻疹ワクチンの場合は2回接種していればかなりの確率で感染を防げ、仮に感染しても「軽症」で済みます(ワクチンを接種しており軽症で済む麻疹を「修飾麻疹」と呼びます)。
2016年9月、関西国際空港従業員の麻疹感染がわかり、空港利用者に注意を呼びかける文書が表示された=井川加菜美撮影
これから麻疹は増えていくのでしょうか。私はしばらく「増加傾向が続く」とみています。その理由は海外でのワクチン接種率の低下です。幸いなことに、日本では麻疹ワクチン接種率が大きく下がっているという報道はありません(私の実感としても下がっていません)。ところが、茨城県の男性が感染したインドなどのアジア諸国では、コロナ流行により医療機関へのアクセスが悪化し、ワクチン接種率が低下。その結果、麻疹感染者が急増しています。特にインドネシアでは、2022年の麻疹感染者が3341件にも上り、これは前年からみて32倍にもなります。
フィリピンでは新型コロナ流行前から麻疹が増加しています。これは過去の連載「人ごとでないフィリピン『ワクチン不信』と麻疹急増」で既に指摘したように、デング熱ワクチンで600人もの小児が犠牲になり、そのため国全体にワクチン不信が広がったせいです。同国では、既に今年1月からの3カ月で感染者が308件を記録しています。
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感染したらどうすればよいか
麻疹のワクチン接種は2回接種が必要です。以前は1回で十分と言われていましたが、感染者が激減したことで、接種後に麻疹発症者と接する機会が減り免疫がパワーアップする機会が失われたからです。2006年からは定期接種が2回接種となりました。よって現在18歳未満の方であればたいてい2回接種が済んでいます。一方、現在50代後半より上の世代は、幼少時に感染して治癒していることが多く(コロナとは異なり)その後再感染はありません。
ということはワクチンを1回しか打っていない(可能性がある)20代から50代前半くらいがハイリスクとなります。この世代の人たちは、ワクチン(追加)接種が必要でないかどうか、必要なら1回でいいのか2回接種すべきなのかを検討すべきです。母子手帳が残っていない場合などはかかりつけ医に相談するのがいいでしょう。
では、ワクチン接種前に感染してしまった人はどうすればいいのでしょうか。実は、麻疹は病原体に接触してからでも防ぐ方法があります。この「病原体に曝露(ばくろ)されてから予防する方法」のことを「曝露後予防(またはPEP)」と呼びます。感染者と接してからでも72時間以内にワクチンを接種すれば(この場合は1回でOK)免疫が成立し発症しない可能性があります。ただし100%成功するわけではありません。
何らかの理由でワクチンが接種できない場合はどうすればいいでしょうか。この場合、γグロブリンと呼ばれる血液製剤を注射することで感染を防ぐ、あるいは症状を最小限にすることが期待できます。ただし、血液製剤ですから、さまざまな副作用のリスクに加え、100%成功するわけではない点には注意が必要です。
感染経路と潜伏期間に警戒必要
麻疹は飛沫(ひまつ)感染(せきやくしゃみに含まれるしぶきからの感染)や接触感染(病原体に触れた手指で鼻を触るなど)のみならず「空気感染」するのが特徴です。新型コロナのオミクロン株も空気感染するといわれていますが、麻疹の感染力の方がはるかに強いのは間違いありません。イメージとしては同じ教室にいるだけで感染すると考えて差し支えありません。実際、冒頭で紹介した東京都に入院した2例は感染者と同じ新幹線の車両に乗車して感染したと報告されています。
2007年5月、首都圏の大学生らに麻疹が流行。東大赤門前で感染予防呼びかけのビラが配られた=東京都文京区で、武市公孝撮影
ではマスクや手洗いは有効なのでしょうか。ある程度有効であるとは言えるでしょうが、マスクで完全に防げるわけではありません。また、感染者がサージカルマスクをしていた場合、過去の連載「新型コロナ 感染は『サージカルマスク』で防げる」でも述べたように新型コロナの場合ならウイルスがマスクの外にでていきませんが、麻疹の場合はそうとも言い切れません。麻疹もウイルスのなかでは比較的粒子が大きいのですが、その記事で紹介したような実験データがないために「マスクをしていれば他人に感染させない」とは言えないのです。
また、新型コロナと異なり「潜伏期間」が長いのも特徴です。新型コロナの潜伏期間はオミクロンの場合せいぜい1~数日ですが、麻疹の場合は10~12日程度の潜伏期間があります。この間に、自覚のないまま他人に感染させる可能性があります。
では、他人への感染を防ぐためにはどうすればいいのでしょうか。また、ワクチンを接種していない場合だけでなく、接種が完了していたとしても上述したように軽症の「修飾麻疹」を発症する可能性もあります。次回は、「麻疹に感染したかもしれないときにはどうすればいいのか」について述べたいと思います。
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。