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新型コロナウイルスが感染拡大して以来、外出の機会や人との接触が激減したことで、高齢者ばかりか若い人の間でも、心と体のフレイル(虚弱)が一気に広がりました。もう一つ、特に高齢者で注目されたのが「お口のフレイル=オーラルフレイル」です。感染まん延時には、不要不急の外出を控えることが徹底されていたため、訪問診療を含む歯科医療が手控えられ、歯科への受診が減ったことも大きな原因だといわれています。
オーラルフレイル、死亡リスクは2倍以上
最近、むせやすくなった、食べこぼしが増えた、軟らかいものを好んで食べるようになった、滑舌が悪くなった、口が乾きやすくなった、食欲がなくなった……など、気になることはありませんか?
こうした兆候が出てきたら「オーラルフレイル」に要注意。残っている歯が20本未満▽かむ力が弱い▽舌の力が弱い▽滑舌の低下▽硬い食品が食べづらい▽むせが増えてきた――のうち、3項目以上が該当する人は、フレイル、サルコペニア(加齢による筋肉量の減少)、要介護状態、死亡のリスクがそれぞれ2倍以上になると、東京大学の研究が警鐘を鳴らしています。
人の歯は28本ありますが、19本以下になるとフレイルや認知症などのリスクが増えるとされています。厚生労働省と日本歯科医師会は「80歳になっても自分の歯を20本以上保とう」と8020運動を1989年から推進していて、厚労省の歯科疾患実態調査によると、2016年に80歳で20本以上の歯を持っている人が初めて5割を超えました。しかし、実際には高齢者の多くは、歯周病や虫歯、入れ歯の不具合などで、咀嚼(そしゃく)機能に何らかの問題を抱えているといわれます。
その原因の一つと考えられているのが、70~74歳をピークに高齢者の歯科受診率が急速に減ってしまうこと。足腰の痛みには敏感な高齢者も、ケアを怠っていると静かに進んでしまう歯の病気や不具合については、放置していることが多いようです。
実は私も40年来のかかりつけ歯科医が引退してしまったため、それまで2~3カ月ごとに通っていたメンテナンスを2年間中断。かみ合わせの不具合と歯周病の兆候が出てきたため、ようやく重い腰を上げて新しい歯科医を見つけ、治療とメンテナンスを再開しました。かみ合わせの治療が一段落したので、残った25本を保存するために、数カ月に1度の経過観察と歯のクリーニングを始めたところです。
「食べる」機能が一気に衰える入院時
こうした歯の病気や不具合、オーラルフレイルが、一気に進んでしまうのが入院時です。かかりつけの歯科医がいても、入院中は、歯科医との関係が途切れます。その間に虫歯や歯周病が悪化したり、入れ歯の不具合が放置されたりしてしまうことが少なくありません。
それに輪をかけるのが、入院中の「禁食」です。リスクマネジメントが先行する病院では、入院中に誤嚥(ごえん)性肺炎や感染症を起こすと、のみ込みやすい流動食や軟らか食に変えたり、食事の経口摂取を禁止し経管栄養に切り替えたりします。
「禁食や流動食が続くと、口の周りの筋肉やかむ筋肉などを使わないため、摂食嚥下機能が衰えます。病院では退院時には『一応食べられる』状態で在宅に戻しますが、極度に痩せてしまったり、入院前には普通に歩いていた人が車椅子で帰ってきたりしたら、低栄養になっている可能性があります。帰宅後も食事の量が戻らなかったり、食事に時間がかかったり、妙にむせて食後ぐったりしているような場合も要注意です」
そう語るのは、祖父の時代から3代、地域に根差した歯科診療を東京都板橋区で続ける渋谷英介さん。外来に加え、約20年前から歯科の訪問診療もしています。施設での訪問歯科診療も行っており、入居者が退院して施設に戻ってくる時には、施設に昼食を用意してもらい、本人がどの程度食べることができるかを評価しています。そして、施設職員や管理栄養士と一緒に本人に合った食事の形態や内容、量などについて検討し、必要な人には歯の治療や入れ歯の調整、嚥下訓練などを行います。
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しかし、自宅では施設のようにシステマチックにはいきません。家族は退院後の住環境や療養環境を整えるのに精いっぱい。食事や口内環境について考えるのは二の次になりがちだからです。渋谷さんも、本人が自宅生活に慣れた数カ月後に「食事がうまく取れないのは、入れ歯のせいではないでしょうか」と、患者の家族から相談されることもありますが、その時には低栄養がかなり進んでいることがあるそうです。
「ご飯が食べられる」は健康状態のバロメーターですが、食べられなくなって病院から戻ってくるのは、脳卒中などでまひが残ったり、口の筋肉を使わなかったためにオーラルフレイルになるなど、口腔(こうくう)機能の低下が原因であることがほとんどです。
最近は嚥下機能を測定する内視鏡検査を売り物にする訪問歯科医も増えています。しかし、内視鏡検査をするのであれば、機能的に食べられないという結果を確認するだけではなく、今後どうしたら安全に食べることができるのか、そのためにはどのようなリハビリテーションを行えばいいのか、どのようなものを食べるのが安全なのかを考えるきっかけとして活用してほしいと、渋谷さんはいいます。
「ものを食べるにはかなりの活動量が必要なので、家族が一生懸命になって急激に食べさせようとすると、本人が疲れてしまいます。とくに入院が長期だった人は急がず、本人が何に一番困っているのか、どこに問題があるのかを、地域の在宅の専門職と協力しながら探っていくことが大事だと思います」
それに加えて、食事の量、食べ方、時間、食事時の姿勢などが、退院前と大きく変わっていないかどうか比較してほしいと、渋谷さんはいいます。「介護者が自分とどう違うのかという視点で見ると、変化に気づきやすいと思います」
食べられない原因は、入れ歯?
