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毎日新聞 2023/6/6 05:31(最終更新 6/6 05:31) 有料記事 2210文字
Sci-Hubからの論文ダウンロード数(日本)
学術論文の違法ダウンロードが日本で急増している。背景には出版社が設定する論文購読料の高騰があり、論文の書き手である研究者が正規ルートで論文を読めなくなりつつある実態が浮かぶ。海賊版サイトの盛況は、こんな疑問を突きつける。人類の財産である学問の成果をどのように共有すべきか――。
値上がり続く購読料
研究者が研究成果を論文にまとめて発表する学術誌の歴史は17世紀にさかのぼる。当初は学会中心だったが、英科学誌ネイチャーや米科学誌サイエンスなど権威ある雑誌も数多く生まれた。第二次世界大戦後、民間企業によるビジネスが本格化した。
大半の出版社は購読料を自身の裁量で決めている。専門性が高いため競争原理が働きにくく、1970年代から価格が上昇。80年代には世界中の大学などで購読維持が困難になった。2000年ごろからオンライン学術誌(電子ジャーナル)が次々生まれ、出版社は数千のジャーナルを全て読めるパッケージ契約を提供するなどして危機は一時回避された。
しかし、電子ジャーナルも年数%ずつ値上がりしている。文部科学省などによると、22年の自然科学系電子ジャーナルの年間平均購読料は1誌2700ドル(約38万円)と10年前の約1・5倍。日本の国公私立大が21年度に負担した購読料の総額は約329億円と04年度の5倍以上に膨らんだ。
論文海賊版サイト「SciーHub」のトップ画面
こうした状況で登場したのが論文海賊版サイトだ。複数あるサイトの中でも代表的な「Sci―Hub(サイハブ)」の創設者はサイト上で「高額な価格は不当。有料の知識を無料にすることで、科学に革命をもたらした」と正当性を主張する。サイハブによると、世界中から1時間に数万件のアクセスがあるという。
無料公開するなら「掲載料」を
近年、研究者に新たな負担が加わった。多くの出版社が、研究成果を社会に広く還元する「オープンアクセス」(OA)化に資するとして、著者が「掲載料」を払えば論文を無料公開する手法を導入し始めたのだ。
相場は1本十数万~数十万円で、ネイチャーは約140万円もする。日本の大学図書館コンソーシアム連合によると、20年に日本の研究者が支払った総額は推定約57億円と、12年の約5・6倍に増えたという。
学術誌購読料などの主な流れ(国立大の場合)
大学から購読料を徴収し、研究者に掲載料も払わせるビジネスモデルは、出版社の「二重取り」との批判がある。だが、出版社側にも言い分がある。
20年に世界で発表された論文数は、自然科学系だけで約190万本。統計が残る81年から5倍近くに増えた。米学術出版大手ワイリー日本支社代表取締役の新井克久氏は「研究者支援は私たちの目標だ。ただ、サービス維持にはある程度の利益を得なければならない。(利益がなければ)オープン化に対応するための新たな技術開発や論文投稿システムの改良などに取り組めない」と説明する。
「仕組みは適正か」
「乾いた雑巾を絞るような感じだ」。関東地方の国立大図書館員はそう語る。この大学では、自然科学系の学部だけで論文購読料が年約5000万円に上る。オランダの学術出版大手エルゼビアが提供する2500以上の電子ジャーナルを読めるパッケージ契約でほぼ全額が消えるという。
国立大が04年度に法人化され、国の運営費交付金は削減が続く。購読料の原資は、研究者が獲得する国の科学研究費補助金(科研費)に応じて大学に配分される経費からひねり出す。円安が重なり、この大学も購読契約の縮小を検討しているという。図書館員は「今は何とか死守しているが、予算が少なく打つ手はない」とこぼした。
学術誌の購読料とオープンアクセス化のための「掲載料」の推移
現役の研究者も不満を隠さない。茨城大の豊田淳教授(動物科学)は「本当に読みたい学術誌は自分で買うしかない」と話す。論文をOA化するため出版社に支払う掲載料は1本平均30万~40万円。「1年間に大学から支給される研究費にほぼ相当する。外部資金を獲得しないと研究できないレベルだ」と訴える。
高知大の峯一朗教授(細胞生物学)は出版社のビジネスモデルに疑問を抱く。論文の投稿・公開はネット上で行い、第三者の研究者による内容チェック(査読)も無償ボランティアが基本だ。出版社の利益率は40%とも言われる。「なぜ値上げが必要なのか分からない。研究の原資は大部分が国民の税金で、成果は公にすべきものだ。本当に適正な仕組みなのか」と憤る。
「転換契約」広がるか
研究者の負担軽減の試みも生まれている。学術誌の問題に詳しい自然科学研究機構の小泉周特任教授は「出版社側も問題意識を持っていて、二重取り問題の解決をむしろ望んでいる」と語る。
日本では22年、東北大など4大学が大手学術出版社と「転換契約」を結んだ。大学と研究者が別々に出版社に払ってきた購読料と掲載料をまとめて大学が負担することで、掲載論文のうち一定の本数をOA化できるようにする仕組みだ。総額も抑えられ、他の大学にも広がりつつある。ただ、小泉氏は「国などから支給される予算の枠がハードルになり、転換契約に踏み出せない大学がある」と課題を指摘する。
政府は5月に仙台市で開かれた主要7カ国(G7)科学技術相会合で、公的資金を受けた論文やデータの即時OA化支援を表明した。掲載料補助や国が出版社と交渉する体制づくりなどにも取り組むという。欧米では国レベルでこの問題に対応しており、小泉氏は「日本も国としてまとまって交渉すべきだ」と訴える。【鳥井真平】