「食べられない」と訪問診療を依頼された際、本人が入れ歯を使っていれば、渋谷さんがまず見るのは、その不具合です。入れ歯が合っていないなら修理し、必要があれば作り直し、歯肉や粘膜など口腔内全体の状態も調べます。
入れ歯にはかむことの補助と、嚥下の安定という二つの役割があります。総入れ歯にするとかむ力は自分の歯の3分の1程度になってしまうといわれていますが、口の中で食べ物を小さくし、のみ込みやすくまとめるという大切な役割を果たしています。上下の歯がかみあうことで顎(あご)の位置を安定させ、嚥下をスムーズに行うことも助けています。
ところが入院中、とくに経管栄養や軟らか食が指示されると、入れ歯はまったく使われなくなります。入れ歯はしばらく使用していないと合わなくなるので、栄養をきちんと取るためには、使用できるかどうかを確かめなければなりません。
「歯の数やかむ力は栄養の摂取に大きく関わっていて、歯を失うとかみにくい野菜類やたんぱく質などの摂取量が減少します。新しく作る入れ歯はスムーズに使用できるまでに時間がかかるので、すでに入れ歯のある人は、なるべく元の入れ歯を修理するようにしています」
そして、渋谷さんが家族に助言するのは「口の中をキレイにすること」。「しっかりと口腔ケアをしなくては」などと構えないで、家族やヘルパーが手伝い、普段の歯磨きを1日に3回、丁寧に行えばいいといいます。本人が嫌がらなければ、口まわりを引っ張ったり広げたりして刺激し、磨き残しがないよう確認すると入院中に低下した口腔機能を回復させるリハビリにもなります。
多様な専門家が協力して「食支援」を
高齢者の2割は低栄養、在宅の要介護者の4割には摂食嚥下障害があるといわれています。これまで摂食嚥下障害が問題になっていたのは脳卒中の人が中心でしたが、最近では認知症高齢者への対応に関心が集まってきました。
認知症の人にとっては、初期には問題なくできていた歯科の受診も、症状が進むにつれて医師の指示がわからなくなったり、口をすぼめてしまったりして治療が困難になってきます。入れ歯の出し入れも困難になり、咀嚼もうまくいかなくなり、食べ物ののみ込みもだんだん悪くなってきます。
「認知症の人にとっては『訓練』よりも『支援』が大切だと思います。それも画一的なものではなく、歯磨き一つとっても、どういうふうにしたら本人がやりやすいのかを考え、コミュニケーションを取りながらサポートする必要があります」
食がなかなか進まない人には、食べる前にしっかり目を覚ましてもらい、食べる環境を整えて、正しい姿勢で食べることや、食形態を工夫するなど、日々の食支援が大切になってくると渋谷さん。それには歯科医だけではなく、地域の多職種の協力が必要です。
渋谷さんが「地域の多職種」というのは、本人の医療にかかわる在宅の医師と看護師、生活の持続にかかわるケアマネジャーとヘルパー、生活環境を整える福祉用具専門相談員、そして、栄養にかかわる管理栄養士などです。
現実的には、全ての専門職が関わることは少ないかもしれません。しかし、「食支援」に熱心な専門職は少しずつ増えてきています。限られた職種だけでも本人の「食べる」ことを精いっぱいカバーしようとする専門職とつながることで、その後のさまざまな連携がスムーズになってくると思います。
退院後に関わらず、本人に「食べられない」という問題が出てきたら、まずは在宅の主治医と相談し、ケアマネジャーの意見も聞いて、多職種と連携している歯科医を探すといい、というのが渋谷さんの助言です。訪問診療をする歯科医も増えています。
「本人の『食べられる』を支援していくためには、介護をするご家族にも自分の歯への関心を持ってほしいですね。健康なうちに定期的な歯のクリーニングを行い、歯周病を悪化させない歯の磨き方を知っておくことが、『最期まで食べられる口』をつくっていくことにつながっていきますから」
特記のない写真はゲッティ
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中澤まゆみ
ノンフィクションライター
なかざわ・まゆみ 1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書くかたわら、アジア、アフリカ、アメリカに取材。「ユリ―日系二世 NYハーレムに生きる」(文芸春秋)などを出版。その後、自らの介護体験を契機に医療・介護・福祉・高齢者問題にテーマを移す。全国で講演活動を続けるほか、東京都世田谷区でシンポジウムや講座を開催。住民を含めた多職種連携のケアコミュニティ「せたカフェ」主宰。近著に『おひとりさまでも最期まで在宅』『人生100年時代の医療・介護サバイバル』(いずれも築地書館)、共著『認知症に備える』(自由国民社)など。